師走、それでも日々は続く
十二月に入ると、寒さは容赦なくやってきた。朝は身をすくめるほど冷え、昼には日差しが戻り、夜にはまた体を縮める。寒いのに、あたたかい。
風邪やインフルエンザが流行る中、テスト、追試、受験、進路、決算。クリスマスとお正月が同時に迫ってきている。年賀状、御歳暮、大掃除、新年の準備と、やるべきことが一斉に肩に乗ってくる。この忙しなさが、十二月という言葉の正体なのだと思う。
夕方、買い物に出かける。夫は仕事で動けず今日は一人だ。郵便局にも立ち寄り、贈り物の手配をする。誰かに何かを送る行為は、義務のようでいてどこか心を整える作業でもある。ママ友から連絡が入り、コラボカフェのお土産をいただいた。娘さんがライブにも行ったと聞き、その行動力に素直な感動を覚えた。
日々は細かい出来事でできている。ランチ会の予定、義母から御歳暮が届いたという連絡、何気ないやり取りが生活の輪郭をつくっていく。体はまだ万全ではないが、少しずつ掃除をし、本や雑誌を手放すと、部屋だけでなく気持ちも軽くなった。
そんな中、娘は水疱瘡にかかった。小さい頃にワクチンを打っていたが、耐性がなければかかると医師に言われた。それは個人差があるからどうしようもない。病院で処方箋をもらい療養する。
少し前に息子の高校では進路説明会があった。数字や資料を前に未来の選択について考えさせられた。どんな仕事に就くか、どんな人生を選ぶか。親ができるのは情報を渡し、見守ることくらいだ。結局、仕事や人間関係がうまくいくかなんて誰にもわからないのだ。
中旬には、実家の屋根や修理の相談も進めた。親の生活を支えること、自分の生活を守ること、その両方を同時に抱える年齢になったのだと実感する。簡単ではないが、逃げることもできない。
浅草で迎えた今年最後の推しイベントは、静かな幸福だった。来年は受験や進学が待っている。子どもたちを支えながら、自分の健康も後回しにしない。それが今の目標だ。
クリスマスの準備をし、ツリーを飾る。この時間がいつまで続くのか、ふと考える。幸せな時間はあっという間に過ぎるのに、つらい時間は長く居座る。不思議だが、それが人生なのだろう。
年末、家族で年末詣に行き、神様に「ありがとうございます」と伝えた。願いよりも、感謝を先に言えるようになったのは、この一年を越えたからかもしれない。
そして大晦日、音楽番組を見ながら年を越す。子どもたちはそれぞれ友達と出かけ、夜の街へ向かっていった。約束が苦手だった娘も、仲間と過ごす時間を持つようになった。息子も友達と年越しを迎える。親の知らない場所へ、少しずつ歩いていく。
家の中は静かだった。それでも、不安ではなかった。九月の痛み、十月の揺らぎ、十一月の回復、そして十二月。一年は劇的ではなかったが、確かに生きた時間だった。また来年も日々は続いていく。健康に気をつけながらできることをやり、休むときは休む。それだけで十分なのだと、今は思える。




