雷鳴
両親への手紙を書いている時から、予想はしていたの。時計の針が進むたび、雷は遠退くのではなく、近づくと。
鳴り始めた頃とは違い、音と光はほぼ同時。雷震で窓もビリビリと振動し、それは鼓膜にも響く。
「っ……」
馬小屋から逃げ出した馬の、入り乱れる蹄の音。悲鳴と雷の音が重なって、あの光景が脳裏に浮かぶ。
(いい加減、忘れてもいいぐらいの時が経っているのに……)
怖くとも、忙しいエマを呼ぶわけにもいかない。嫁ぎ先でも、雷の鳴る日はひたすらベッドの中で過ごしていた。
(大丈夫、今だけよ。朝になれば晴れているわ)
鳴り止まない雷なんてないんだもの。だから大丈夫と繰り返し、楽しいことを考えようとすれば、すぐに浮かぶのはアレクセイ陛下。
(さすがにこの天気で夜なのだし、外で仕事ということはないでしょうけど……まだ執務室でお仕事中よね)
きっと、エマもアシュリーさんも。
彼らは自分の立場も役割も心得ていて、それが私には羨ましい。
エマほどの剣の腕前があれば、姉妹で陛下を守る騎士にもなれたのに。アシュリーさんのように才色兼備であれば、この国のために私も務められたでしょうに。
願ったところで、こればかりはさすがに叶いそうにない。
(改めてお詫びと、布と糸のお礼を言いにいかないと)
私が出来ることを探すなら、まずはそれ。
(明日、会っていただけるかしら)
どころか、側室のお話も怪しくなってきているのでは?
(国王陛下としては、剣先の前に出てくる無謀な相手を側室になんて――)
……そんな心配をするなら、私は残念だと思っているの?
(彼を嫌いなわけないわ。むしろ好きだと言えて……)
でもその好きがどういう好きなのか、私にはまだ測りかねていた。
あと少しなのに。ほんの少しのきっかけで、はっきりしそうなのに。
こればかりは、想像や予想だけでどうにかなる問題でもない。
直接目を見て話をしないと。感情が色となって現れる、彼の目を見て話をしたかった。
(とにかく朝になったら――……?)
今、雷とは違う音が鳴ったような。
耳をすませば、やっぱり。
ドアをノックする音が聞こえ、雷を怖いと知っているエマが様子を見に来てくれたのかもと、急ぎドアの前に立つ。
「エマ?」
『……エマじゃなくてごめん』
まさかの声にドアを開けば、アレクセイ陛下が申し訳なさそうに立っていた。
「こんな夜に、連絡もなしに女性の部屋を訪れるなんて失礼なのは承知してるんだ。でも貴女が雷を怖いの知ってるし、昼間のことも謝りたくて……」
暗い廊下に立つのは彼だけ。
雷を怖がる私なんかよりも、よっぽど心細げに見えた。
「どうぞ、お入りになって」
「いいの?」
「心配で来てくださったのでしょう?」
招き入れて、テーブル席に腰かけてもらう。
と、すぐに彼のほうから口を開いた。まるで、沈黙を怖がるように。
「訓練場での僕も市場での僕も、僕なんだ」
「そうね」
「静寂狂乱の王は、二度と出さないなんて約束も出来ない。そういう僕も必要で……」
「……そうね」
「でも午前中はまだしも、午後のは貴女を巻き込んでしまった。……僕の不徳の致すところで……本当にごめんなさい」
「いいえ、あなたは悪くないわ。悪いのは私であり、エマも当然としていた。私はどうしたって剣を振るうなんて怖いことだとは思うけれど……間違いなく、誰かを守ってくれるのも知っているわ」
「怖いのは剣だけなんだ?」
「ええ」
「僕が怖くない?」
「怖くないわ」
「……まだ、僕を知りたいと思ってくれてる?」
「知りたいわ。これまでよりも、ずっと」
息を潜め、じっと私を見つめる瞳。私の心を読み取ろうとしているのがよく分かる。
本当に怖くはないから視線を逸らさずにいると、アレクセイ陛下はようやく安堵の頷きを見せ、思い切ったように口を開いた。
「マリーツァ。僕、今夜はこのまま――」
彼が何を言ったのか、私には聞こえなかった。これまでに聞いた中で一番大きな雷鳴と、眩しいぐらいの雷光が室内を照らしたせいで。
目を閉じ、両手で耳を塞ぎ、椅子に座ったまま体を丸める。
「……マリーツァ」
丸まっている背中に、彼の大きな手がそっと触れた。
軽く上向けば、アレクセイ陛下は私の足元で片膝を着いて、心配そうに覗き込んでくれていた。
「移動しよう。暖炉側のソファーなら、まだここより窓は遠いよ」
「っ……ええ……」
