マリーツァという女性(アレクセイ視点)2
「お願い、捨てないで! エマちゃんに嫌われたら、俺……!」
「捨てるつもりも嫌う予定も今のところございません」
「ほんとっ? ずーっと愛してくれる!?」
「そのためにも、改めて伝えさせていただきます」
「――!!」
エマが、アシュリーの顎を片膝で持ち上げる。途端に、彼が喜びで目を見開いたのが分かった。
「アシュリー様が誰とお茶をしようが食事をしようが、それを仕事として必要としている限り何も言うつもりはございません。過去を根掘り葉掘り聞くつもりもございません。ですが、聞いてしまえばやきもちは妬いてしまいます。浅ましいとは思いますが、これもわたくしです」
「うん……はい」
「わたくしがアシュリー様のものであるように、アシュリー様もわたくしのものです。何度も申し上げておりますが、精液をすべてわたくしで絞り出していただかなくては」
「……最後の一滴まで、全部君のものだよ」
膝が離れると、アシュリーはエマの手の甲に何度もキスを繰り返す。
「お願い、エマちゃん。今夜もそれを許して」
「許可いたします」
「ありがとう! 俺、すんごい頑張る! だからこのあんよで、またいろいろ踏んだり挟んだりしてください!」
今、そういうのがアシュリーの中で流行ってるんだ。
(いいんだけど……これ、姉としてはどう見るんだろう。ドン引きしてない?)
ちろっと見たら、マリーツァは微笑ましいとばかりに、にこにこと見守っていた。
「許容範囲なんですね」
「夫婦が平等なのは素晴らしい関係性だわ」
「あれが平等に見えると」
「普段のアシュリーさんは騎士団長として素晴らしく、エマの良い夫であり、エマもそんな彼を慕い従順なのですよね?」
「その通りです」
「ならばこそ、ああして互いの関係性を確認しあい愛が深まるのであれば、それは良いのではないでしょうか。とくに夜の営みに関しては、ふたりの間でのみ行われる行為。周囲に迷惑をかけていないのなら、これも問題ないのではないかと」
騎士団員は別として。自分の考えを明確に口にする女性は、僕の周りにいなかった。
こんな女性もいるんだと驚きもしたし、マリーツァのものの捉え方は、僕にとって興味深い視点だった。
「ですが、今はあのままでいられると話が進みませんものね。――エマ、部屋を貸していただけるだけで充分なのよ? 私の世話などさせて、貴女の時間を割かせてしまうのは申し訳ないわ」
「心配なさらずとも、一日中お姉様に付き従うつもりはございません。基本的に一日数回、お声がけさせていただく程度です。それ以外の時間は、どうぞ好きにお過ごしください」
「アシュリーさんも、本当にそれでよろしいの? エマは、あなたの補佐役でもあるのでしょう?」
「問題なーし。姉妹水入らずの時間を作るんでも、エマちゃんの仕事ぶりを見るんでも、お好きにどうぞの気持ちよ」
うまく話が戻り、時間も時間だ。そろそろお休みの準備をと、エマが廊下に控えていたメイドに指示を与える。
「食事も今後、部屋で済ませられるようにいたしました。誰にも気を使わず、どうぞゆっくりお休みください」
「ありがとう、エマ。アレクセイ陛下、アシュリーさんも、しばらくよろしくお願いいたします」
「はい……――あ、マリーツァ」
国王陛下らしい挨拶をしないとと、彼女が出て行く直前、慌てて呼び止める。
「貴女がこの国に立ち寄ってくれて、僕も嬉しいです。どうか、グーベルク国を楽しんでください。女性に……貴女に喜んでいただけるのは、僕にとっても喜びです。困ったことがあれば遠慮なく」
そっと手を取り、白い手の甲へ挨拶のキスを贈る。
そのまま彼女へ視線を合わせれば、ほんの少し驚きで見開かれた瞳。でもそれはすぐに、ふわり、優しい笑みへと変わる。
「はい、アレクセイ陛下」
では、と退出したマリーツァ。
微かな残り香と甘い余韻が脳内を占め、ふわふわとした気持ちのままエマに尋ねる。
「……僕、マリーツァをお茶に誘って平気かな」
「陛下に誘っていただけるのは光栄かと」
「でもさ、離婚したばかりの女性を独身の僕が誘うって、女性側としては不謹慎とか不誠実だとか思わない?」
「普通であればそうかもしれませんが、姉が離婚を突きつけたのです。両親も認めたのであれば、問題などございません」
「エマ的にも?」
「姉をお茶へ誘っていただけるのは、わたくしとしても光栄ですが」
「うん、そっか。……ならあの、なるべく早いうちにセッティングしてもらえると……マリーツァ、花は好き? 庭園、今の季節が一番見頃だったよね。そこでどうかな」
「実家では趣味として花を育てていた姉なので、間違いなく喜ばれるはずです」
「なら庭園で。あとは、どういう話題なら喜んでくれるんだろう。他の趣味はある?」
「読書や刺繍といった、基本、ひとりで過ごす時間を好みますが……姉をそこまで気にかけてくださりありがとうございます。やはり陛下はお優しく」
