少女と影
汚れの見当たらない白い壁紙に木のフローリングの床、そして、長いテーブルに添えられるように備え付けられた4つの椅子、観葉植物に大きなテレビの置かれた少し狭い普通のリビング。
しかし、そこに明らかに普通でないものがあった。
巨大な細長い銀の塊である。
まるで大きな人間一人を巨大な銀紙でくしゃくしゃに包んだかのような皺の寄った、複雑な形状の銀の塊。
ぐぐっと、その銀の塊がまるで拳を握る手のように微かに震え、中に包んでいるものを更に圧迫するように、力強く丸くなる。
銀の塊は更に強く振動し、更に丸くなろうと何か包んだものをぎゅうぎゅうと圧縮せんが如くに力強く丸くなろうとする。
そして、皺の寄った銀の塊は、くるりと、球体へと姿を変え床をころがった。
皺ひとつない、パチンコの玉のような大きな鏡のようにきらきらと反射した大きな球体となった銀の塊、その球体から黒い煙が所々から湧き出し始める。
ころころと床を転がりながら銀球が煙を上げて転がる。
そして、銀玉から湧き出る黒い煙はぴたりと出なくなり、それと同時に転がっていた銀球もぴたりと止まる。
そして、がたんと床の上に何か柔らかさの感じられるものが落ちたような音が鳴る。
音の鳴った場所には一人の少女が怯えて引きつった顔で力が抜け切ったように足を崩して床の上へ倒れこむように座ったのだ。
黒曜石のように艶のある長い髪を後頭部で縛ったいわゆるポニーテールと呼ばれる髪型、
目じりに少しだけ涙のたまった、釣りがちな黒い瞳の目の整った顔立ち、平均的な少女の背丈よりも高めの身長にすらっとした細い体つき、どこかの学校の物のようである、紺一色のブレザーに黒いネクタイ、こちらも紺色の短めのスカートに黒いハイソックスの年の頃は高校生ほどに見れる少女。
一部始終の出来事を見ていた神流秋羅が腰を抜かして床の上にへたり込んでいた。
「……安心していい、もうさっきのは居ない、あれがどうなったかを説明するならば、いわゆる『死んだ』ってやつだな」
秋羅よりも少し離れた場所、そのリビングのベランダへと続くガラス戸の方から真剣みの混じった男の声がした。
その声の発せられた場所、ガラス戸の前には明らかに怪しい男が立っていた。
手入れの怠った黒いざんばら頭の所々が跳ねた髪、高い細い、いわゆる長身細身と呼ぶにふさわしい体格、所々黒ずんだ、虫食いの穴のような物が沢山空いてしまっている茶色の皮のマントに下に着た、前面にでかでかと『レシート不要』とプリントされた白いシャツを着ており、下には薄汚れた長いジーンズ、裸足といった怪しい格好をしている。
その男の一番怪しいと思われる部分が、『顔』である。
金色の三日月のように釣り上がった黒豆のように小さな瞳の目、真っ白な肌に真っ赤なへの字に曲がった口、頭部から二つだけ、角のように飛び出した真っ白な耳の『狐の面』を付けているのだ。
そんな怪しげな格好の男が秋羅へ向けて言葉を放ったのだ。
しかし、秋羅は未だに驚いた顔つきでへたり込み、ぴくりとも動かない。
「あら ?」
反応がないために、不思議そうな声を上げて狐の面の男が秋羅へと近づいていく。
「おーい、どうしたー ?」
狐の面の男が秋羅のそばで問いかける。
「もしもしー」
再び狐の面の男が秋羅へと近づき、その小さな肩へぽんと手のひらを乗せるように軽く叩く。
「うわぁっ !」
すると突然、秋羅がびくりと跳ねるように飛び上がり、悲鳴のような声を上げる。
「うわおぉっ !」
そして、それにつられるように同じように驚き、跳ね上がる狐の面の男。
先ほどの二人の驚愕から、少したった、リビング。
リビングからベランダへ続くガラス戸は開け放たれ、星ひとつ見当たらない闇夜の町並みが見える、そこから冬の夜の冷たい空気も部屋の中へと流れ込んでくる。
時間は夜であるが、天井に備え付けられた蛍光灯のお陰で辺りがよく見える。
部屋の中には先ほどの二人。
白い壁紙の壁に背をもたれ、少しうつむき、床に尻を付き体育座りの姿勢で床へ座っている秋羅、そして、少し離れた場所で少し猫背になり、ジーンズの両ポケットに両手を突っ込んで立っている狐の面の男。
「どうだ ?ちょっとは落ち着いたか ?」
狐の面の男が少し柔らかい口調で秋羅へ向かって言う。
それに対し、秋羅は少しだけうつむいたまま、何も言わずに小さく頷く。
開け放たれた窓から、冬の夜の冷たい空気が気流のように流れ込んで行き、部屋の中を冷機で埋め尽くそうとしている。
そんな冷たい空気を止めるべく、狐の面の男がその空気を取り込み続けている、開け放たれたガラス戸へ近づきそれを閉めようと取っ手へ手を掛ける。
