息抜きのお相手として
「アレクセイ陛下のお相手? 私が?」
「滞在中、お姉様にお願いしてもよろしいでしょうか」
「よろしいでしょうかと言われても……」
入城した翌朝。
エマとアシュリーさんが揃って現れ、朝の挨拶にわざわざ来てくれたのかと思いきや。始まるまさかの願いに、さすがに戸惑ってしまう。
「困っちゃう?」
「そうね。説明もないのは困るわ」
「ごもっとも。つってもそんな難しく考えなくてもよくて、ようは息抜きに付き合ってやってほしいのよ。アレクの頭ん中って、どうすれば今より国を平和に出来るかってことで占められてんのね」
「国王陛下として素晴らしいのではないかしら」
「四六時中なのが問題なのです。それは寝ていても、夢の中までも」
続くエマいわく。
陛下は朝から晩まで仕事、仕事、仕事。外出する理由も、ほぼ城下町や近隣の村の見回りのため。
たまには遠乗りでもとアシュリーさんが誘っても、行き場所に国境付近や山中を選ぶため、息抜きではなく仕事に関連づいているとのことだった。
「城内をひとりで歩き回るのも、遊んでそうで結局はみんなの仕事ぶりを見たり、何か困ってないかを自分で見聞きするためなんだよねぇ……。だからって、ひとりで出歩いていいわけないんですが!」
「そんなに?」
「そんなにですよっ。でもって俺も知らない情報をどっかから仕入れてくるし、俺の行動もどっかから見てるんだからさぁ……! 恐ろしいわ!」
「アレクセイ陛下は情報通でいらっしゃるのね」
「マリーちゃんは捉え方が優しくていらっしゃる!」
伝わんねぇ……! とジタバタしているアシュリーさんを横目に、エマが再度続きを買って出る。
「執務中も、定期的に休憩は入れております。本人も疲れた、終わらないと泣き言を口にしながら机に突っ伏す場合もありますが……」
「言うだけで、本当に休むわけではないのね」
「お敏いお姉様。私室でも仕事はなさらぬようにとお願いしても、読んでいる本は仕事絡みです。休憩中に仮眠を取るようお伝えしても、目を閉じて考え事をされてばかりでは、とうてい休んだとは言えません」
「短眠者とはいえ休みは必要なのに、休み方を知らないっていうかさ。教育係として、そこは育て方を失敗した。昔から勉強好きでいつの日か平和をっていうあいつの考え、尊重しすぎたね」
「ご自身を責められなくても……」
「ありがとー。ぅんでも今は俺じゃなくて、アレクなのよ」
「ごめんなさい、それが分からないの。なぜ私を? 陛下のお相手なら、誰もが喜んで引き受けてくださるでしょうに……」
「アレクは、その手の女性に興味を示さないんだよねぇ。むしろ遠ざけたいって感じで、だから今も独身なわけですが。ぅんでも君は違って、エマちゃんのお姉さんだもん」
ああ、そういう……。
まったく面識のない女性といきなりお茶を飲まされるより、エマの姉である私なら陛下も変な意識をせずに済むのね。
「少しでも、女性との時間を陛下に経験させていただけませんでしょうか」
「そういうことなら……。ここに滞在して良いと許可をくださったんですもの。その恩返しになるのであれば、私も嬉しいわ」
「ありがとっ、超助かる!」
「お姉様も気負わず、陛下との会話を楽しんでいただければ幸いです。その際ですが、堅苦しい口調ではなくていいとお姉様から提案してくださいませ」
「さすがにそれは、失礼が過ぎるわ」
「失礼どころか、陛下がそれを望んでいるはずです。ただ自分から強請ってしまうと、お姉様が引いてしまわないか心配しているのではないかと。なので、提案という形で伝えてくだされば助かります」
「……国王陛下というお立場は、いろいろと大変なのね。失礼ではないなら、お願いしてみるわ」
「ではまた本日の午後、お声がけさせていただきます」
「陛下に、楽しみにしていますとお伝えしてちょうだい」
その気持ちに嘘はなかった。
(私が大商人の娘だろうと、国王陛下とふたりでお話なんて出来るものではないものね)
エマがこの国の騎士団員となり、アシュリーさんに嫁いだからこそ出来る経験に違いなく。
廃退の一途をたどっていたこの国を、ここまでの大国へと築き上げた陛下との会話には興味があったし、お茶会でありがちな噂話ではない会話も楽しめそうな予感もあった。
だけでなく、国王陛下という肩書があるだけで彼はとても自然体な好青年。緊張したり、国王と一対一でお茶だと意識せずに済みそうだった。
(どんなお話が出来るか楽しみだわ)
なんて、私もだいぶ気楽に構えていたのに。
午後になり庭園で出迎えてくださったアレクセイ陛下を見て、これは気楽でいられないと気が引き締まる。
