罪も罰も2
がっ! と背後から首を羽交い締めされてしまう。
「マリーツァ!」
「これだから馬鹿は……!」
「お姉様を離しなさい!」
近くにいたはずのアシュリーさんもエマも、サミュエルがまさかこんな行動に出るとは予想していなかったのだろう。
三人一斉に剣を構えてくれても、すでに私は彼の腕の中だった。
「お、俺は……俺は、こんなところで終わる男じゃないんだ! お前たちは金と馬車と、全部用意しろ! いいかっ、余計な動きも起こすなよ! しようもんなら、マリーツァの首の骨を折る!!」
ぐっ、と腕に力は入り顎が上がる。
苦しくとも、まだ話せるうちに話をしなければ。
「っ……サミュエル……」
「なんだ!」
「お願いよ……アレクセイ陛下に謝罪を……。私も一緒に謝るわ。だから――」
「うるさい! ったく、なんのために年増を嫁にしたと思ってるんだ!」
耳元でがなり立てる声に、苦しいだけではない痛みが走る。
「だがまあ、最後の最後で役立ってはくれたなっ。町での噂、俺は聞こえてたんだよ。お前、国王陛下に見初められたんだって? だからお前に会って、金を貸してもらえるよう頼もうとしたんだっ。まさか、グーベルク国の国王が年増好きとはな……!」
腕の力が増して、苦しさで彼の腕に手をかける。
振りほどくつもりはなく、懇願でのことだった。
「……私たちに、っ、愛はなかった。けれど、私はあなたを嫌いではなかったのよ。あの時、一緒に考えてと願ってくれていたなら……私の提案を受け入れてくれていたなら……また違った未来が待っていたかも知れないのに……」
「うるさいと言っているだろう! お前はいつもいつも、そうやって綺麗事ばかりを……!」
この人は私の言葉を、願いを、綺麗事としか捉えてくれていなかったのね。
道があるはずと希望を持っていたのは、私だけだったのね。
(冷たい人でも、恐ろしい人でもなかったのに)
夫婦として成り立ってはいなくても、時々、笑いあえる会話も出来ていた。
愛はなくとも、何も起きなければ妻として、私はこの人の傍で一生を終えていたはず。これが自分の選んだ道として、歩めていたはずなのに。
今、その道を歩み直したい気持ちはなくとも、新たに枝分かれした道がこれで良いはずがなかった。
(変わってしまったのを、気づいてあげられなくてごめんなさい)
それこそ綺麗事だと言われても。
黙るしか出来なくとも、なんの感情も持たずになんていられなかった。
「お姉様を離しなさい、サミュエル!」
「アレクは許したってのに、愚かが過ぎるだろ!」
「うるさい黙れ! お前らも剣をおろすんだ! でないと、こいつがどうなるか……!」
「くっ、ぅ……!?」
腕が、さらに首を締める。一瞬息が出来なくなり、むせることもできない苦しさに生理的な涙が浮かんでしまう。
三人が、どうすれば、と視線を交差させたのが見えた。
サミュエルは剣を持っていなくとも、彼の腕は間違いなく私の首にかかっていて、力を込めれば息を止めるぐらいは出来てしまう。
この部屋には私たちしかおらず、エマたちが廊下に控えている団員に助けを求めようにも入り口は遠い。声を張り上げれば聞こえるはずでも、そんなことをしたらサミュエルをさらに刺激する。
だから、助けたくても助けられない。でも、剣を下ろすわけにもいかない。
(私がこの状態だから……)
例えば私が訓練された者であれば、この腕を引き剥がすなど簡単だった。
腕力も剣の腕前もない私がここで出来ることなんて、無様に泣け叫ばないぐらいしか――。
(っ、いいえ……)
玉座の背後の壁。タペストリーが涙で滲んだ視界に入り、そうだ、と。力のない私にだってここで出来ることはあると、気づかされる。
まず、アレクセイたちに考える時間を作ってあげること。私がひとりで逃げ出せるかもしれない場所に、サミュエルを誘導すること。
『僕が貴女を守るのは当然という前提で、マリーツァも何かあったら戦うのではなく、逃げるほうを選んでほしいんだ。貴女も自分の命を守って。僕のために死のうなんて思わないで。僕も貴女のためにも生きるから』
約束したんだもの。
私は私の命を守ると。あなたたちのために、生きると。
「おい、何を考えてる! 早くしろ!」
サミュエルも催促しつつ、じりじりと入り口に向かい出していた。人質がいれば逃げおおせると考えてのことだとしても、このまま廊下に出れば、彼は間違いなく団員たちに取り囲まれる。
そうなってパニックになった彼がどうするか、どうなるのか。
どの予想も悲しい結末にしかならなかった。
(今こそ私は、自分で自分の命を守らなくては)
彼も正しく贖罪され、罪を償わなくては。
「サミュエル、っ……廊下は、駄目よ」
