第四章 答えのない関係
「言ってくれて、ありがとう」
その一言を聞いた瞬間、世界がすこしだけ軟らかくなった気がした。
けれど、その後に続く静寂は、決して「全部大丈夫だよ」と言ってくれているわけではないことも、美由紀はわかっていた。
日向は、それ以上何も語らなかった。
質問も、肯定も、否定もない。
それは、受け止めようとしている証にも、距離を測ろうとしている証にも見えた。
ベンチに並んで座ったふたりのあいだには、風の音だけが流れていた。
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日向から連絡が来なくなったのは、その日からだった。
メッセージを送れば既読はつく。けれど返事はない。
電話をかける勇気はなかった。
沈黙は、美由紀の胸にじわじわと染み込んできた。
(そうだよね、やっぱり無理があるよね……)
理解のある人だと思った。
けれど、それと恋愛感情や親密さが両立するとは限らない。
「あなたは何も悪くない」
そんな言葉がもし返ってきたとしても、関係が終わるのなら、それは変わらない。
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週末。雨が降った。
カフェ・オルフェの窓辺の席で、美由紀はひとり紅茶を啜っていた。
「彼とは……どうなったの?」
マスターの恵梨香は、グラスを拭きながら静かに尋ねた。
美由紀はかすかに笑って、首を振った。
「伝えたら、連絡が来なくなったの。想定の範囲、だよね」
「それでも、伝えたんでしょ? 強くなったじゃない」
「……強く、なれたのかな」
「“強い”って、何かを失っても進めることじゃなくて、
誰かと繋がることを、怖くても選びなおすことなんだよ」
その言葉は、どこかで聞いたような、でもまったく新しいものとして胸に響いた。
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日向から連絡が来たのは、その翌日だった。
「ちゃんと話せなくてごめんなさい。時間が欲しかったんです」
「一緒にいたときの美由紀さんが、嘘じゃなかったってことだけは、信じてます」
「また会えますか?」
画面の文字を見つめているうちに、美由紀の視界は再びにじんでいた。
流れる涙は、少し熱かった。
それは、痛みではなく、少しだけ希望の熱だった。
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再会の日、ふたりはカフェではなく、美術館のロビーで落ち合った。
「……来てくれて、ありがとう」
日向は以前より少しやつれて見えた。
けれど、その眼差しはまっすぐだった。
「美由紀さんのこと、今もよくわからない。でも……“わからないから終わり”ってしたくなかった」
「わからないままでも、隣にいられるかな?」
美由紀は頷いた。
言葉ではない、震えるような想いがそのうなずきに込められていた。
答えはない。
でも、いまこうして同じ場所に立っていることが、
どんな答えよりも確かな「関係」なのだと、二人は知っていた。