三、疑念 ー2
教室に着いて一緒にご飯を食べるが、明仁の箸はほとんど進まなかった。自分の見たものがすっかりなくなっていたという事実を受け入れることができなかったのだ。二人が話を振ってきたが、心ここにあらずの状態で毎度のように何の話だったかを聞き返すことになった。
「あ、そういや」
一条天が食べ終わって話を切り出す。
「水雪麗花ってどうしたんだろな。委員長が欠席って珍しくないか?風邪なんかまったくひきそうなやつじゃないのに。何か知ってるか?昨日の昼からいないっぽいけど」
「僕は知らないなぁ。明仁は何か知ってる?」
「ん?あぁ、委員長ね、委員長。俺も特に知らないよ。というより知ってる人、クラスにはいないんじゃない?みんな何も先生に言ってなかったし」
「そうだよなぁ。まぁただの風邪かなんかだろうな、どうせ。すぐピンピンしながら戻ってくるだろ」
「だよね。でも最近物騒な事件も多いから若干心配だよね。隣の市で殺人事件もあったみたいだし」
七竹日色は結構ニュースの話を持ち出してくることが多い。
「その犯人て捕まったの?」
明仁は七竹日色に尋ねる。
「うん。もちろん捕まってるよ。確か犯人はその婚約者か誰かだった気がする」
「は?なにそれ怖いな。痴話げんかか何かか?」
一条天が口をはさむ。
「いや、そこまでは分からないけど」
「へぇ。まあ、委員長に限っては大丈夫だな。あいつが恋人とか考えられないしなぁ。な、明仁」
「へ?……う、うん。そりゃそうだろな。委員長の恋人とか、なぁ」
「……まさか明仁、お前委員長の恋人か?」
「え?い、いやそんなわけないでしょ。からかうなって」
突然の言葉に明仁は少し慌てて答える。
「そうかすまんすまん。まぁそうだよなお前が釣り合うわけないよな」
一条天が笑いながらそう言うと、昼休みが終わるチャイムが鳴った。
「じゃ、午後の授業も頑張るか。俺は寝るけど」
「なんだよそれ。寝るの頑張ってどうすんだよ」
相変わらず調子のいい一条天を見て少し明仁に笑みがこぼれた。
授業中になっても明仁はぼんやりとしていた。ずっと上の空で時々窓の外に見える屋上を眺める。
――どうしてだ。どうして何もなかったんだ?まるで最初から何もなかったみたいに……。俺が見たものはただの幻……。いや、それにしては鮮明に覚えている。あの光景を実際にこの目で見たという現実感がある。とてもあれが全部嘘だったとは思えない。それに実際に水雪さんは行方不明になっている。水雪さんが生きているんなら、今彼女はどこに……?
その時、明仁は誰かの視線が自分に向かっていることに気づいて視線の主を確認する。その先にいたのは七竹日色だった。目が合ってもじっとこちらを見ている。その視線に自分の心の内を見透かされているような気がして慌てて目を背けた。友達にも言っていない隠している光景を覗き見られているような気がした。そして、その後も放課後までたびたび七竹日色の視線が自分に向けられていることに明仁は気づいていたのだった。
「ただいま」
家に帰ってすぐに二階に上がり、自分の部屋に入りベッドの布団に頭をうずめる。それから寝返りを打って天井をぼんやりと見上げた。
――俺が見たものは何だったんだ……。ほんとに夢だったんだろうか。……あれが?いや、あれは現実だった……と思う。あれが現実だったとするなら、その痕跡というものが消されたってことになるのか。それを消したのは勿論犯人だろう。いつか?それは多分昨日の夕方から今日の午前中までだ。誰がやったんだ?隣の市での殺人事件と関係があるのか?でもあの犯人は捕まったらしいし……。そもそもこんな事を一人で全部やるっていうのはできない気がする。もしかすると……。
もしかするとこの事件は思ったよりも大きなものが動いているのかも知れない。そう思った明仁はとてつもない恐怖感に襲われた。何か目に見えない大きなものが裏で蠢いていて、自分が独りで取り残されているような気がした。黒くて暗い何かが自分を包み込んできているようだった。
「……もう寝よう」
そのまま明仁は深い眠りに落ちていった。
そしてその夜も明仁は奇妙な夢を見た。昨日の夢の続きだった。