「優しいとかじゃ……。ほら、僕も他国の話を直接聞けるいい機会だし」
「――というのは建前で」
割り込んできたアシュリーの台詞に、ぎくっと肩が跳ねる。
「お前、わっかりやすぅ」
「な、なんのこと?」
「そんな誤魔化ししてないで、マリーちゃんに興味があるって素直に言いなさいよ」
「興味ですか? それはどういった部類なのでしょうか」
「え、や、あの……」
「女性として興味があるんだよねー」
「ああ、姉の胸にですか」
「エマ違う! ――とも言い切れない! どうしよう!」
アシュリーにはとっくに見破られていた事実とエマの指摘に、一気に耳まで熱くなる。
「だって、すっごい柔らかくて! 胸だけじゃなくて全体的にふわふわしてて、いい匂いで、歳上なのに可愛いっていうか……! こんなんじゃ僕、アシュリーを変態扱い出来ないよ!」
「ちょっ、おま! いきなりなに言ってくれてんの!? つか、人を変態扱いしてたわけ!?」
「川で、ほぼ裸に近いエマにいきなり抱きつくなんて変態としか……! 僕も同じような状況だし!」
「陛下は投網のせいなので、変態ではございません」
「俺だって違うもん!」
「川でのアシュリー様は変態でした」
「なんでー!? 俺の一途な愛を、態度で表しただけなのにぃ……!」
僕らが頭を抱えている中、エマだけが冷静さを保っていた。
「陛下が姉に対して、恋愛感情を覚えたという認識でよろしいのでしょうか」
「……好きだなとは思っても、それってその……」
「胸に顔を埋めた際の驚きを、恋と勘違いしてないか心配なのですね」
「うん……」
「では、顔は好みでしょうか」
「綺麗な人だよね。でも僕、顔よりあの瞳の色が忘れられないんだ。僕だけのものにしたいっていうか……」
「体つきはいかがでしょう」
「コルセットしてない女性って、みんなあんなふうに柔らかいの?」
「それは人によるでしょ」
「そうですね。わたくしはコルセットをつけませんが、柔らかい体ではございません」
「俺はそういうエマちゃんが好きです! あと柔らかい部分もあります! おっぱいとかおっぱいとかおっぱいとか! 俺、エマちゃんのもっちもちでばいんばいんのおっぱい大好き! 引き締まったあんよも大好き! 全部好き!」
「だそうです陛下」
「これっぽっちも参考にならなかった……」
「であるならば性格は、といってもまだ知らないに等しいかとは存じますが」
「落ち着いた感じがいいし……自分の考えをはっきり言う女性って素敵だよ。昔から?」
「そうですね。要所要所で、はっきりと告げる方ではありました」
うんうんと頷き、ますます気になるのは晩婚なうえ離婚もした件だ。
「別れた彼と、愛がなかったって言ってたよね。なんで結婚したのかな」
「そもそも姉は、わたくしとはまた違う意味で結婚に興味を持っておりませんでした」
「エマちゃんは騎士になりたいからって理由でしょ? マリーちゃんは?」
「至極単純に、興味がなかったのです。陛下のようにお見合い話をことごとく断り、婚期もとっくに過ぎた頃、ようやくという具合でした」
「どういう心境の変化で?」
「両親の願いを叶えるのも長女の努めだと、折れたのです」
なるほどと頷けても、問題もある。
「その結果が離婚なら、結婚なんて二度とごめんだって考えになってるんじゃ……」
「結婚にというより、自分が結婚に向いていない女であると結論づけた可能性はございます」
「僕が相手で考え直してくれるかなあ……」
「つか今のお前、マリーツァっていう女性に興味津々って答えでまとまらね? 結婚前提に付き合いたいって、自分で口にしてるじゃん」
「です……」
自分でも話しているうちに、薄々どころかはっきり自覚してた。
だって僕は、こんなに女性へ興味を持ったのは初めてなんだ。
「そう、初めてなんだ。なのに、なんでアシュリーは僕より先に僕の気持ちに気づいたの?」
「確かにそうですね。わたくしも傍にいて、気づけませんでした」
「俺がエマちゃんにくっついている間、アレクはずっとマリーちゃんばっか見てたもん。でもって、アレクが女性をそんなに見続けるなんて初めてだし。だからまぁ、そうなのかなーって」
「お敏いアシュリー様」
「うん、さすがだ」
「おーい、なに他人事みたいに言ってんのよ」
「他人事っていうか、正直驚いてるんだよ。だって僕、お見合いなんて嫌だって全力で逃げ出してたんだよ? それがいきなりこれって…………これって、初恋だよね?」
「自覚した時点でそうなんじゃね?」
「……うん。はい、恋です、しました」
「ぅんじゃ、初恋を成就するためにどう攻めましょーね。エマちゃん、もうちょい情報もらえる? 結婚に至った詳しい経緯とか、相手の男についてもさ。失敗例があるなら、そうならないようにするのがまずは大事じゃん」
「姉も年頃を過ぎれば見合いの話も減り始めたのですが、両親は根気よくあちこちへ手紙を送っては、その手の席を設けようと努めておりました」
