第七話 臨床試験
MR6080ギアを購入した事、VRの契約をしたこと、そして見ず知らずの人とキスをした話題をもって、放課後のアバターにログインしたのだけど。
タカシ君は事業が終わると速攻で消えた。
多分だけど、委員長に紹介してもらったユキちゃんの所へいったと思う。
そして、委員長なんだけど、ちょっと様子が違う。
いつもの覇気がない。こっちは、ログインしていない可能性が高い。
僕は、この二人以外と話す事がないので、早々に学校を出た。
ギアを付けたVRモードは立体視ができるので、この仮想空間を現実に近い世界に見せてくれる。
両肘掛けにつけたコントローラのおかげで、かなりスムーズな移動や動作ができる。
この喜びを誰かと共有したいのに。
それならと、東坂会館へ行って、ビリヤードの練習をしよう。
委員長と行った時、一人で台を占有して遊んでいる人が居たから、多分大丈夫。
駅から、会館へ向かって歩いていると、十数メートルほど前を、一女の制服を着た子が同じ方向へ歩いている。
信号が青になって横断歩道を渡り、すぐに右へ横断歩道を渡るのだけど、そっちの信号は赤。
その子も、立ち止まって待っている。
恐る恐る近づいて、隣に立つと、白い面がこっちを向いた。
やっぱりだ。
「今日はカイコと一緒じゃないの? 」
なんか当然のごとく尋ねられたが、こっちは一気に緊張した。
「いえ」
「ふーん、それで、もしかして六階へ行くの」
「あ、はい」
「一人で? 」
「そ、そうですが、駄目でしょうか」
「いや、それなら一緒に遊びましょうか」
「あい、え、あの僕、今日で二回目なんですけど」
ド素人なんだけど、大丈夫なんだろうか。
「いいわよ、ポケットでいいわね」
四つ玉しか知らないけど、こういわれると選択肢は無いみたいだ。
信号が変わって、彼女と横断歩道を渡った。
因みに、いつも一緒に居る僕を殴った人は、今日はお休みだという。
その日、酒田さんに教わったのはエイトボールという初心者用のポケットゲーム。
多くの人がしているのは、九つのボールを番号の若い順に落としてゆくナインボールだけど、この日教わったのは、8番のボールを残して、1から7までのボールをポケットにいれるか、9から15までのストライプのボールをポケットにいれる人に分かれて、最後に8番のボールを落とすゲーム。
最初の三十分は、的玉が何処へ行くかを教わり、それ以後は実際にゲームをしながら教わった。
酒田さんは、遊んでいる時も仮面を外さなかったから、かなりビリヤード場で目立つ存在で。
多くの視線を集めていたけど、僕は教わることに夢中になって、不思議な事に、さほど気にならなかった。
しかも、その間、昨日の委員長と同じように、彼女と話す事が出来た。
ゲームをして、一時間ちょっとした頃に、酒田さんに着信があって、その日のお遊びは終わった。
僕たちは、割り勘でプレイ代を払って、ビルを出た所で別れた。
電車が自宅のある駅に着き、エスカレータを下りて改札口から出た所に二人の女性が近づいて来た。
「あなたが、こちらの女性と恋愛モードになっているPlayerさんですか? 」
昨日、俺にキスをして来た女性は俯いていて、その隣に立つもう一人の女性。こっちは高価そうなコートを着ていて、落ち着いた声で僕に話し掛けて来た。
「はい、多分そうです」
昨日の女性の頭の上には「♡スザンヌ宮元」が緑の文字で浮かんでいる。
「良かった、私、こういう者です」
差し出された名刺には、田楽狭間病院 主任心理師 宇野市子と書かれていた。
年齢は分からない、四十と言えばそう見え、五十と言われても違和感がない。
ただ、ゲーム内なのに、その肩書の違和感が半端ない。
心理師って分かんないけど、病院関係者がなんで来るんだ?