……ぶら下げられてからどのくらいの時間がたったのだろうか。短い時間だったような気もするし、気の遠くなるような時間が流れたような気もした。だんだんと自分が何なのか分からなくなってきた。だんだんと自分というものが希薄になっていった。死?死なのだろうか。消えてしまうのだろうか。周りのてるてる坊主達を見る。みんな変わらず吊り下げられたままで、そこには笑った顔がへばりついているだけだった。……それから随分と時間が経った。何十年、いや何百年もの時間が経ったように感じた。薄い意識のまま、それでも消えずに自分は残っていた。これはまだ生きているということなのだろうか。自分は……何だ?何のためにここにいる?何のためにぶら下がっている?何のために存在している?何のために生きている?一体何の……。なぜ……?……気づいたときには、嫌だと思っている自分がいた。このままでは嫌だ、と。嫌だ。こんなのは嫌だ。このままは嫌だ。嫌だ。嫌だ。いやだ。
日光の明るさと暖かさで明仁はゆっくりと目を覚ました。
「……?」
そこで自分の目が涙で濡れている事に気づく。何かすごく悲しくて苦しい夢を見ていたような気がする。
「なん……で……。」
何で自分はのうのうとただ生きているだけなのだろうか。このままでいいのだろうか。こんな自分でいいのだろうか。それがなぜかとてつもなく嫌に思えた。その嫌で苦い感覚だけははっきりと覚えていた。
その日の朝のホームルーム。水雪麗花が行方不明になっていると担任が説明した。保護者とも連絡をとり、警察に捜索願を出す事に決まったらしい。担任はダメ押しとして誰か知っているものはいないかと生徒に確認を取ったが、多少のざわつきがあるだけでだけで手を挙げるものは誰もいなかった。
「行方不明かぁ、どうしたんだろうね水雪さん」
昼休み一緒にご飯を食べながら七竹日色が発言する。
「うーん、どうしたんだろなぁ。委員長可愛いからどっかの変態にでも連れ去られてんじゃねぇのか?」
「またそういう不吉なことを」
「冗談冗談、まぁあいつなら変態倒してから戻ってくるんじゃねぇか?」
「だからなんで連れ去られてる前提なのさ?どっか遠出して迷子とかも考えられるでしょ。ねぇ、明仁?」
七竹日色の質問にどぎまぎしつつも答える。
「……そうだなぁ。でも委員長が迷子になる事とかあるのかな」
「たしかに。迷子はないかぁ。じゃあほんとに誘拐?」
「だから言ってんだろ?これは美人女子高生誘拐、もしくは殺害事件っていう可能性があるってことなんだよ」
一条天が少し自信ありげに言った。
「思ってるよりも重大な事件だったりするのかな」
「重大ってのはあれか?第三次世界大戦の引き金になるような事件的な?」
明仁が七竹日色に聞いた。
「いやさすがにそこまでは……。ただ連続高校生誘拐殺人事件のきっかけだったりとかはしないのかなって。まぁ水雪さんが見つからない限りは何とも言えないけど」
連続高校生誘拐殺人事件。その言葉を聞いた明仁は身震いする。次に襲われるのは自分だと言われているような気さえした。
「日色ってたまに結構怖いことさらっと言うよな」
明仁はぼそっと呟く。
「昔ニュースでそういうのを見たことがあるんだよね。きっかけは一人の高校生の行方不明から始まったってやつ。まぁ水雪さんが無事に帰ってくればいいんだけど」
「俺は世界大戦勃発のきっかけかもしれないって方が予想としては面白いと思うぜ。なぁ、明仁。世界を救うチャンス到来じゃないか?」
「あ、あぁ……。確かにな」
つい何日か前にそんなことを言った気がする。でも、実際に身近でこういうことが起こってしまうととても面白いとは思えなかった。面白いというよりも自分の中にあった感情としては、怖いといった方が正しかった。そうだ、戦争が起これば自分の身近な人が死なない保証も自分が死なない保証もどこにもなかったのだ。
「ちゃんと生きて帰ってくればいいな水雪さん」
明仁は願望を込めてそう言った。それは水雪さんのためというよりは自分のためだったように思う。
放課後になって今日も明仁はすぐに帰路につく。家に帰るなり自分の部屋に入り、ニュースについて調べる。
「高校生……少女……失踪……誘拐……殺人……」
特に水雪麗花に関する情報は無かった。だがひとつ気になる記事があったので見てみる。隣の市で女子大生が殺害されたという記事だった。犯人は婚約者でもう捕まっているらしい。
「日色が昨日言ってたやつだな……」
事件が起こったのは一昨日、ちょうど水雪麗花の遺体を発見した……かもしれない日だ。