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全力で逃げてたら投網(アレクセイ視点)

「――陛下、いい加減になさってください」


 夕暮れ時の、午後の執務がそろそろ終わろうかという時間帯。

 騎士団長補佐のエマが「本日最後の仕事です」と目の前に置いた書類を見て、またこの時間が来たと痛む胃を押さえつつ、一応は口ごたえしてみる。


「だって見たくない……」

「だって、ではありません。この世の女性すべての履歴書を、わたくしに用意させるおつもりですか。いえ、それで伴侶を選んでくださるのであれば、わたくしは喜んでかき集めてみせましょう」

「さすがにこの世の女性すべては無理じゃないかな……」

「わたくしは、アシュリー様にお約束いたしました。必ず、陛下に伴侶を見つけてみせると。その約束を反故ほごにするわけには参りません」

「僕は許すよ?」

「これに関して、陛下に許しを得たいと思ってはおりませんので」

「…………」


 駄目だ。

 僕にも罪悪感があるせいで、こういう場面でのエマにはどうしたって言葉負けする。


(足技とかでも負けるけど……)


 エマ = ウィルバーフォース――もとい。エマ = オルブライトは、騎士団員としての剣の腕前もさることながら、足技が非常に長けている女性だ。

 18歳とまだ若くはあるが、その強さやビジュアル、性格から何まで、とにかく全てを見初めたグーベルク国全騎士団長の伴侶になり、補佐になった女性でもある。


 頭上でキリッと一本に結んでいる長い黒髪と、漆黒オニキスの瞳。滅多に喜怒哀楽を表情に出さず、丁寧な口調。さらに180センチはあろうかという背の高い彼女から冷え冷えの視線を送られると、僕でも身をすくめてしまう。


「さあ、目を通してください。年上も候補にという決定により、今回も年上を混ぜております」

「……どうもありがとう」


 一枚目の内容をしっかり読んだうえで、そーっと×をつける――と、エマの背中にほむらが見えたのは気のせいじゃない。


「グーベルク国の国王陛下ともあろうお方が、このまま一生童貞を貫くおつもりですか!」

「大事なのはそこじゃないでしょ!?」

「大事に決まっています! 童貞であるならば、子も成せないではありませんか!」

「結婚は、子供を作るためだけの儀式じゃないよ!」

「耳触りの良い台詞ではありますが、当の本人が結婚から逃げているのが丸わかりなだけに、心に響きもいたしません!」


 力加減がおかしくなっているのか、エマの持っているペンがミシミシ音を立てるどころか、ベキッ! と折れた。


(怖い! エマが本気出すと、ほんと怖い!)


 国王が側近を怖がるって、この国大丈夫!?

 僕も革命の最中さなか、「静寂狂乱モノクロームノイズの王」なんて二つ名がついたぐらいには、敵側には恐れられた男なんだけど。今も、出るとこ出れば怖がられる存在のはずなんだけど。


(アシュリーも最近、こういう時は我関せずになったもんなあ……)


 ソファーで、別の資料を読んでいるアシュリーを盗み見る。

 月光を集めたと称されるふわふわの金髪に、子猫キトゥンブルーの瞳。160センチ程度と小柄で笑顔も愛らしいからか、28歳になった今も天使と称される彼こそが「切断劫火グレネイドディバイドの騎士」の二つ名も持つ、グーベルク国全騎士団長、アシュリー = オルブライト。

 僕の一番の側近で、大事な幼馴染のお兄ちゃんで、エマの伴侶だ。


「……ねえ、そろそろ助けてよ」

「無理ー。これに関してはエマちゃんが適任だと預けちゃったし、そうでなくても俺もエマちゃんの意見に超賛同。マジで各国の女性全員と面談しないと駄目か? ってとこまで来てんのよ」

「自然に任せるのって、そんなにいけない?」

「任せた結果、25歳になっても童貞じゃん。つかね? いきなり伴侶が嫌ってなら側室そくしつでもいいって、こっちはだいぶ譲歩したのよ? それすらも選ばないのはお前でしょうが」