「なんだと?」
一か八かの賭けにはしないよう慎重に、アレクセイたちにも私の真意が伝わるように言葉を選ぶ。
「ドアの向こうで待機している団員が……私たちを囲むのは間違いないわ」
「だからどうしたっ。こっちにはお前という人質もいるんだ!」
「……離れた所から、あなただけを射られたら……?」
「っ、そ、それは……」
「まずは……安全な場所で、逃げる準備が出来るのを待つべきだわ……」
「そんな場所がどこにあるっ」
「この部屋に……万が一を考えて、逃げ道が……」
一定の距離を保って私たちから離れないようにしていた三人が、ぴくっと反応した。
「今のは本当か! エマ、お前が答えろ!」
「陛下」
「緊急事態だ。教えて構わない」
許可を得て、エマがすっと指差したのは玉座。
「玉座の後ろ。タペストリーの裏に、扉がございます」
「よ、よしっ。ならまずは剣を一本、俺に向けて滑らせろっ。他の二本も、反対の入り口側に投げるんだ!」
最初に構えを解いたのは、アレクセイだった。
目を閉じ何度か深呼吸をし、その場に片膝をつく。
「アシュリー、エマも続いて」
「……承知」
「かしこまりました……」
アレクセイが自分の剣をサミュエルへ向けて滑らせると、ふたりは入り口側へ。
「お前が拾えっ」
一緒にしゃがまされ、剣を取ればすぐにそれは奪われる。
「いいか、お前たちはそこを動くなよ!」
ずるずると後ろ向きに引きずられ玉座への階段を登り始めると、追いかけてくるアレクセイの声。
「待ってくれ」
「なんだ!」
「そこは上の屋根裏に続く部屋があるだけで、逃げ道とはいえない。あくまで、数日身を隠すための隠し部屋なんだ」
(え……?)
そんなはずない。
アレクセイはどの道も必ず、逃げられるように出来ていると……。
「だからと、僕らがあなたに手を出せないのも間違いない。そこで提案なんだが、僕と交渉の時間をもらえないだろうか」
「は、ははっ。グーベルク国の国王陛下が、俺と交渉したいと願うとはな! いいとも、聞いてやる!」
「感謝する。……まず、扉には内側からも開けられる小窓がある。扉は開けずに会話も出来るから、そこでどれほどの金を用意したらいいかを10分後、教えてほしい。馬車も用意するし、お前の望む場所まで走らせる。金は、国境でマリーツァと交換でどうだろう」
「いいや、金が先だ。馬車に積んでおけ。マリーツァは国境を抜けてから、俺が決めた場所でおろす。そこまでもそれからも、追いかけてくるな」
「……分かった」
「話は終わりだな」
「もうひとつ。僕にとっては何よりも重要な交渉だ」
「なんだ、言ってみろ」
「マリーツァを傷つけるな。傷つけないと約束し、そうしてくれたなら、逃亡先での生活も保証しよう」
「おお、いいとも! その程度で一生遊んで暮らせるなら、お安い御用というやつだな!」
今度こそ話は終わりだとサミュエルは玉座の裏に回り込み、乱暴にタペストリーをめくり上げた。
「よしっ。お前たちはもっと離れてろ!」
手にした剣で追い払う仕草を見せて、扉の中へ。石の階段が螺旋状に上へ伸びていて、先は見えない。
ぎぎっと軋んだ音を立てながら扉が閉まるまでの少しの間、アレクセイと視線が重なる。
(アレクセイ……私は大丈夫よ)
その気持ちを込めて見つめ続けると、彼が頷きで答え。
ずしんっと重い音を立てて扉が閉じ、サミュエルは急いで閂をかけた。
「よし、先に進め」
暗く狭い階段を上り、たどり着いた小部屋。
(もう夕暮れになっていたのね……)
天井近くの窓から差し込む眩しさに目を背けた先に、ワインや乾物類の箱。
どの箱にも日付が書かれていて、数日隠れられるのもどうやら本当のようだった。
「いくらでも金を用意するんだったな。まずは借金の返済額、逃亡先を決めるまでの資金。あとは……」
ぶつぶつと呟いていたサミュエルが、私を睨む。
「そういやお前、なんで俺に助言なんてしたんだ」
「……無計画は危険だからよ。私は、この国の人たちに迷惑をかけたくないの。まるで何事もなかったようにとはいかなくても、被害は最小限に済ませたい。それには人質の私が、ある程度協力するのが一番でしょう?」
「ふんっ。相変わらず、自分は頭がいいみたいな物言いをっ」
「……ごめんなさい」
「そうやって、すぐに謝るのも気に入らなかったんだよ! 俺ばかり悪者みたいにしやがって!」
「…………」
私が何を言っても癪に障るなら、黙るしかない。
(今は、この人から逃げる方法を考えないと)
改めて振り返る、さっきのアレクセイの言葉。
アシュリーさんもエマも教えてくれたのだから、間違いなくここには逃げ道があるはずなのに、どうしてあんな嘘を?