「さっきの、さ……」
ぽつり、と秋羅がうつむいたままに小さな声を絞り出す。
そして、それを聞いたのか、戸を閉めようとする狐の面の手がぴたりと止まる。
「さっきの真っ黒なのが、僕を狙っているって言うやつなの ?」
相変わらずうつむいたまま、無感情な小さな声で秋羅が狐の面の男の背中へ向かって言う。
「ああ、そうだ」
扉の取っ手を掴みながら秋羅の質問に対し、短く、簡単に答える狐の面の男。
「『あれ』が君を狙っている敵、そして、俺の倒すべき敵」
狐の面の男が、がらりとガラスの戸を閉めながら真剣な声色で言う。
「なんで、その『あれ』は僕を狙ってるのさ」
また、力のない声で狐の面へ新たな質問をぶつける秋羅、相変わらずうつむき、顔を上げずにいる。
「原因は君自身は知らないだろうが君にある」
「え ?」
くるりと振り返り、両手で膝をぱんぱんと払いながら言う狐の面の男に思わず驚き、顔を上げる秋羅。
「人間には誰しも、『感情』ってやつがあるだろう ?」
「それと、さっきのにいったい何の関係が……」
少し、強めの語調で言った秋羅が途中で言葉を飲み込む、狐の面の男から言葉を制するような威圧感を感じ取ったのだ。
「そう、人の話はちゃんと黙って聞くべきだ」
そんな秋羅の様子を感じ取ったのか、無感情な声色で言い放つ狐の面の男。
「続けようか……って、どこまで話したっけ ?」
真剣な声色で切り出したかと思えば、首をかしげ、後頭部を手で掻きながら間抜けな声色に変わる狐の面の男。
「そうそう、人間には感情があるってとこだったな」
ポケットへ手を突っ込みながら思い出したかのように言う狐の面の男。
「様々な事象や人に抱く感情、怒りや悲しみ、嫉妬や軽蔑、絶望に憎悪みたいなネガティブなのやら安心感や親近感、期待に勇気みたいな、ポジティブなのもある『感情』、もちろん知ってるよね ?」
びしっと、秋羅へ向けて指をさしながら言う狐の面の男に、素直にこくりと頷く秋羅。
「人間の感じる不快な感情、イラついたりするのを物にあたって晴らしたり、悲しいときに自分の好きなことをして、忘れようとしたり、小さな不快な感情はそれで簡単に忘れたり、消したりできる」
「が、自分にとって大きな不快な感情はそうはいかない、ヘドロのようにこびり付いて、緩和させて少しづつ剥がしていっても、必ず少しだけ残りカスがこびり付き時としてそれがふとした時に思い出され大きくなる」
真剣な声色で語り続ける狐の面の男に体育座りのまま、ただ黙って聞き続ける秋羅。
「『感情』にはエネルギーがある、しつこいほどにそこへ留まろうとするエネルギーがね、だから放出された『感情』のエネルギーは消滅せずにじわじわと蓄積されていく」
狐の面が止まることなく『感情』についてを淡々と語り続ける。
「それで生まれたのが、『あれ』さ」
静かに話を締める狐の面の男。
「なぜ、僕が」
狐の面の男の話を聞いた秋羅がぽつりと小さく呟く。
「狙われているか、だな」
狐の面の男が秋羅の言葉を先取りするように言う、それに秋羅の表情が思わず、むっとした感じになる。
「『あれ』が君を狙うには理由があるからさ」
狐の面の男が冷たい張り詰めた空気の中ではっきりと言葉を発する。
「勿論、先ほど言ったように絶対君に走りえない理由」
「『あれ』は、人の感情を食って動いているんだ」
「感情……」
語り続ける狐の面の男、そしてそれに続き 小さく復唱するように呟く秋羅。
「そう、『あれ』は偏った感情が集まった、いわば出来損ないの心を持った人間の出来損ないみたいなものだ」
「そして、『あれ』は人間の全ての感情を食えば『人間』になれると思い込み、それを信じて『感情』を食らい続けている」
どんどんと秋羅を襲った相手についての情報が明らかになっていく。
「それで……」
秋羅が小声で切り出す。
「『あれ』は本当に『感情』を全て食えば人間になれるのかな ?」
秋羅が静かに狐の面に対し疑問をぶつける。
「いや、なれないね」
きっぱりと言い切る狐の面の男。
「それは、どういう訳かは知らんが、あいつ等が勝手に信じ込んで実行しているだけの事、実際にいくら感情を食おうと決して『人間』になぞなれんさ」
秋羅のほうを向き、腕を組みながら言う狐の面の男。
「そっか」
そんな狐の面の男の回答に対して、ぽそりと小さく反応を返す秋羅。
「奴らは感情のエネルギーを察知して食うが、相当に強い感情のエネルギーじゃないと察知できないほどに、感覚は鈍い」
「ちょっと前まではそこまで『あれ』も人を襲ったりする事は無かったんだが、最近は結構ネガティブな世の中になったせいか被害も多くなってきてるんだよ」