 正論に胸が痛いと呻いていると、アシュリーがようやく書類を置いた。


「これでお前が一般人なら、そういう人生もありじゃね? で、終わらせられるかもなんですが。国王陛下ともなると、呑気にはいられないわけよ。ってのも、俺は何度も言ってんのよ」

「僕だって何もしてないわけじゃ……」


 とはいえ女性を見る回数を増やしてはみたものの、結果はご覧のとおり。

 じゃあ履歴書から誰かっていう気持ちにも、なかなかなれない。


(この手の内容って大差がなさ過ぎて、逆に選べないんだよ)


 趣味も特技もダンスとか、そんなのばっかり。

 性格だって、おしとやか、清楚の文字は見飽きた。


(せめて明るいとか活発とかあればいいのに、皆無かいむって。畑仕事を一緒にしてくれるぐらいの人がいたらなあ……)


 もちろん、ダンスが得意でおしとやかが駄目ってわけでもない。おしとやかと書いてあるだけで本当は活発なのかもしれないし、話せば趣味が合うかもしれない。

 会ってみなければ判断がつかないのも承知してる。


(結局、僕の我が儘なんだよね)


 結婚したい気持ちはあっても、理由をつけては伴侶探しから逃げてばかり。

 その理由も明白で、僕の人生において重きがそこじゃない、それだけだ。


(僕には、やらなきゃいけないことがまだたくさんあるんだ)


 国民のすべてが、グーベルク国に生まれてよかったと思ってほしい。

 他国もうちを見て、我が国もこうなりたいと願ってほしい。

 犯罪数を今よりも減らし、安心安全な国だとなれば流通もさらに広げられる。

 豊富な温泉を使った観光施設はまだまだ整えたいし、アシュリーが復活させてくれたタイル細工の観光資源も今以上、良いものにしたい。


 もちろんこのふたつに頼り切らず新たな名産品も生み出して、さらに安定した収入を確保したい。

 国益が豊かであればあるほど国民も安心して暮らせるし、民に生きる喜びがあってこその正しい国だ。


(貧しくて辛くて苦しくて飢えて死ぬなんて、二度とあってはいけない)


 過去、この国がそうであり。そんな実情を終わらせたくて革命を起こした僕が、当時の国へ戻すわけにはいかないんだ。


(幼かったあの頃とは違う。今の僕には、その力がある)


 王族とはいえ王位継承権の末席で、目の前で小さいせいも大きな生もついえて行くのを助けられなかった、あの頃の僕とは。


 貴族は自分の私腹を肥やそうと悪巧み、他人を蹴落とすのに躍起になっている時代に僕は生まれ。そんな時代でも両親は一般人の感覚が強く、こっそりと弱者を助ける人たちだった。


 堂々と手助け出来なかったのは、力のある貴族にそれを知られてしまえば自分たちの命どころか、僕や助けた者たちの命が危ぶまれるのを知っていたからだ。

 そんな両親を見て育った僕も一般的な価値観を知れたし、良くも悪くも平等も知れた。


(突然、国王陛下にって選ばれたのには驚いたけど……)


 前国王が病気になり、余命幾ばくもないとなった時だ。

 それまで実権を握り我が物顔で国と民を使役していた貴族たちは、次代も自分たちの意のままに操れる国王をと画策。


 幼くおとなしかったこともあり、一番言うことを聞かせやすいだろうと僕が選ばれ、早いうちから城で生活をさせられた。それなりに贅沢をさせ、ある程度不自由なくさせておけばこれまでどおり問題ないと考えたわけだが、結局これが貴族にとっての大誤算。


 成人し、正式に王位継承権を与えらた僕は、それまでの「おとなしく使い勝手の良い子ども」ではなくなった。


(アシュリーたちもいてくれたおかげでね)