考えがあるのは間違いないなら、その考えが何かを自分で手繰り寄せなくては。
(どこかにヒントは……)
サミュエルは机に置かれていた紙と炭とで、生涯に必要な金額を書き込んでいて私への関心はとっくに失せている。
今なら、室内を目のみで物色しても怪しまれない。
それでもこっそり、どこかにまだ隠し扉でもないかと見回してもそれらしい場所はなく。
(残るは窓だけれど……)
普通、窓の外は急勾配な屋根があるだけで、逃げ道が続いているとは考えにくい。
それでも他にないのだし、念の為と少し背伸びすると窓の向こうに見えた屋根。そこに傾斜はなく、平らな道が見えた。
(もしかして、屋根がどこかに続いて……?)
ここは外への逃げ道ではなく、別の塔に続く道がある部屋だとすれば合点が行く。
アレクセイが逃げ道はないと言ったのも、私がひとりで逃げ出せる場所ではないと、サミュエルを油断させるため?
(どうにかして、あの窓から外へ……)
アレクセイのことだもの。助け出す際、私がここを逃げ出せていない可能性も考えてくれているはず。だとしても、彼が一番としているであろう計画を壊してしまいたくなかった。
となるとまず考えないといけないのは、どのタイミングで逃げ出すか。
サミュエルが目の前にいてはすぐに捕らえられるどころか、後ろから切りつけられて一巻の終わりだわ。
もう一度、アレクセイの言葉を脳内で反芻させる。
(……そうだわ。アレクセイは、扉に小窓があると。中に誰かを入れるのではなく、扉越しに話をしたいと……)
もしかして、私をひとりにする時間を作るために?
内側から閂をかけたのだし、サミュエルも話し合いへ私ひとりを向かわせるはずがない。そんなことをしたら私が逃げ出すぐらい、この人だってさすがに分かってる。
でも私を連れて下に降りると言い出したら、どうすれば?
(気分が悪いとでも言って、残してもらえるかしら。わざと泣きじゃくって、会話の邪魔だと置いて行くよう仕向けるのも……)
そもそも、私を連れて行こうなんて考えないかもしれない。下の扉はかなり頑丈で、そう簡単に壊せるものではないとサミュエルだって分かっているはずよ。
あれこれ思案にくれていると、「おい」と呼ばれて顔を上げる。
「ひとまずの逃亡先を決めた。お前の国だ。ついてこい」
「……なぜ?」
「お前の両親からも、金をふんだくるために決まってるからだろ。娘可愛さに、いくらでも出してくれるだろうしなっ」
優しい両親は、望まれるがまま出すでしょう。
けれど決して、そのままで済ますような人たちでもないの。アレクセイたちもそう。
まだ気づかないの? 優位に立てているのは、もうあなたではないのよ。
「心配するな。ちゃんと解放もしてやるさ。欲しい物が全部手に入った後にでもな」
「……働いて、借金を返す気はないのね」
「一生暮らせるだけの金が手に入るんだぞ? なんで働く必要がある。俺の羽振りがいい時には近寄ってた奴らにも、目に物見せてやるっ。俺が借金した途端、離れて行きやがって……何が友だちだっ」
「違うわ。あなたを友だちだと信じていたのに、言い訳ばかりで貸したお金を返してくれないから、みんな残念だと離れたのよ。それでも時々、様子を伺う手紙をくれる人たちもいたわ。今からでもちゃんと謝罪をすれば――」
「うるさい!」
ぱんっ! と乾いた音が響く。
音よりも頬が痺れる感覚に、ようやく叩かれたのだと気づいた。
「そうやっていつもいつも正論を言って、俺を見下しやがって!」
「…………」
やっぱり私は正直過ぎるのね。
でも、誰かが言わなくては相手も知らないまま進んでしまう。私だって、誰かが諭してくれるから正しい道を歩めるの。
(サミュエル、あなたも本来は――)
どんどん! と、階下から音が響いて、ふたりしてはっとする。
「もう10分経ったか」
「……たぶん」
様子を見てくる、と彼はひとりで階段を降りていく。
私を置いて行くか、すぐに戻ってくるか。階段の下り口で耳をすませば、微かに話し声。サミュエルの満足げな笑い声も聞こえ、金銭の話が始まったと判断出来た。
(今のうちに……!)




