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トンネル  作者: 佳樹
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 吉輝との電話を終えた真由美は途方に暮れていた。

 話した内容の一切を信じて貰えるなんて期待は、端からして無かった。しかし、そうは言っても兄ならば妙案を示してくれるのではなかろうかと期待をしていたのは確かだ。

 真由美が二度と思い出したくも無い恐ろしい記憶を辿りながら、深刻な相談事をしたにも関わらず、吉輝は祖父に全てを押し付ける様な方法を勧めたのだ。その事に関しては、怒りは湧かなかったが、真由美は深い孤独感と悲しみを覚えた。

 年齢の割に活力があるとは言え、源五郎は紛れも無い老人である。そんな源五郎に心配を掛けたく無い。剰え、いくら確信があるからとは言え、夢で見たトンネルを一緒に探してくれとは決して言えない。

 源五郎へ助力を求めるのを断念した真由美は自室に戻り、いつもより早い時間ではあったが床に就く事にした。


 明くる日の目覚めは最悪のものであった。じっとりとした汗がパジャマを濡らしている。

 「どうして・・・。悪夢を見るのは十月十三日だけだったはずなのに・・・」

 真由美の頭の中は混乱していた。身震いが止まらない。部屋に掛けているカレンダーに目を向けると、昨日赤丸で囲った十月十八日の日付が自らの命日を思わせた。

 刻一刻と着実に恐ろ魔の手が忍び寄っているを感じずにはいられない。残された猶予は今日を含めて四日。何の手立ても見い出せず、その日を迎えるなんて絶対に嫌。

 その日は食事も喉を通らず、学校の授業にも集中出来なかった。

 家に着いた真由美は、もう一度吉輝に電話をしようか逡巡していた。その時、リビングの電話のベルが二階の真由美の部屋まで鳴り響いた。もしかすると、吉輝が昨日の一件を気に掛けてくれて、こうして改めて電話を寄越したのかと想像した。逸る気持ちが抑えられず、階段を駆け下り受話器を取った。

 「もしもし・・・」

 「おっ!その声は真由美か」

 受話器の向こうからは、聞き覚えのある溌剌とした声が聞こえた。それが、期待していた兄の声では無かった為、真由美はガックリと肩を落とした。勝手に期待していたのは私なんだから、見当が外れて項垂れてるのを気取られないようにしなきゃ。

 「うん、そうだよ、源五郎おじいちゃん。今日はどうしたの?」

 「用って程じゃないんだが、久し振りに真由美の声が聞きたくてなってな」

 「もー、先週電話したばっかじゃん」

 源五郎は週に一回必ず何かと理由をつけては真由美に電話をするのだが、毎回、源五郎が一方的に話をして、それに対して真由美が相槌を打つのに終始する。

 「そうだったか?今日は声に元気が無いみたいだが、何かあったのか?儂で良ければ相談に乗るが」

 源五郎の思わぬ鋭い指摘に真由美は絶句した。苦しい胸の内を見透かされない様に、声音にも細心の注意を払っていた。実際に今日一日、無理して繕った空元気を両親をはじめ、誰にも気取られなかった。だけど源五郎だけは誤魔化せなかった。真由美のちょっとした声音の変化だけで、常ならぬ問題を抱えているのを見抜いたのだ。

 その瞬間、押し殺していた不安や恐怖の感情が堰を切った様に溢れ出した。

 孤独な死への舗装された一本道でうずくまる真由美の手を優しく引いて、その脇に伸びる、いばらの道を一緒に進んでくれる源五郎の姿が瞼に浮かんだ。その道がどんなに険しくても、それを物ともしない気概が源五郎には感じられる。

 「源五郎おじいちゃん。私、私・・・」

 言葉が喉の奥で詰まって出て来ない。

 「真由美!どうしたんだ!」

 「助けて・・・」

 「どうしたらお前を助けられるんだ?教えてくれ、儂は何をしたらいい?」

 「ヒック・・・ヒック・・・」

 もうダメ。こんなつもりじゃ無かったのに、源五郎おじいちゃんが優し過ぎるからいけないんだ。涙が止まらなくなっちゃった。

 「待ってろ!今直ぐそっちへ行く!」


源五郎は居ても立っても居られなかった。最愛の孫である真由美が電話の向こうで声を押し殺して泣いているのだ。息子夫婦は一体何をしているんだ。二人の不甲斐なさを、今すぐにでも詰りたい気持ちが込み上げる。

