表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/14

第三章 伝えるということ

「美由紀さんって、他人に隠し事、苦手そう」


そう言った日向の言葉は、冗談まじりの声色だったけれど、美由紀の胸に小さな棘を残した。


その日も、ふたりはカフェ・オルフェで向かい合っていた。

新しいメニューの紅茶をすすめてくる日向は相変わらず飾らなくて、心地よく、そして――怖かった。


(私は、彼に嘘をついている……)


それは意図的な「嘘」ではない。

けれど「美由紀」として向き合っている今の自分は、“ある部分”をあえて隠している。


彼はきっと、私のことを“女性”として見ている。

服や仕草、声、雰囲気、そのすべてが彼のなかの「女性像」と一致しているのだろう。

でも、私の身体は“そうではない”。


(このままじゃ、いずれ限界がくる)


真実を伝えなければ、私たちはどこにも進めない。

けれど――伝えた瞬間に、すべてが壊れてしまうのではないかという恐れが、

足首に絡みついた鎖のように、彼女を引き留めていた。


**


その夜、美由紀は鏡の前に立った。

メイクを落とし、ウィッグを外し、鏡に映った「てつ」の面影を見つめる。


(私は、どこからどこまでが“わたし”なんだろう?)


「男の身体を持って生まれたけど、女の子の服を着ていたい」

「恋をするのは、相手の性別じゃなくて、その人自身に」

「でも、社会の中では“男”として見られることも、“女”としても、どこかズレてる」


そんな断片を抱えたまま、美由紀はずっと歩いてきた。

自分を形づくるものすべてが、誰かの枠組みから少しずつはみ出している。


(だけど私は、私を選び続けてきた)


そして今、誰かに“ちゃんと見てほしい”と願っている。


――だからこそ、伝えなければならない。


**


次に会う約束は、週末の夕方だった。

場所はあえてカフェではなく、公園にした。


風が少し冷たくなり始めた秋の入り口。

オレンジ色の光が差し込むベンチで、美由紀は震える声で切り出した。


「日向くん、話したいことがあるの」


日向は驚いたように彼女を見つめた。

美由紀は視線を落としながら、言葉を選ぶように続ける。


「私、ね……いま、美由紀として生きてる。でも、戸籍は男性で、生まれたときも……身体も、そうなの」


その一言に、風が止まったような静寂が訪れた。

日向は何も言わなかった。ただ、じっと美由紀を見ていた。


「怖かった。言ったら、もう会ってくれないんじゃないかって……でも、もう隠していたくなかったの」


言い終えた瞬間、美由紀の視界はぼやけていた。

涙だった。抑えていたものが、ついに溢れ出したのだ。


けれど日向は――何も言わず、そのままそっと、彼女の隣に腰を下ろした。

言葉よりも先に、その沈黙が、何かを伝えようとしている気がした。


そして、彼は小さく呟いた。


「……言ってくれて、ありがとう」


それが、始まりだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