第四話 エンゲージリング
私の名前は松田木綿。
私は、この名前が嫌いだ。
子供の頃は、男子に木綿豆腐を揶揄って、豆腐女と呼ばれたこともあった。
「ママ、どうして私の名前は木綿なの、絹とかじゃだめだったの」
幼いながら、親に反発していた。
親としては糸や布の木綿ではなく、純真な綿としての木綿を意図して付けたようだった。
それが今でも残っていて、だいたいのIDにシルクを入れていてたのだけど。
恋AI♡Gameのハンドルネームはカイコにしている。
彼女が育ったのは、今では合併してさいたま市になって消滅した与野市。
両親が戸建て住宅を建てたのは、小学校に入学する前。
其の頃には、他の子より頭一つ大きなお転婆で、同い年の男子と喧嘩をしても負けたことは無かった。
小学校五年の時に、隣の松本のオバちゃんの家から、手を引かれて小さな男の子が出てきた。
なにが怖いのか周囲にビクビクしていて、オバちゃんの足にしがみついていた。
その様子を一目見て、木綿は庇護欲が湧いて来たのを知った。
「木綿ちゃん、この子を学校まで送ってくれないかな」
オバちゃんの願いを二つ返事で受けた。
男の子の名前は、長船利通。
「君の名は、利通だから、漢字を音読みしてリッツー、いや、リッツに決めた」
「嫌だよ、お菓子みたいだ」
その願いは聞き届けず、以後、彼の名はリッツとなった。
リッツはオバちゃんの遠い親戚にあたり、本当の家は近くの団地。
共働きの両親と一緒に暮らしていて、帰りが遅くなるから、オバちゃん家に預かってもらっているのだそう。
朝早く、お父さんがオバちゃん家に送って来て、帰りはお母さんが迎えに来る。
だから授業が終わってからの遊び相手は、戸建て住宅の木綿達なんだけど、団地の子供たちとは仲が良くない。
当然のように、気の弱いリッツは虐められたが、その都度、私が出て行って彼を守った。
それが気持ちよかった。
それにしても彼は良く虐めにあった。
年長の私の目が届かない時、暴力もうけていたのだろうが、筆入れや教科書を隠されたり、お金を脅し取られたり、酷い時は、祖母に勝ってもらった一万円もするカードを十円で巻き上げられていたこともあった。
ある日、その高価なカードを私にくれると持って来た。
「なに、それはお祖母ちゃんに買ってもらった大事なカードでしょ」
すると、リッツは眼に涙をためて、遂には泣き出した。
「どうしたの、何があったの」
問い詰めると、必死に泣くのを我慢して、やっと話してくれた。
「僕、遠い所へ行くの、もう会えないかもしれない」
後で知った事だが、両親が離婚して、リッツは母の実家がある関西へ行くのだという。
「お姉ちゃんのことが大好き、だから一番大事なカードをあげる」
そこまで言うと、また泣き出した。
そのカードは、今でも私の机の中にある。
「僕、お姉ちゃんと結婚する」
別れ際、最後のリッツの言葉で、このカードは私のエンゲージリングになった。
とはいう物の、私は男をずっと待つような清楚な女では無かった。
初めて喜びを覚えたのは中三の夏、部長をしていた水泳部の部室だった。
相手は副部長の美由紀、彼女とは今でも連絡を取り合っているけど、男を知ったのは高二。
男も女も、恋人付き合いは何故か長続きしない。
時々、リッツの事を思い出すから、性癖はショタだとは思うけど、友達はバイの猛禽類だと揶揄される。
私にビリヤードを教えてくれたのは大学三年から彼氏で一年半も続いた。
今までで一番長く付き合ったけど、卒業して地元に帰ると言い、院へ進学する私に結婚を迫ったので、面倒になって別れたばかりだ。
そう私は大学で情報工学を学び、その面白さに引かれて院への進学も決めた。
一年前、研究室繋がりで”恋AI♡Game”β版のブラックボックステストに参加した。
これは、一般のプログラムのバグの抽出ではなく、AIの判断基準の揺れに正当性が担保されているかという、工学と言うよりも哲学的な問題を、別のAIを使って調査して、問題があれば教育データを読み込ませて修正学習をさせる事だった。
それしにても、この”恋AI♡Game”は、単なる恋愛シミュレーションゲームなどではない。
まず驚くのがリソースの圧倒的な量、次にスポンサーや協賛、協力施設が凄い。
特に目立つのが医療系、大手製薬会社、医療系大学、病院までもがスポンサーや協賛・協力に名を連ねている。
それだけではなく、大手マスコミにアパレルやメガバンクまでも。
不思議な事に、これらの企業団体は、正規版”恋AI♡Game”の内外では公表されていない。
そのバグ取りに参加していた時に出会ったのが酒田だ。
当時、後期研修医で精神科を目指したばかりで、依存症治療の可能性が示唆された”恋AI♡Game”の仮想空間で、治験の準備要員として所属していた栗濱医療センターから派遣されていた。
今後の進展がどうなるか興味津々な私は、β版の抽選に外れたので、正規版が出てから一般者として登録参加していて、酒田は治験患者を受け持つ担当医師としてゲームに居た。
一女の鉄仮面として。
偶然としては出来過ぎでは無いかと思うのだけど、私の前に十年前に結婚を約束してくれたフィアンセが現れた。
そう、あの虐められっ子のリッツだ。
担任に連れて来られたのを見た瞬間、この少年がリッツだと思った。
そう、どこか彼の印象が残っていたのだ。
「リッツと呼んで下さい」
この一言で確信した、かれこそが私のフィアンセ。
絶対にシーメールの酒田になんか渡さない。