番外編5.休日2
「それで何かリクエストはあるんですか?」
「特にこれというものはないんですが……あ、マドレーヌとかやってみたいです」
「わかりました。そんなに難しいものでもないですし、やってみましょうか」
ということで僕たちは今、アデーレ様宅のキッチンに立っている。
パウロさんはキッチンを普段から自由に使っているらしく、よくデザートなどを作っているようだ。一部を分け与えていればアデーレは何も言わないのだと。
パウロさんはバターと卵を冷蔵庫から取り出し、バターを必要な分だけ切り取り残りを冷蔵庫にしまう。
「常温に戻している間に残り物ですが何か食べますか?」
「ありがとうございます、いただきます」
僕がそう答えると彼女は冷蔵庫からガラスの器に入った黄色いものを取り出す。
「それはプリンですか?」
「正解です」
スプーンを用意してくれると、そのまま私の前へと差し出してくれる。
「アデーレ様に食べられてしまっていて、それしかなかったのですが良ければ食べてください」
「いただきます」
さっそく口に運ばせてもらう。
「めちゃくちゃなめらか……」
「お味はどうですか?」
「味もすごく美味しいです!」
「ご満足いただけたようで良かったです」
私はもう一口いただく。
「……っ!」
甘すぎることはないけれど、それでもやはりプリンという感じの甘さをしっかり感じ、記憶にあるものより柔らかく頬が蕩けそうになる。
……自分でも語彙が貧弱なことを理解しているからこそ、感想は口に出さないでいる。
「プリンの固さって結構自由に変えられるんですよ」
「もっと固いものもできるってことですか?」
「はい、私はどちらかといえば固いものの方が好きなんですけどね」
「ならどうしてこんなになめらかなものを?」
「アデーレ様がそちらの方がいいとうるさいので」
そう愚痴をこぼす彼女の表情は、嫌そうというより寧ろ逆のように見えた。
「……なるほど」
それを指摘するのも野暮かと思ったので、口に出すことはなかった。
……本当はとても指摘したかった。いつも変わらない様子のパオラさんがどんな反応をするのか気になったけれど、報復が怖くて口に出せないだけでした。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様です、そろそろ取り掛かりますか」
「よろしくお願いします、パオラ先生」
「先生ってなんですか……」
パオラさんが困ったように僕の方に視線を向ける。
「こちらは教わる身なわけですし、先生と呼ぼうかと」
「……まぁいいですけど、約束覚えてますよね?」
「覚えてますよ」
「その時は私が先生って呼ぶので、このむず痒さを耐える覚悟をしておいてくださいね」
「そんなにですか」
「そんなにです」
仕方ない、覚悟をしておこう。
「まずは型にバターを塗ってください」
彼女は言葉とともに溶けたバターとハケを私に渡してくる。
「わかりました」
僕ははみ出さないようにめちゃくちゃ丁寧にバターを塗り始める。
「丁寧にやろうとする心意気はいいですが、そこまでやらなくても大丈夫ですよ」
「あ、はい!」
少し急いでバターを塗る。
「ちょっとバターの量が均等になってないので、もう少し丁寧にやってもらえますか」
「すみません……」
「クロさんにも苦手なことがあったんですね」
「私なんて苦手なことばっかりですよ」
僕ができることなんてほとんどない。ほとんどないからこそ、少しでもできることを増やそうとパオラさんにお菓子作りの指南を受けにきたのだ。
「普段から料理はされてるんですよね」
「してはいますが、パオラさんの前で胸を張れるほどの料理はできてないです」
彼女の料理を一度食べさせてもらったことがある身としては、同じ料理として括るのは抵抗がある。
「それでもサラ様のためにされてるんですよね?」
「はい、一応」
「それであればクロさんは料理に一番大事なものを既に持っています」
「一番大事なもの?」
なんだろう、途中でやめないこととかだろうか。
「愛情です」
「…………」
「…………」
「……え?」
「冗談です」
「えっと……」
「それでは次に強力粉をこちらに振ってください。そんなに多くなくていいですからね」
「あ、はい、わかりました」
とてもものすごくパオラさんのイメージからはかけ離れたことを言われた気がした。
「あの、さっきの」
「終わりましたか?」
「いえ、まだです」
「口ばっかり動かしていても進みませんからね、テキパキ進めていきましょう」
彼女はさっきの話を掘り返させないつもりらしい。
気になって仕方ないが、今は大人しく手を進めていこう。
それからは先生からの指示と注意を繰り返し、なんとかオーブンに入れるところまで作業を終了させた。
「お疲れ様でした」
「……おつかれさまでした」
「そんなに疲れましたか?」
「思ったより疲れました」
「マドレーヌはそんなに難しい工程はなかったと思いますけど」
「作業が難しいというか、パオラ先生が厳しくて」
冗談で呼んでいたが、本当に先生という感じだった。とても学ぶことは多かったのだが、なかなか精神的に疲れてしまった。
「そんなに厳しかったですかね? 少しクロさんがてきとうな部分が多かったので、気になってしまっただけですよ」
「うぅ、てきとうですみません」
「普段からそんなに神経張り巡らせて料理しなくていいと思うんですけどね。ただ、お菓子作りは少し手を抜くと食べた時にすぐわかってしまうので」
「精進いたします……」
「頑張ってください、私で良ければいつでも付き合いますので」
不出来な僕に対しても見放すことをせず、よく面倒を見てくれるのはパオラさんの素晴らしいところだと思う。
その後、他愛のない話をしながらマドレーヌの焼き上がりを待つのだった。




