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三、疑念 ー3

 その日、社会人一年目の零落希望れいらくのぞむは有給休暇をとり、婚約者である田沼夏帆(たぬまかほ)と一緒に水族館に行っていた。その帰り道、今日の水族館の感想と、天気の悪さについて語っていた時だった。

 パチッ!

「あれっ、夏帆。今夏帆の頭に……」

「どうかした?」

 その直後に光とともに大きな音が鳴り響いた。

「きゃっ」

 田沼夏帆が驚いて頭を抱える。

「……いや、気のせいか。何でもないなんでもない」

「何よもう」

 田沼夏帆は笑いながら言う。

「早く帰りましょ。母さんが食事作ってくれてると思うし」

 田沼夏帆が歩きながらそう言って横を見るとそこに零落希望の姿はない。

「あれっ、希望さん?」

 振り返ると彼は屈みながら壁にある何かをじっと見ている。

「どうしたの?」

「いや、ちょっと何か変なマークが」

「変なマーク?」

「あぁ、いや何でもないよ。誰かの落書きだろう」

 零落希望は太陽と月のようなものが描かれたマークから目を外し、立ち上がって田沼夏帆を見る。

「行こうか」

 二人は一緒に並んで田沼夏帆の実家に向かって歩いて行った。

 

 そして次の日、忘れ物を取りに零落希望は再び田沼夏帆の実家へと向かった。だが、呼び鈴を押しても誰も出なかった。ドアの鍵が開いていたため、彼は「失礼します。夏帆さんいませんか?」といって少し不審に思いつつ中に入った。そこで、彼は彼女と母の遺体を発見したのだった。その体には刃物で刺されたような傷があり血も散乱していた。彼は言葉を失い、全身の力が抜けてその場に座り込んだ。それからしばらくして震える手で携帯を取り出し、警察に電話をかけた。警察と救急車が来る途中、彼は四つん這いになりながら彼女のもとへ寄っていき、その顔を見下ろした。ぐったりとした彼女の顔はもう動くことが無かった。

 その時だった。零落希望の頭にある記憶が流れ込んできたのだ。正確には蓋がされてつっかえていた記憶を一気に思い出したといった方が良いのかもしれない。

「あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛」

 彼は涙を流しながら叫びを上げた。自分の口から出てきたとは思えないような声だった。彼が思いだしたのは昨日の記憶だった。

 

 昨日彼女の実家に帰った後のこと。

「ただいま」

「おじゃまします」

 二人仲良く家に入ると、彼女の母が「おかえり」と言って出迎えてくれた。そして三人で夜食を食べ、和室でゆったりとした歓談を楽しんでいた。

「それでさぁ、希望さんエイを見てなんていったと思う?」

「うーん……。平べったいねって?」

「違う違う。こ、これはオバケですか?って」

 そう言って笑いながら彼女は母親と話している。

 その時にふと零落希望は思ったことがあった。突如としてある考えが湧いて出てしまったのだ。果たしてこの光景っていつまで続くのだろうか、という疑問。

 ――この幸せはいつまで続くのだろうか……。いつかは終わってしまうのだろうか……。そう、いつかは必ず終わってしまうのだ。彼女と別れることになるかもしれない。病気で倒れてしまうかもしれない。事故で無くなってしまうかもしれない。そしていずれどちらかが死んで無くなってしまうのだろう。……別れたくない。無くしたくない。この時間を無くしたくない。彼女を無くしたくない。怖い。怖い。どうしたら。どうしたらこの時間は永遠になるんだ。どうすれば彼女とずっと一緒になれる。自分だけのものにできる。怖い。怖い。……辞めてくれ。時間よ止まってくれ。お願いだ。この時間を止めてくれ。このままでいい。何も変わらなくていい。この幸せな時間のままでいたい。永遠にこのままで。……あぁどんどん時間が過ぎ去っていく。もう何分か経ってしまった。もう何分か無くしてしまった。もう戻ってこないのに。一緒に居れる時間なんて決まっているのに。どうしよう。どうしたら……。……どうしたら時を止められる?……どうしたら永遠に?

 何か悪魔のささやきが聞こえた。

 ――じゃあさ、殺してしまえばいんじゃないか?

 何を考えているんだ自分は、と思った。いやこれは自分が思ったことなのだろうか。

 ――そうしたらさ、この時間のまま止まるだろ?この光景が最後の光景だろ?彼女とお母さんの中ではこの光景が最後の記憶だ。彼女はこの幸せな時間のまま終われるんだ。そして俺という人間は彼女の中で永遠になる。他の誰かのもとへ行くこともない。今止めなければ幸せなこの光景は失われてしまうかもしれないぞ。なら、今終わらせとくのが一番いいんじゃないか?どうせいつか終わるなら、終わり方は綺麗な方が良いだろ?終わりよければ全て良しっていうしな。

「それで永遠……」

 ――そう、それで永遠が手に入る。もう彼女はどこにも行かない。彼女の中でお前は唯一無二の特別な存在となるだろう。もう、心配しなくていいんだ。終わりが来るなんて。怖がらなくていいんだ、いつ終わってしまうのかなんて。楽になろうぜ。この綺麗な光景のまま永遠になろうぜ。

