ああ、昭和30年代の日活青春映画は、明るくひたむきな昭和の青春を映し出す万華鏡だったのだ。
ああ懐かしの昭和30年代の時代よ
それは永久に過ぎ去り、もう二度とは帰ってこない思い出なのか?
あの頃、、そう、、昭和時代とは、。、
昭和30年代とは、、
「携帯電話は勿論、インターネットもまだ、存在していなかった時代
通信手段は、電話はダイアル式の黒電話 だけ、
もちろん、 テレビもない、
DVDもない ビデオだってない。
あるのは、、、
ラジオだけで、、それは3球スーパー式ラジオで
それでNHKの「新諸国物語」や「カネの鳴る丘」に聞き入っていたっけ。
雑音だらけで、、聞こえにくくなるとラジオの天板を、どんどんと、たたく、
するとアーラ不思議、聞こえが良くなる。
そしてそのころようやく
白黒テレビがやっと出現して値段は当時で7万円
これだって庶民には買えるわけもない。
そして初めて出たカラーテレビが昭和39年時点で
25万円だった
今の値段にすれば150万円以上である。買えるわけもなくてあこがれの的だった。
若者はといえば、、ほとんどが中卒で、集団就職で満員電車に、ぎゅうぎゅうずめで、上京して
就職した町工場で電気製品(当時出始めたトランジスタ式のラジオなど)
の組み立て作業。
まさに、、
あのNHKの朝ドラの「ひよっこ」の、谷田部みね子の世界ですよ。
それでも、高度成長期で、、若者たちには希望があふれて、満ち足りて何一つ不自由だとも、思ってもいなかった。
皆が明るい未来を信じていたっけ。
まさに、、、まさに、、、
「三丁目の夕日」の世界ですよ
そんなころ、、、、、庶民の娯楽としては映画が全盛期を迎えていました。
そして当時、日活は青春路線まっしぐらで、様々な青春物が作られたのでした。
日活青春映画のスクリーンに映る俳優達は
みんな前向きで
善良で、未来を信じて庶民に明るい希望を与えていた。
それが昭和30年代の時代背景なのだ。
それが昭和30年代の青春なのだ。
私は
そんな昭和サーティーのころに、青春真っ最中だった
そして
あれから50年が、あっという間に過ぎた。
今現在、
世の中は閉塞感に包まれてコロナが猛威を奮い
若者は希望をなくして未来を信じてはいない。。
そしてこの私はといえば、、、
いま、私は、、気が付けば、後期高齢者老人になってしまったのである。
ああ、昭和の青春はどこに消え去ったのだろうか?
おもいだせばまさに走馬灯のように思い出だけが駆け巡る、、
そんな私は 今や思い出だけに生きるしかない。、
だって私に未来なんてあるだろうか?
もうほとんど未来なんて、ないに等しい後期高齢者なのだ。
だから
私は思い出だけにいきるのだ
それしかないから。
それは昭和の幻像に回帰して浸ること、
あるいは
それは昭和の幻の青春への逃避行なのか?
昭和の青春
昭和の初恋
その朧な懐旧に心は浸されたい思いだけ、、、。
でも?
それって退行だけのことなのだろうか?
いいや、、そうじゃない。
見るが良い
平成
令和の
若者たちよ
見るがよい。
これが昭和の
純粋な
一途な
明るく
青い青い
どんな苦難にも
くよくよしない、明るく、
前向きな昭和の30年代の
青春なのだ。
あの頃まだ私が若くて
未来と希望にあふれていたころ
そう、あの頃、、、みんながあかるい未来を信じていたっけ。
そしてそんな庶民感情を体現して見せてくれたのが
日活青春映画だったのだ。
そんな青春映画の私の定番といえば、、
浜田光夫 吉永小百合 吉沢京子 松原千恵子 新克利 でした。
ああそうそう夏木陽介もいましたね。「青春とは何だ」でしたね?