 貴族たちから「次期国王陛下に」と望まれ、両親は本当なら断りたかった。だが、断ればどうなるかも嫌というほど理解もしていた。


 考え抜いた末出した結論は、武術に秀でていると有名なオルブライト家の人間を僕の傍にと呼び寄せること。

 そこのひとり息子がアシュリーで、彼は僕の話を真剣に聞いてくれて、革命を夢物語にしては駄目だと言ってくれた最初の人。


 彼の父親たちも加わり、月日をかけた綿密な計画のおかげで城を制覇するのにたいして時間はかからず。そこからさらに年月をかけ、グーベルク国は大国の仲間入りも果たせた。


 革命を成功させるため苦労をかけたアシュリーに伴侶も見つかって、結婚に対して僕も達成感を覚えてしまったのもある。

 他にも国民の笑顔を見ていると、僕自身の幸せよりも、なんて考えもあった。


(その国民の願いが、もっぱら僕の結婚になってるのがね……)


 僕の考えを理解してくれる女性がいればすぐにでもという気持ちがあっても、こればっかりは卓上の論議からの署名とは違うわけで。

 解決の目処がつかない難題に項垂れていると、アシュリーがしれっと爆弾を落とした。


「まぁ、さすがにね。こっちもマジもんで行こうってことで、今日決めちゃおう」

「何を?」

「伴侶候補。側室そくしつでも可」

「は?」

「こちらになります」

「え?」


 ドサドサと、新しい履歴書が目の前に積まれる。


「お選びください。この中になければ、追加をお渡しいたします」

「……僕、さっき渡されたのも全部見てないよ?」

「そうねー」

「この束を見終わってもまだあるの?」

「まあねー」

「どれぐらい?」

「倍はございます。本日中にご確認いただき、さらには丸をひとつはつけていただきます。本日以降、執務の最優先順位はこちらです。終わらない限り、通常の業務にはつかせられません」

「――国王の名において、断固拒否する!」


 脱兎の如くドアへ走り出すと予想していたのか、先回っていたエマに進行方向を塞がれた。


「逃しません!」

「俺らも覚悟を決めたんでね!」


 さすがに抜刀しないとはいえ、ふたり同時に構えられて前後を塞がれたら僕だってやばい。

 なんたってひとりは騎士団長で、僕と同等の強さ。もうひとりは騎士団長補佐で、殺傷能力ありの足技まで持ってる。


 しかもこのふたり。伴侶同士というだけあって、アイコンタクトが完璧なんだ。今も間違いなく何か目配せしあったのに気づいて、僕が咄嗟とっさに取った行動は――。


「陛下!!」

「やりやがった!」


 近くの、開かれていた窓を飛び越えること。

 執務室は二階でも、下の階には屋根があると知っている。そこに着地し、その勢いのまま地面にも飛び降りて、あとはもう逃げの一手。


「こぉんの馬鹿アレク! 逃さないからな! ――騎士団員、全員に告ぐ! 逃亡者、アレクセイ = チューヒン! 計画通り、国王陛下を捕まえろ!」


 ――計画通り?

 窓からの叫びは周囲に響き、騎士団員がザザッと僕を一斉に見る。


(この時間に、団員が外にこれだけ集まってるなんて……!)


 僕の行動を読まれていた悔しさやら、さすがアシュリーとエマだと感心するやら。一度振り返るとエマも窓を飛び降りて、鬼の形相と猛烈な速度で僕を追いかけてきた。


「近くの騎士団員! 陛下に飛びかかってでも足止めを! これも国のため、陛下のため! 陛下の幸せを望む者ならば情けは無用!」


 わーっ! と全員が追いかけてくるんだから、全員が僕の結婚を望んでるわけで。


(本当に本気で、伴侶に関しては優柔不断でごめんなさい!)


 と、謝罪の気持ちはあっても。ここで捕まったら、僕の意思なんて「だからどうした」で終わるに違いない。

 なんとか言い訳を考えつくまでは、逃げ切らないと!


「陛下! いい加減、観念していただきたく!」

「絶対に無理!」


 それまで団員の後ろから叫んでいたエマが先頭に躍り出て、下した命令。


投網とあみ!」

「――なっ!?」


 まさか、ここまで準備万端でいたなんて。

 正門の上にある見張り台で、網をかついでいる団員が見え。直後、視界に飛び込んできた女性はあまりにも僕との距離が近すぎた。


「投網中止です! その女性を巻き込んでは――」


 エマの焦った声が背後から届くのと、頭上から網が降ってきたのはほぼ同時。

 こうなれば避けるのは不可能だし、僕はいいとしても目の前の女性が怪我でもしたら大変だ。


「抱きつく無礼、お許しを!」

「……っ!?」


 覆いかぶさるみたいに抱きしめて、しゃがみ込む。と同時に網が勢いよく落ちてきて、圧に負けてべしゃっと押しつぶされた――んだけど。


(この、すっごい柔らかいのなんだろ……)


 僕の体の下もだし、顔面が柔らかいものに包まれてる。

 甘く優しい、いい香りの正体は?