「マリーツァ、急な誘いだというのに来てくれてありがとう」
「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます……」
片手を取られ、うやうやしく挨拶のキスを手の甲へ落とされる。
昨日と同じ、自然な優しさを感じ取れる仕草。ただ最初の印象とはまったく違う彼に、触れられている手が緊張してしまう。
「……どうかしましたか」
「え?」
「何か緊張されているようなので」
「あ……申し訳ございません。先日は、団員に追われて必死の形相で逃げてらしたでしょう? 服装も団員の服だったせいか、国王だと理解はしていてもあまり意識しないでいられたのですが、今は……」
正式な礼服ではない簡略化されている服にしても、団員の、あの動きやすさ重視なデザインとはまったく違う。
白を貴重とした服に陛下のカラーなのか、黒のマントは彼の緑の瞳を映えさせる役目を充分担っていた。
とくに今日は髪をひとつに縛っていないせいもあって、その黒に銀糸のような髪がサラサラと流れる様は、夜空を流れる星にも似た美しさがあった。
「お茶に誘って、制服ではさすがに失礼なので。ただ僕にとっても、制服が普段着なんです。一番動きやすく、城下町の見回りも制服で――……そのせいか、初めてこの国に来た商人や旅人に、この店はどっちの通りですか? と聞かれて、僕がそのまま道案内することにはなりますが」
「まあ、陛下自ら?」
「損ではないんです。案内している間、この国の説明も出来るし相手の話も聞ける。今、他国で一番の話題は何か。作物はどれだけ育っているか。流行り病が出ているとなれば、こちらに伝染った場合に備え、医師団に前もって相談も出来ます」
さすがの人物ね。
自分の時間を一秒も無駄にしていないのが伝わり感心している間も、陛下の話は続いていた。
「ただ、相手が気さくに僕の肩とか背中を叩き出すとエマが団員を引き連れて囲むので、相手をだいぶ驚かせてしまいますね。アシュリーにも、どんだけ気さくなんだ! って怒られます。何度注意されても、こればっかりは治せなくて……」
肩をすくめる様に、ふふっと笑ってしまう。
「陛下がそうして出歩けるんですもの。この国が平和な証なのでは?」
「そう言っていただけるのは嬉しいですが、まだまだです。過去の悲しみを忘れられない人もいる。その悲しみを僕は少しでも引き受けたいし、解消してあげたいんです」
「皆さん、陛下に感謝していらっしゃるかと……」
「僕は、その感謝にも応えたいんです。期待を裏切りたくはないんです。革命をした意味を失うわけにはいかないんです。それが革命児としての責任だと、僕は思います」
お茶を勧められ飲む間も、陛下は国益について、平和についてを話し続けた。
まだまだ頑張りが足りない。もっと精進しなくては。病院や学校も、もっと立派なものを。城下町だけでなく、近隣の村々にも目を行き届かせなくては。国境の整備もおろそかには出来ない。
話題は途切れないまま、陛下はこの国を案じ続けていた。
(あのふたりが心配になるわけね)
話をする前に覚えた緊張感はすっかり鳴りを潜めた代わりに、今度は心配という感情が入り込む。
(女性との会話が、こんな話題ばかりで駄目とは私も言わないわ。これだって、彼の本質だもの)
問題なのは、自分はまだ不甲斐ないと信じて疑っていない部分。
褒められて感謝はしても、きっと素直に受け取れてはいない。むしろ感謝されるからこそ、自分を追い込んでいる。
(自惚れないのは美徳でしょうけれど、さすがにこれは……)
私に与えられた役目の重要性も、ようやく理解できた。あのふたりが望むよう、なんとか政治とは関係ない話にしてあげないと。
そこまで考えて、今、自分がどこにいるかを思い出す。
「……アレクセイ陛下は、花はお好きでしょうか」
「綺麗だとは思います。でも、僕には花を愛でてる時間はありません。ここへ来るのも、何ヶ月かぶりです」
「こんなに立派な庭園なのにですか?」
「この庭園は、育った花を城内の必要な箇所に飾るため。あとは贈り物のひとつにしたり、僕の観賞用ではありません。贅沢な場所なのでなくしてもいいんですが、そうなると庭師の仕事が減ってしまう。だからもう少し、この花々を国益に繋げられないかと」
「花を国益に……」
「珍しい花の球根は、黄金と同じ価値が生まれますから。研究機関を園内に建て、新種を作り上げられないか研究者に話し合ってもらっています。ある程度固まって来ているらしいので、そろそろ僕とも情報共有が出来るのではないかと」
話を逸らすのは失敗ね。
さあ、どうしましょう。