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第十二章 揺るぎのないわたし

美由紀はひとり、美容室の鏡の前に座っていた。

ガラス越しの外は、すっかり春の陽気で、人々の服装も軽やかになっている。

でも彼女の心には、静かな緊張があった。


「イメチェン、ですか?」

スタイリストの女性が優しく微笑んだ。


「はい……ちょっと、変わりたくて」


「わかりました。じゃあ、美由紀さんに似合う春の髪型、提案させてくださいね」


その名前を呼ばれて、ふと胸があたたかくなる。


――美由紀。

この名前を自分以外の誰かに自然に呼ばれることに、少しずつ慣れてきた。

それは、過去を完全に忘れるということではなく、“今のわたし”を選び続けるという行為そのものだった。


鏡の中の自分は、まだ時々不安げに見える。

けれど、その瞳の奥に灯った光は、もう誰にも消せなかった。


**


夜。

帰宅すると、日向がダイニングにキャンドルを灯していた。

まるで特別な夜のように。


「……なにこれ?」


「サプライズのつもりだったけど、ちょっと照れるね」

彼は首の後ろをかきながら、小さな箱を差し出した。


「開けてみて」


美由紀はそっと箱を開けた。

中には、シルバーのネックレス。

プレートには小さく、でも確かにこう刻まれていた。


Miyuki


名前。

それは、過去の自分がたどり着いた“いま”の証だった。


「……これ、すごくうれしい。……ほんとに、ありがとう」


「君が君でいるためのもの。俺にとっての“美由紀さん”を、ちゃんと形にしたくて」


その晩、彼女はネックレスをつけたまま眠った。

まるで、その名前を抱きしめるように。


**


夢の中。

彼女は雪が積もった小道を、ひとり歩いていた。


そこには「てつ」だった頃の彼女がいた。

無表情で、寒さに震えるように歩く影。

でもその隣を、今の美由紀がそっと歩いていた。


ふたりの影が、ゆっくり重なる。


彼女はその姿に微笑んだ。


「大丈夫、もう迷わない。だってわたしは――」


目が覚めたとき、春の陽射しがカーテン越しに差し込んでいた。


胸元のネックレスが、そっと温もりを伝えてくれる。


**


もう、誰かの言葉に揺れなくてもいい。

もう、過去に引き戻されなくてもいい。


彼女は、彼女自身の足で立っていた。


名前が、それを証明してくれていた。

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