 台所では妻の絹江が夕餉の片付けをしている。

 「ちょっと吉輝の家に行って来る」

 絹江に一瞥もくれず、真っ直ぐに玄関へと走った。

 絹江は洗いかけの食器を持ったまま、慌てて源五郎を追い掛けた。

 「お待ち下さいませ!日も暮れてますから、明日にしてはいかがです?」

 「それでは遅い。真由美が泣いているんだ!」

 「何もこんな時間にあなたが行かなくても、道子さん達に任せてはどうですの?」

 「莫迦な事を言うな!あいつらが不甲斐ないからこうして儂が行かねばならぬのだ!」

 絹江は溜め息をついた。八十歳を越えた老人が、宵闇の中、片道二時間近くもの道のりを、ガタがきているカブを走らせるなど危険極まりない。しかし、源五郎は一度こうだと決めたら決してそれを曲げない性格である。それを絹江はよく知っていた。

 「くれぐれもお気を付け下さいませ」

 「おう!帰りは遅くなるかもしれぬから、戸締りはしっかりしておくんだぞ!」

 源五郎は玄関の引き戸を勢い良く開け、カブに颯爽と跨った。そして、大きくエンジンを吹かし、果てしない夜の闇へと消えて行った。

 「道子さん達のご迷惑にならなければ良いんだけど・・・」

 絹江は急き込んで開け放たれたままの引き戸を静かに閉め、源五郎の無事と、息子夫婦に迷惑を掛けない事を心から祈った。


 玄関扉が壊れんばかりに激しく叩かれる音が耳を劈き、居間でうたた寝をしていた道子は目を覚ました。扉のすぐ横、至って分かり易い場所に呼び鈴があるにも関わらず、それには目もくれず、狂人の如く扉を叩く人物は一人しか思い浮かばない。

 その答えを導き出した刹那、眠気も吹き飛び、気持ちが沈むのを感じた。時計の針は二十一時を回っている。泊まって行くと言われたらどう断ろうか。そうこう考えていると、玄関へ向かう足取りも自然と重たくなった。

 道子が扉を開けるや否や、源五郎は雪駄を脱ぎ捨て、厳めしい顔つきで彼女を押し退け、上がり框を踏み締めた。

 道子は源五郎の徒ならぬ剣幕に目を瞬かせ、あたふたしながら、通り過ぎようとする背中に向かって言った。

 「お、お義父様いらっしゃいませ。こんな夜分遅くにどうなさったのですか?」

 道子は皮肉を込めて言った。

 「どうもこうもあるか!真由美はどこに居る?」

 源五郎はまじまじと道子を見つめながら、不満の籠った声で返す。

 「二階の自室に居ると思いますが・・・真由美がどうかなさったのですか?」

 「どうかなさっただと!お前達は何も気付いていないのか!それでも親と言えるのか!」

 唾を飛ばしながら喚く源五郎の顔が怒りで見る見る赤く染まる。道子はその剣幕にたじろぎ、ピッタリと壁に背を付け、立っているのがやっとの状態であった。

 この怒号は書斎に居る夫の耳にも届いているはず。それにも関わらず、全く出て来ようとしないしない夫に、不満を募らせた道子は、恨めしそうな顔で書斎の扉を睨んだ。

 源五郎は二階へ上がり、ドアノブに手を掛けた。しかし、そこで一瞬思い留まった。年頃の孫娘の部屋にノックをせず、不作法に開けるのは良くないと思い至り、ノックをし、穏やかな声で真由美の名を呼んだ。