「そうか……。なんだそんな簡単なことだったのか」

「どうしたの希望さん?さっきから独り言をぶつぶつと」

 彼女はうつむいた零落希望の顔を覗き込んだ。

「ずっと……。このままずっと……」

「ずっと?」

「ずっと一緒に……」

 彼女は母と顔を見合わせ、笑みを浮かべる。プロポーズかと二人は思った。そして穏やかに次の言葉を待った。

「ずっと……永遠になろう」

 次の瞬間彼は近くにあった果物ナイフを手に取り、彼女の母の後頭部に思いっきり突き刺した。

「希望さん!な、なにを!」

 呻きを上げて倒れる母に目もくれず、零落希望は彼女の背後に回り、タオルをさっと手にしてその首を縛り上げる。

「これで……ずっと……」

 そう独り言をぶつぶつ言いながら、足をばたばたさせ、手で首元のタオルを必死につかむ彼女を更に力を込めて締め上げる。そうするうちに彼女は涙で頬を濡らしながらもだんだんと力を失い、やがて動かなくなった。零落希望は手を離してふぅっと息をついた。

「これで……終わった。これで永遠に……。ん?終わり?あれっ。これでずっと幸せな時間が……。ん?んー……。まあいっか……疲れた」

 彼は立ち上がって彼女の実家をでて自分の家に帰っていった。


 零落希望は警察が到着した後ずっと、「俺だ、俺がやったんだ」と泣きながら喚き散らしていたらしい。彼の希望という名前は苗字があまりにも不吉なものであったため、少しでも実りある人生に、幸せな人生になりますようにと親が名付けたものだった。無事に彼女の時間はその時止まった。愛した人に突然殺されるという恐怖を味わったまま。そして彼は忘れることができなかった。ずっと永遠になろうと言ったその瞬間の彼女の笑顔と、「ありがとう」と言った彼女の小さな声を。


 明仁は一通り記事を確認した後で仰向けになって天井を見上げた。正直言ってあまりよく分からなかった。彼は何がしたかったんだろうか。はちゃめちゃな事件だった。

 ――これは多分水雪さんとは関係ないよな。

 少し気が滅入ってきたため、明仁は起き上がって窓に向かった。カーテンを開けようとした時、薄暗い闇の中で家の前で誰かが立っていることに気付いて立ち止まる。

「誰だ?」

 体を隠しながらこっそりとカーテンの隙間からその影を見る。鼓動が早くなり、冷や汗が出てくる。誰かに殺されるかもしれないという恐怖感があった。もう見つかってしまったのかと思った。自分の隠し事に。ゆっくりとその顔を確認する。

「……なんだ、日色か」

 そこに立っていたのは七竹日色だった。安心してカーテンを開けて声をかけようと思ったところで背筋が凍り付く。

 ――もし先生や生徒のなかに犯人がいるようなら、俺が口封じのために殺される可能性も考えられる。

 そんな言葉が蘇ってきた。それともう一つ気になる事があった。ちらっと見た彼の顔が妙に真剣で、目も全く笑っていなかったのだ。その目はじっとこの部屋を観察しているようだった。明仁は窓の下でじっと固まったまま動けず、もう一度彼を見ることもできなかった。しばらくの時間がたってからやっと恐る恐る窓の外を見る。

「あ……いない……」

 彼の姿はなくなり、そこには変わらない地面が広がっているだけだった。

 ふーっと溜息を吐き、明仁はその場に座り込む。これから先のことを考えて憂鬱な気分になる。

「どうしたらいいんだ俺は……」

 とりあえずご飯食べて早く寝ようと思い立ち、一階へと降りて行った。結局は水雪さんが見つからないと何も変わらない。そう思った。


 その夜も明仁は奇妙な夢を見た。そしてそれも昨日見た夢の続きの夢だった。

 ……嫌だ。いやだ。その想いだけが頭の中をこだまする。何回も絶え間なくその言葉が繰り返されていた。……嫌だ。嫌だ。いやだ。無限とも言える数程その言葉を繰り返したように思えた。……そうするとそのうちだんだんと湧き上がってくるものがあった。何だろうか。自分の奥底から沸々と。そしてそれはある瞬間を境にして一気に噴きあがってきた。……それは、怒りだった。悲しみだった。恐れだった。喜びだった。感情というものだった。それらは七色に輝き、内から光を放った。その光は雨を照らし、水の雫は光の粒へと変わって宙を舞った。自分には何でもできる気がした。自分には意志があった。自由があった。それから想像した。何かをつかめるものを。そうすると腕が生えて現れた。その腕で自分をつないでいる縄を掴む。思い切り力を入れる。掴んだ縄はぶちぶちと音を立てて切れた。そのまま地面に落っこちる。再び想像した。何か地面を蹴れるものを。そうすると足が生えた。何もない荒野に立ち上がる。しっかりと。そして地面を蹴って歩き出した。どこかにある何かを目指して。

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