2.フェルペッタの困惑
【フェルペッタ伯爵視点】
(…遅い。もう10分も遅れているではないか)
フェルペッタは定刻を過ぎてもなかなか現れない来訪者に苛立っていた。
フェルペッタはウォンカード王国東部に領地を持つポンダルア伯爵家の現当主である。フェルペッタの曽祖父であるフェルルナーが80年ほど前、隣国のゼラ帝国との戦争で手柄を挙げた際に昇爵し、伯爵家となった。伯爵家として一応上位貴族の仲間入りはしたものの、歴史の薄さや初代当主以外の実績の薄さから、その立ち位置は微妙なものである。
(陛下が召喚ではなく招待なさったというから、どんな貴人が来るのかと警戒していたのだが…。聞けばたかだか平民の冒険者というではないか。たとえ高ランク冒険者とはいえ、所詮は平民。陛下は自陣に取り込みたかったのであろうが、時間すら守れぬとは底が知れたな)
国家とは必ずしも一枚板ではない。そもそも一枚板の国家=優れた国家というわけではない。一枚板の国家は結束力こそ高いが、万一誤った方向に舵が切られればストッパーになれる存在がいないからだ。ウォンカード王国もまた――意図したわけではないが――三つの派閥に分かれている。
まず、建国当初から王家として君臨するウォンカード王家を国の中心とする王家派閥。対して、王家の特権や立場をとり下げ、貴族を中心とした議会の設立を目標に掲げる貴族派閥。最後に、派閥というほどのまとまりはないが、王家派閥・貴族派閥のいずれにも属さない中立派閥。
フェルペッタはこの三つの派閥のうち、貴族派閥に属している。先代の国王であるルーカス4世が退位し、現王アーデンロイド1世に代替わりしたのがちょうど昨年の話である。
国王の代替わりに際し、各貴族の立ち位置もまた大なり小なり変化が生じている現状、貴族派閥にとって、いかに王家派閥の力を削ぎつつ国王の心象をよくするかが目下の課題であった。そんな中、突然陛下が召喚ではなく招待した人物が今日、登城するというのである。貴族派閥だけでなく、王家・中立派閥の貴族でさえ緊張するのは当然であった。
しかし蓋を開けてみれば、定刻すら守れない、それも平民ときた。貴族派閥の面々は、陛下を貶める口実ができたと落ち着きを取り戻し、逆に王家派閥はそわそわとし始めている。
(陛下の客とはいえ、所詮は平民。他の貴族派の連中も考えておることは同じであろうし、ここは儂が無礼者を糾弾してくれよう)
フェルペッタが思案していると、謁見の間の扉の外から声が掛かってきた。
「失礼いたします、第3師団長ライド・ルン・ガードナーでございます。リュート・イガラシ様をご案内いたしました」
(ようやくきたか。愚かな平民の汚い面を見てやろう)
静寂の中、謁見の間へと響いた師団長の声に、再び空気が張り詰める。現王アーデンロイドは傍らに佇む男、宰相エリックに一つうなずく。
「入室を許可する」
エリックはアーデンロイドに恭しく一礼すると、扉の前の騎士に向かって指示を出した。指示を受けた騎士たちが謁見の間の扉を開いた。自然と貴族たちの視線が集中する。
入ってきたのは、黒髪の大柄な男だった。色褪せたローブに身を包み、髪や髭は伸びっぱなしといった印象だ。男は周囲に一瞥を投げることもなく部屋の中央まで歩を進める。
(リュート、といったか。確かに体格はいいが、何だあの汚い装いは。正装のひとつすら持ち合わせておらんのか?)
男は佇まいこそ堂々としているが、とても王城の、それも謁見の間にふさわしい装いとはいえない。貴族派の一部の目に侮蔑の色がちらついた。
(全く、陛下は何をお考えなのか)
ちらりとアーデンロイドの様子を伺ってみるも、アーデンロイドには特に気にした様子はなかった。
「おお、リュート殿。よくぞいらした」
「「「!?」」」
アーデンロイドの行動に貴族派閥のみならず、居合わせたほとんどの貴族たちが目を見張る。本来、謁見では陛下自ら声を掛けることはない。会話の多くは宰相を通して行われ、陛下から直々に声が掛かるのは「ご苦労」などの労いの一言のみである。
そのはずが、今回に関してはアーデンロイドの方から声を掛け、あまつさえ玉座から立ち上がり階段を下り始めたのだ。
謁見の間とは、文字通り王へと謁見するための部屋である。謁見の間では、玉座の手前に数段の階段が設けられていることが多い。この階段には防衛のためなど様々な理由があるが、目的のひとつは彼我の上下関係を物理的に示すためである。
王太子としての教育を受けてきたアーデンロイドがその意味を知らないはずがない。そもそも平民を招待するという点から前例のないことである。陛下のあまりに予想外な行動の数々に、貴族派の面々も警戒の色を隠せない。
(なんと型破りな。アーデンロイド陛下は賢王との噂であったが、まさか慣例も知らぬ小童ではなかろうな?)
国王ともあろうものが、自ら平民ごときと目線を合わせるなど貴人の風上にも置けない。早々にこの国に見切りをつけて、帝国と手を結んでおいて正解だったとフェルペッタはほくそ笑んだ。
(しかしあの平民、何故跪かん。それに陛下の語りかけにも一切返答しないではないか。貴族派筆頭の侯爵様も無言を貫いておるし…ええい!ここはやはり、儂が諫めてやろう!)
「貴様!先ほどから陛下がお声を掛けなすっておるというに、何故返答せぬか!いや、そもそも平民風情が、この高貴な場で図々しく立ち尽くしておる出ない!平伏せぬか!」
ここで声を上げることで陛下を諫めて立場を示し、よくわからない平民も排除できる。完璧な一手だと、フェルペッタは自画自賛した。と、フェルペッタが発言し終えるとともに、近衛兵たちがザっと動き始める。
(やはり騎士たちもあの男の態度に思うところがあったか。全く、平民の分際で恥知らずにも招待に応じるから、取り押さえられることになるのだ)
男は近衛兵に取り押さえられ、謁見の間から引きずり出される。
そんな光景を予想していたフェルペッタとは裏腹に、近衛兵たちは一礼しながら男の横を通り過ぎると、まっすぐフェルペッタの方へ向かってきた。
(何だ?何が起こっている!?奴らは何をしている!?)
困惑から立ち直れないフェルペッタを他所に、近衛兵たちはフェルペッタを包囲する。
「フェルペッタ伯爵、ご同行願います」
「な、なに?なんだと?」
フェルペッタの問いに返答はなく、強引に腕を掴まれて出口の方へ半ば引きずり出される。
「貴様ら、何をするか!儂を誰だと思っておる!」
近衛兵に怒鳴りつけるも、彼らは目を合わせることすらない。拘束を振り払おうともがくが、フェルペッタの腕力では近衛兵はびくともしなかった。
訳の分からない事態に混乱し喚き散らしている間に、気が付けばフェルペッタは地下牢へと放り込まれていた。