かれらこそがまさに昭和30~40年代の青春の体現者でした。
ああ、それにしても、、懐かしさに涙が出そうですよ。
ああ、吉沢京子のテニスルックが今でもまぶたに焼き付いて離れません。
そして、まじめ青年の浜田光夫のトラック運転手姿。
舟木和夫のあの独特のカールした前髪。
オート三輪を運転する橋幸夫のあの角刈り頭。
そして
清純な本間千代子のセーラー服姿。
三田明がタートルネックセーターで歌う「美しい十代」
浜田光男がスーパーカブ?を乗り回す、でも?ヘルメットなんてかぶってない
そう、、あの頃はかぶらなくって良かったんです、あの頃は、
若い、、若い吉永小百合と、若い若い高橋英樹がが雨の中で相合傘、、そして二人のあゆみが止まると、、、、、、、、、、
吉永小百合の清純そのものの、うっとりしたキス顔、 (雨の中の二人)映画
ああ、、涙、涙の郷愁と,懐旧ですよ。
そして、、、
橋幸夫は作業服で「日の出貨物」?のトラックを疾走させていたし、、、
吉永小百合は昼間は中華来々軒?でかっぽう着をかいがいしく着て働き、、、
夜は定時制でまじめに勉強していたっけ。 (いつでも夢を)映画
ああ、もう
もう、、思い出しただけで、、、涙、、涙ですよ
そんな、、俺の青春はどこに消えたんだろう
俺の青春を返してくれ
俺の昭和の青春を返してくれよ、。
浜田光夫は、オート三輪で作業服着て
走り回っていましたよね。
集団就職で工場に就職したそんな青年役が多かったです。
お化け煙突からは煙がもくもく、、
吉永小百合は自転車に乗って工場街を疾駆していましたよね。
化粧なんて全くしてない?素顔ですよ、
高校3年生の曲を流して文化祭でフォークダンスをしたことが昨日のように思い出されます、
あの子の手を取って、、、、、。
デートは汚い中華食堂で、俺はかつ丼
彼女は、しなそば、
ああ懐かしさに涙
また涙
涙ですよ。
俺の昭和の青春はどこに行った?
1960年代の青春よ永遠なれ。
そしてその幻像も永遠なれ。
そんな私の
青春映画といえば私には浜田光夫しかいない。
浜田光夫とは私にとって永遠の青春スターである。
そして青春映画というともう、浜田光夫しか出てこない。
そりゃあ、他にもいくらでも青春スターはいたと思う。
しかし私には浜田光夫しかいないである。
どうして?と聞かれても困るが、とにかくあまりにイメージがこ固定してしまっているということであろうか?
そして共演した吉永小百合も、浜田とのコンビで印象に残っている。
吉永単独ではあまりイメージはない。
同時に、それは共演者、松原千恵子,和泉雅子、田代みどり、などもそうである。
映画では浜田光男は
実は
舟木一夫や
橋幸夫が主役で
浜田光男は助演者
助役だったのだ
だが
私には彼だけしか見えなかった。
浜田光夫は私にとって青春そのものである。
作業服にベレー帽?をかぶり貨物トラックを運転して働いている青年。
そんな役がぴったりする人だった。
若くて、、青くて、、はにかみ屋で、、にっこりした笑顔があどけなくて。
いつも健康的に、青春をまっすぐに、いきている労働青年。
そうだ。
それが浜田光夫だ。
それが彼の役所だった。そして、そんな役が又ぴったりはまってしまうのが彼でもあったのだ。
そして、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
本間千代子
今の若者に聞いても恐らく誰も知らない名前。
本間千代子。
1960年代の青春スターでした。
映画に歌にたくさん出て若者のアイドルでした。
なんと言うかビューティフルではないのですが。プリティなのです。
例えば、岡崎由紀とか、九重由美子とか相本久美子その路線ですね。
かわいらしい妹の路線ですね。
歌声は割りとハスキーな高音でまあ上手でしたね。
かわいらしい声質で、それもよかったと思います。
顔は丸顔でおさげなんかにしていることが多かったです。
そして勿論、セーラー服です。
今どきの女子高生のような
ブレザーやタータンチェックのミニスカートなんかじゃありません。
丈の長いオーソドックスなセーラー服を着て歌っていました。
舟木和夫も学生服で「高校3年生」歌ってましたものね。
当時は結構、この制服で歌っているアイドルが多かったのです。
今じゃ考えられないことですね。ありえません。
藤正樹もそういえば紫の詰襟の制服で歌っていましたよね?
本間千代子、現在もお元気だそうですが今の彼女は見たくありません。
私の幻像の中の本間千代子でいて欲しいです。
いつまでもあのおさげのセーラー服の彼女の幻像を見ていたい。
天地真理がすっかり太ってまるで別人で出てくるような愚行だけはしないでください。
昔の大スターは、若いときのイメージが崩れるのを恐れて、引退後は人目を避けて隠棲したという。
例えば往年の名女優、原節子は引退後決して衆人の前に姿を現さずにひっそりと暮らしたという。
自分の老醜を晒すのが耐えられなかったからだという。
私の心の中だけに住んでいる往年の青春スターたち。
浜田光夫
そして
本間千代子
いつまでもそのままで
若いままで
銀幕上で
永遠に青春の夢をつむぎ続けておくれ。
https://www.youtube.com/watch?v=qP3Tbn6WtD0