やれやれといった風にため息をつきながら狐の面の男が言う。
「って、話が逸れたな」
ごほん、と気を入れなおすように咳払いをする狐の面の男。
「まあ、つまりは君からもそういった大きな『感情』のエネルギーを感じ取れるから、君は今『あれ』にとっては格好の餌って訳だな」
「えっ ?」
そんな、狐の面の男の一言に思わず驚いたように素っ頓狂な短い声を上げてしまう秋羅。
「いや、僕にはそんな『感情』なんて無いよ」
そして、先ほどの狐の面の男の言葉を否定するように言う。
「いや、そう言った『感情』と言うのは自分自身ではわかっていても、他人にそこを突かれたときには、否定してしまいがちなものなんだ」
無感情な声色で言う狐の面の男。
「ねぇ……」
秋羅が問う。
「なんだい ?」
「その手に持ってるのは ?」
「ああ、『もしも、ターゲットから否定された時用のマニュアル』だ、項目は1から67まである」
狐の面の男が秋羅の問いに対してあっさりとした様子で答える、そしてその手には小さな白いマニュアルの本が掴まれていた。
秋羅が顔を上げ、眉をひそめる。
「もしも、その1が駄目だったらどうするつもりだったのさ ?」
秋羅が文句を言うように、狐の面の男へ向かって言う。
「勿論、67個全部試すに決まっているだろう」
胸を張り、自信満々に言い放つ狐の面の男、思わず秋羅の目がじとりとなる。
「もうそれ説得する気ないだろ」
「いや、ありまくりんぐなわけだが」
「本当にわかってもらいたいなら普通は、本人の前でそんなもん読みながら説得はしない、しかも物凄い棒読みだったし」
「いやぁ忘れちゃってなぁ」
口を尖らせて責める秋羅に恥ずかしそうに言う狐の面の男。
「はぁ、もういいよ、それで僕を狙ってるって敵をもう倒したんでしょ ?じゃあさっさと帰れば ?」
秋羅が狐の面の男へ向かってイラついた様子で棘のある言葉をぶつける。
「それがそうもいかんのよ」
再び腕を組み、静かに言う狐の面の男。
「はぁ ?何でなのさ、君のお陰で僕はこうしてまっさらな無傷のままでしかも敵も倒せて万々歳なんでしょ ?だったら早く本社とやらに帰ってよ、シッシッ」
秋羅が立ち上がりながらまくし立て、最後に手のひらで追い払うような仕草を狐の面の男へ向かってする。
「毛嫌いされてるなぁ」
苦笑したような声で言う狐の面の男。
「一応、その後も1週間はターゲットを見張らなきゃいけない事になってんだよ、だからこのまま帰るわけには行かないんだなぁ」
少し、呑気な口調で秋羅へ向かって言う狐の面の男。
「わかった、でも君が気に入らないから他の人にチェンジで」
「それは困る、そういうのはクレーム扱いで俺が上から怒られる、下手したら減給ものだ」
立ち上がり、口を尖らせて言う秋羅に少しあせった様子の狐の面の男。
そこから、二人が動かずに互いを見合う。
腕を組み、じとっとした目つきで冷たい視線を送る秋羅に身構えたような体勢ですがる様な雰囲気をかもし出す狐の面の男。
二人の間を張り詰めた空気が漂い、遠く冬の夜の街からは微かな車のエンジン音や犬の遠吠えが聞こえる程に静かである。
そして、秋羅がため息をついた。
「本当に、一週間で帰るんだね ?」
「ああ、必ずと約束しよう、もしも帰らなかったら、俺を君の好きにしてもいいと約束しよう」
小声ではあるが強めの口調で言う秋羅にしっかりとした強めの口調で答える狐の面の男。
「一週間、どうせ僕の両親は居ないし、一週間だけならいいよ」
ため息をつきながら少し諦めたような口調で言う秋羅。
「本当か、いやぁ悪いな」
それに対し、狐の面の男は少し安心したような口調で言う。
「ふん、どうせ断っても勝手に僕を見張るだろうし、一週間我慢すれば二度と君とも会うことだってなくなるだろうし」
ぷい、とそっぽを向きながら口を尖らせる秋羅。
「おいおい、冷たいな、これから一週間仲良くしていこうぜ」
そんな秋羅に対し、少し困ったような様子で秋羅へ言う狐の面の男。
「あ、そういやまだ俺の名前を言ってなかったな」
思い出したかのように言う狐の面の男。
「Eiserne、アイゼルでいいぞ」
極めて明るく自己紹介をする狐の面の男、改めアイゼル。
「……変な名前」
そんなアイゼルに対し、そっぽを向いたままの秋羅がぽつりと漏らす。
「それで、君の事は何て呼べばいいんだ ?神流 秋羅だから、アキちゃん ?アッキー ?」
秋羅へ向かい、フレンドリーな口調であだ名の提案をするアイゼル。
「普通に秋羅 !」
そんなアイゼルへ近づき、彼の脚のすねを蹴り飛ばす秋羅。
こうして、秋羅は一週間だけアイゼルに監視される事になった。