 上半身だけでも起こしたくとも、網で完全に覆われていて身動きが取れなかった。


(うーん……どうしよう)


 さすがに困っていると、エマの慌てきった声が降り注いでくる。


「マリーツァお姉様! なぜここにいらっしゃいますか!」


 ……まりーつぁおねえさま? お姉様って、エマのお姉さん?

 そういえば10の歳が離れている、嫁いだ姉がいるって以前……。


「エマ、説明は後よ。まずはこの網をどかしてちょうだい。陛下がおつらそうだわ」


 この香りに似合いの、おっとりと柔らかな声色こわいろ

 抱きつく前はこっちも慌てていて、まともに顔を見ていなかったな。

 どんな人だろうとなんとか顔だけあげると、心配そうに僕を見下ろす瞳が近くにあって、


 ――欲しい。


 単純に、そう願う。

 贈り物として宝石が散りばめられた装飾品を多く持っている僕ですら、こんなに美しい菫色バイオレットの石は手にしたことがない。

 じっと魅入っていると、その瞳が少し困ったように細まった。


「アレクセイ陛下でいらっしゃいますね? 初めてのご挨拶だというのに、立つことが叶わず申し訳ございません」

「あ……いえ。貴女は巻き込まれた側なので、謝罪は僕がしないと……」

「ですが、この体勢は陛下がお恥ずかしいかと」


 この体勢?

 言われて、ようやく自分の置かれている状況が掴めた。


「――!?」


 柔らかいはずだ。

 押し倒しただけでなく、彼女の胸に顔を挟まれているのだから。


「た、大変な失礼を……!」


 慌てて立ち上がろうにも、網はまだ僕らを覆っていて。しかも無理に動こうとしたせいで、彼女の胸の感触をまた顔いっぱいに感じてしまう。


「僕もこうしたくてしてるわけではないのを、信じていただければと!」

「ええ、承知しております。事故ですもの、お気になさらず――」

「――うわっ、なんだこれ」

「君も来るのが遅いよ!」

「あちこちに指示出しながらだし、仕方ないでしょーっていうかさ」


 僕の近くにしゃがみ込んだアシュリーが、不思議そうに問いかけてくる。


「なんでアレクは、網ん中で知らない女性のおっぱいに顔埋めてんの?」

「はっきり言わないで! 逃げてたら投網とあみされて、あと知らない女性でもなくて彼女はエマのお姉さんなんだ!」

「突然の情報過多かた!! エマちゃん投網って何!? 俺、そこまで指示してない!」

「申し訳ございません。陛下が門の外へ出たものですから、咄嗟に対逃亡者用の命令を」

「逃亡者ってのは間違っちゃないけども、じゃあお姉さんってのは!?」

「同じ両親の元から生まれた、自分よりも年長の女性を指す名称であったかと」

「うわぁいっ、さすがエマちゃん! そうだけどそうじゃない感!! つか、マジで実のお姉さんなの!? なんでここにいんの!!」

「あいにくと、わたくしもそれには驚いているところでして……。マリーツァお姉様、お久しぶりでございます。お変わりありませんか」

「エマ! お変わりはどう見ても今すっごいあるから! アシュリーも驚いてないで、早くこの網どうにかして!」

「アシュリー……? エマの伴侶で、騎士団長の? まあ、困ったわ。陛下に続いて騎士団長様にまでこんな体勢で初対面だなんて、失礼にも程が……。申し訳ございません、アシュリー様」

「さすが姉妹! おっぱいに顔埋められてても冷静な対応がそっくり――じゃなくて! 団員総出で、網をどかすんだ!」


 その後の城内の大騒ぎといったら、僕が国王陛下になって初めてというぐらいだった――。

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