「立ち話も何ですから」
彼女に従ってコンコースをロータリー方向に抜けたところにあるコーヒーショップに入った。
「端的に申し上げます。こちらのスザンヌ宮本さんとの恋愛モードを解除しないで頂きたいのです」
はぁ?
この宇野市子と言う人の話は、殆ど分からなかったが、どうも僕にキスしてきたスザンヌさんという人は、なんらかの依存症を抱えており、このゲーム内で治療をしているのだという。
自己を分析してより良い方向へ導く行動療法という治療があるらしく、薬物療法よりも効果が高いらしい。
それを何故ゲームの中で行うか、説明は聞いたけど良く分からない。
「幸いな事と申したら失礼かもしれませんが、貴方は第二アバターで、メインのアバターの活動への支障は最低限で済むと思いますので、ご協力をお願いできませんか」
すこしイミフなんだけど、嫌とは言わせない圧がある。
「スザンヌさん、強力してくれるそうだから。あとすこし、此方の方とお話しするから、貴方は帰っても良いわよ」
宇野さんが、一言も話さなかったスザンヌさんを帰すと僕に向かった。
「人はね、障害やストレスを感じると、物や行為に逃げることは良くあるのです。ですが、それが生活に支障を及ぼすほどになると病気と判断されるのです」
「それが依存という事ですか? 」
「完全な正解とは言えないけど、今はそう思っていて。薬を飲まずには居られない薬物依存、ギャンブルをしなければ居られないギャンブル依存。そんな状態が強くなると、薬を飲みたいがために平気で嘘を言う、ギャンブルがしたくて家族のお金を無断で持ち出す。追いつめられると捕まって薬が飲めなくなる恐怖で、警官に暴力を振るって逃げる。後で捕まることが判っているのにね。そうなると病気でしょ」
まあ、そうなのだろう。
「宮本さんはね、アルコール依存とホスト依存、それに鬱傾向があるの」
「ホスト依存? 」
「ええ、男の人達に寄ってたかって持ち上げられる楽しみ。推しの子に頼られる楽しみ。それがないと人生は闇みたいな感じになって、持っているお金を全部使って、それでも足りないからお金を借りて、風俗に足を突っ込んで、挙句の果ては売春までするようになるの」
そういう世界があることをネットで見たことはある。
「加えて、アルコールで嫌な事を忘れようとする」
「でも、ゲームでは実際にお酒や飲み物を口にすることは無いですよね」
「そう、彼女は自ら望んで、隔離室に入って治療をしているのだけど、任意だから時々家に帰るのよ。今回は、その時に、アルコールを飲みながらゲームをしたのね。お金が無いから本当のホストクラブへは行けないけど、ゲームの中にはあるから」
なんか、分かってきたような気がする。
「ゲームだと、リアルより自分をより客観視できるんですね」
「そう、君は高校生にしては賢いわね。ログを見れば嘘をついたかどうかも分かるから、現実で行動療法を行うよりも精度が良くなるの」
彼女の言う精度が違うような気もしないでもないが、ゲームを使って治療をする利点が分かってきたような気がした。
その延長に、僕と恋愛モードを維持することで、ある程度、ホストとの疑似恋愛をブロック出来るのかも知れない。
「このゲーム、最初は男の子向けの恋愛ゲームだったけど、今は、こういった治療に使えるのではと、臨床試験がされているの」
その臨床試験に参加している患者さんは十数人だそうで、いまは宇野さんが取り仕切っていて、ゲームの中にも担当医のアバターがいるとの事。
ただ今回のような僕のような第三者が絡むケースは初めてらしい。
「もし、スザンヌ宮本から貴方に接触するようなことがあったら、名刺の電話番号で直ぐに連絡して。よろしくね」
ちょっと気持ちの悪い話ではあるけれど、多くのPlayerの中の十数人なら、まあ影響は少ないだろうし、世の為、人の為になるのならと、協力を約束し、口外しない事も彼女に誓った。