「あ、わかった。そういう姿を見て、さすがにマリーちゃんも申し訳ないってなったわけだ」
「そのとおりです。二年ほど前、貴族のサミュエル = ベッタリーニという方から両親宛に手紙が届きました。一応、貴族であるという程度だったのですが……女性としては行き遅れている姉でも大事にすると、かなり熱心な手紙を父に送ったそうです」
「マリーツァをどこかで見初めたのかな」
「彼いわく、姉が両親の代わりに参加した慈善パーティーでだそうです。両親にこれが最後だと強く願われ、姉もさすがに折れた次第です」
「エマは会ったことある? 印象とかは?」
「姉を迎えに来た際、我が家に滞在いたしましたので。印象は……よく言えば穏やかな雰囲気の方。悪く言えば、特筆すべき点がとくにない方、でしょうか」
これだけ聞くと地位がある者同士の、お見合い結婚としてはよくあるパターン。
首を傾げるのは男側が見初めたという割に、マリーツァを相手にしていなかったという部分だ。
「エマ。嫌なこと聞くけど、もともとウィルバーフォース家の財産目当てだったりは?」
「それはもちろん、両親も話し合ったようです。いくら大商人で、自国の国王に対して発言力のある家とはいえ、弱小だろうと相手側が貴族であるのも事実。位で言えば相手のほうが上なのに、なぜ格下の……しかも適齢期はとっくに過ぎている女性に求婚するのか、と。ですが父も母も、お金ではないという彼の熱心さを信じたのです。それだけに、今回の借金打診は両親を怒らせたに違いありません。弁明したところで、許されはしないかと」
「てことはあれだ。アレクが誠心誠意迫れば可能性はあるってことで……分かってんね?」
「僕の頑張り次第でしょ? まずは王道に、プレゼントはどうかな」
「内容にもよるよ。マリーちゃん、イヤリングもネックレスもつけてなかったじゃん。さすがに普段遣いの装飾品は売れないだろうから置いて来てないだろうし、単純に興味がないんじゃね?」
「さすが、よく見てるね。僕、そういうのは駄目だなあ……」
しばらくああでもない、こうでもないとアシュリーと話し合っている間。エマが、ひとり黙り込んでいるのに気づく。
「何か問題ある?」
「問題というか……まずは陛下の側室として迎えてみてはどうかと」
「おっ!? またえらいとこに着地したね!」
「ほんとだよ。妹としてそれはいいの? 普通、伴侶にとかじゃないのかな」
「いきなり伴侶にと願ったところで、姉はご冗談をと笑うか、ばっさり断り面倒はごめんだとすぐに帰国するかの二択になるかと。ならば側室のような伴侶ほどの制約がない関係性になり、そこから伴侶にと願うのが順当かと」
「あー、そういうことね。ぅんじゃ、やっぱりまずはお茶に誘うのが正攻法か」
「そうですね。陛下も、マリーツァという女性を見るのも必要なはずですし、姉にも同じことが言えます」
「……分かった。今回の件、君たちに一任するよ。僕はこういうのに関しては不慣れだし、せめてもう少しコツを掴めるまでは……。あと、僕が直接誘うと国王陛下の誘いは断れないって身構えるかもしれないしね」
「りょーかい。最終的には、側室の件も絶対にオッケイの返事もらってきてやるから期待してな」
「そこも無理強いはしないで?」
「しないしない。しないけど、ようやくお前が頑張りたいって相手が現れたんだ。俺も頑張らないとでしょ。俺とエマちゃんの時、応援してくれたお前だもん」
「わたくしも妹として、ありとあらゆる手は尽くさせていただきます」
「うん、ありがとう」
これで話は終わりかと席を立とうとした僕の肩を、アシュリーが、がっ! と掴んで押し戻す。
「何事!?」
「いいか? 他国のお偉いさんとか、貴族との会食と同じ感覚で仕事の話はすんなよ。お前、そういう場でも女性相手に小難しい話してんじゃん。一対一の席でそれやられてみろ。普通にドン引きするぞっ」
「そしたら僕、何話せばいいの?」
「庭園にいて、花の話をしようってならないお前のほうがどうかしてんの! ただでさえ、お前は仕事中毒なんだ! 好きな子と一緒にいるなら、その子のことだけ考えなさいよ!」
「ご、ごめん! なさい!」
そこからは、女性と一対一の時に好まれる会話例という、慣れない勉強が始まり。ようやく解放されてへろへろになりながら私室に戻れば、急に得体の知れない緊張感に襲われ出す。
(僕、どうなるんだろう)
国政と違って先が読めないし、予想もつかない。
「まったくの初体験だし、アシュリーとエマに頼ってばかりになりそうだなあ……」
でも、ずっとそれじゃ駄目なんだ。いつか、自分から行動出来るようにならないと。
そのためにも誠実に、必要ではない嘘をつかないように。僕を知りたいと思ってもらえるよう、用意された場を大事に使わせてもらわないと。
「頑張ろう」
胸に手を当て何度も深呼吸しながら、シンプルにそう心に誓っていた――。