 ドアノブを回す音に続いて、内開きのドアの隙間から小さく真由美が顔を覗かせた。どれだけ泣いたのだろうか、その目は赤く腫れている。

 「本当に来てくれたんだ・・・」

 真由美の表情が綻ぶのを見て、つくづく来て良かったと感じた。突き刺す様な寒さの中、カブを走らせた事を誇らしくさえ思える。

 「当然じゃろ。それより何があったんだ?」

 真由美は源五郎を部屋へ招じ入れ、畳の上に両膝を抱える様にして座った。源五郎は真由美と対面する形で胡坐をかいた。

 「これから私がどんな話しをしても、源五郎おじいちゃんは信じてくれる?」

 「勿論だ。どんな突拍子も無い話でも、真由美の言う事であれば何だって信じるぞ」

 「ありがとう。それと、一つだけ約束して。お父さんとお母さんには心配掛けたく無いから、二人には絶対に言わないで」

 「ああ、約束しよう」

 真由美は視線を源五郎から畳縁へゆっくりと移した。源五郎に対しては兄の時の様に仔細に話すよりも、簡潔に話した方が伝わると思案した。

 「・・・私ね、夢の中で死の宣告を受けたの。残された時間は後八日・・・」

 真由美の思わぬ告白に、立ち所に源五郎の目の前は真っ暗となった。真由美がそう言うのだから、そこには疑う余地は無い。

 「どんな夢を見たんだ?詳しく教えてくれ」

 「それは暗いトンネルの中に居る夢。私はその夢の中で何かに追われてるの。得体の知れない何かから逃げてる途中『五日後』って声が聞こえたの。それが私に残された時間であるのを本能的に理解した。その夢を見たのは一昨日の夜。昨日の夜もトンネルの中に居る夢を見たんだけど、その時にはカウントダウンが『四日後』に変わってた。・・・私はね、きっと十月十八日の夜に、トンネルの中で迫り来る何かによって殺されちゃうの」

 「どうすれば、お前を助けられるんだ?」

 「分からない。・・・でも、夢の中で、血寄村って立て札が転がってるのが見えたの。多分その村は実在してるんだと思う。そこに行けば何か分かるかもしれない」

 「だったら、明日にでもその村に行こう!」

 真由美は首を横に振る。

 「何処にあるか分からないの。今日、学校の図書館で全国の地図帳を調べたんだけど、血寄村なんてどこにも存在しなかった。でも、必ずどこかにあるはずなの」

 「お前が見落としてるだけかもしれん。おじいちゃんも明日一緒に探してやるから安心せい。だから今日は何も考えずゆっくりお休み」

 「私の話、信じてくれたの?」

 「当然だ。信じるに決まってるだろ」

 「ありがとう。源五郎おじいちゃん」

 源五郎は照れ臭そうに鼻を擦った。

 「明日は土曜日じゃから、お前の学校が終わったら、一緒に市立図書館に行って色々調べてみよう」

 「うん」

 源五郎は明日の昼に、真由美を迎えに行くと約束し、部屋を後にした。時計の針は既に二十二時を回っている。

 一階に下りると、廊下を歩く道子と目が合う。

 「お義父様、お帰りになられるのですね。どうぞ、夜道の運転にはお気を付け下さい」

 道子は丁寧に頭を垂れて言った。

 源五郎はその言葉を聞いて、喉元まで出かかった言葉を寸前の所で呑み込んだ。

 息子の嫁からは、泊まって行かぬかと言う言葉が出るとばかり思っていた。しかし彼女の口からは泊まって行かぬかの「と」の字も出なかった。もし、泊まって行かぬかと申し出があっても辞去する心積もりであった。家に帰って自分なりに血寄村を調べておこうと考えたからだ。自分を厄介者扱いしているのは目に見えている。普段であれば、舅である自分に対して畏敬の念を持てと説き伏せるのだが、今はその時間すらも惜しく感じられた。

 「明日の昼に、真由美を迎えに行くから、その心づもりでおれ」

 「げっ。明日も来るの」

 思わず漏れた本音を誤魔化すかの様に、道子は両手で口許を塞いだ。しかし、源五郎の耳には入っていなかったと見て、そっと胸を撫で下ろした。

 戸口を抜け、カブに跨った源五郎は茫漠たる闇の中へと飛び込んだ。

 見ず知らずの村を探し出す為に、果たして自分には何が出来るのだろうか。

 帰路に就くまでの間、源五郎はその事ばかりをひたすら考えていたのだった。




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