そのままソファーに腰かけさせられると、また雷鳴。ピクッと震えた私を、隣に座ったアレクセイ陛下は一瞬ためらった後。
「……抱きつく無礼、お許しを」
すでに懐かしいと感じる台詞を伝えてくれながら、横から抱きしめてくれる。
あの時とは違う、ふわっと優しい抱かれ方。
変わらないのは、私を守ろうとしての行動。
「迷惑でなければ、雷が鳴り止むまで……今夜はこのまま、ここにいさせてもらえないかな」
「……っ迷惑だなんて……。怖くて、ベッドで丸まってたのよ。来てくれて嬉しいわ」
「よかった……」
安堵の吐息と合わせて、私を抱き込む腕に少し力がこもる。
そのせいで密着度が増して彼の体温も伝わってくるし、見た目よりもずいぶん筋肉質な体であると気付かされる。
(そうよね。重い剣を軽々振り回すには、筋肉は必要で……)
そのために、日々の鍛錬は絶対で。
触れる胸板の厚さや腕の太さに、彼が男の人なのだといまさら意識してしまう。
「目を閉じて、僕の音だけ聞いてて」
言われたとおりにすれば、とくっ、とくっと規則正しい音が、彼の胸に寄せている耳に優しく伝わった。
そのせいか、雷はまだ近くで鳴っているはずなのに遠く感じる。
恐怖で冷え切っていた指先も足先もほかほかと温かくなっていて、体の緊張感からも解放されてか、急激な睡魔に襲われていた。
「このまま寝ていいからね」
「ありがとう……」
うとうととし出す意識も、さすがにすぐに落ちるほどではなくて。
髪も撫でられる心地よさに目を閉じたまま彼に体を預けていると、しばらくして寝たと勘違いしたのか、彼はこめかみ辺りに鼻先を当ててくる。
「……いい匂い」
すーっと息を吸い込み、吐き出された息が頭皮にかかってくすぐったい。
「貴女が僕の伴侶になってくれれば……僕はもっと、貴女を上手に甘やかしてあげられるのかな」
不安げな声色。なのに私の髪を撫でる手は、変わらず優しい。
「ねえ、マリーツァ。貴女は、前の人になんの未練もないんだよね? だとしたら、やっぱり僕がまだ足りないんだろうな」
貴女に好きになってもらう要素が、とも彼は続け。
「どれぐらい僕の気持ちが伝わってるのかな……。僕はね? もう貴女を離したくないぐらい大好きなんだよ。貴女も僕と同じ気持ちで、その瞳で見つめてくれたらいいのに……」
顔が近づいたのが、気配で分かる。唇の近くにも体温を感じる。
でもそれはすぐに離れてしまって、柔らかい感触はこめかみに。
「出来れば、貴女の夢に僕も出して。僕は毎晩、貴女の夢を……僕に都合のいい夢ばかりを見てるんだ。僕のどんなお願いも全部聞いてくれて……」
ごめんね、と囁く声に「いいのよ」と返事をしたい。
でもそうしてしまったら彼がこの場から逃げてしまいそうで、私はやっぱり寝たふりを続けるしかなかった。
それからは言葉もなく心音だけが聞こえ、髪を撫でる手は軽く背中を撫で叩く動きにも変わり、まどろみの中へ落ちていく。
寝てしまいたくはなかった。温もりと心音を感じていたかったのに、自分でも気づかないうちに私は意識を飛ばし。また意識を戻したのは、甘い香りが引き金。
「ん……」
心地よい目覚めで最初に映るのは、天井。ベッドで寝ているのにも気づき、カーテンの隙間から差し込む光は間違いなく太陽のもの。
そして匂いの正体は枕元に置かれていたこれだと、そっと指で触れる。
「梔子……」
とても幸せ、喜びを運ぶ。
あなたと一緒に時間を過ごせることは幸せです。
「花言葉を覚えていて、また贈ってくださるの?」
寝ている私にキスしようとして、紳士ではないとこめかみへ変える人。
雷を怖がる私の傍にずっといてくれて、枕元に花を残してくれる、奥ゆかしい愛もくれる人。
「一途に私を求めてくださる人……」
花を活け、じっと見続け思うのは――想うのは、彼のこと。昨日のこと、これまでのこと。
「あのままキスしてくださってよかったのに……」
ぽろりと口をついた言葉は間違いなく本心で、気付かされる。
(そう……そうなの)
本当に、きっかけひとつだった。私は彼と出会ってからのこの短期間で、ちゃんと想いを育んでいたのね。
自分で認めてしまえば爪の先から髪の毛の先まで、体中がふわふわと温かい気持ちにもなる。
昨晩までは判断がつかなかったのが嘘のように、今朝の天気と同じで私の心は晴れ渡っていた。
「今度は私が行動に移す番だわ」
大きく息を吸い込むと、梔子の甘い香りが体中に染み渡る気がした――。




