*1* 求む、強制スキップ!
不安を抱えたまま一日の授業と盤上遊戯を終え、教え子達を各々の屋敷の迎えに引き渡してから落ち合ったのは、前回同様ホーエンベルク様のお屋敷。
いつものカフェでないのはあまり食事をとる気になれなかったことと、話題の内容の危うさからだけれど、軽食とお酒の用意されたテーブルを囲む光景だけなら、前世の同期との飲み会にも似ている。
重苦しい空気を誤魔化すために男性陣は度数の高いワインとエール、女性陣はシードルと呼ばれる微炭酸のリンゴのお酒を手に、テーブルマナーはそっちのけで全員が一杯目を一息に空けた。
「いやー……観てきたけどまずいね、あれは。一般人には何てことのない物語でも、男爵以上の貴族なら個人を特定できる話だ。新進気鋭のアンナ嬢達の劇団を潰しにかかろうとしてるんだろうけどさ、何か嫌な感じ」
「右に同意ですわ~。あのお話の脚本家の名前、無名なんですもの~。あんなに大きな劇団でそんなこと、普通はまずあり得ません。あれでは実在する方かどうかの判断ができませんわ」
何となく予想していたこととはいえ、偵察から戻ってきた二人の発言は芳しくなかった。田舎の子爵家が王家に近しい場所にいることが面白い貴族など、いるはずがないのだから。
「誰かが貴族にだけ分かる方法でベルタ嬢を貶め、妹のアンナ嬢と劇団を潰そうとしている、ということか」
「やはり流れ上そうなりますよね。ですがこれは一般の劇団だけの犯行ではないでしょうし、背後に貴族の後ろ楯がいるのは間違いありません。ただどちらの方のお怒りをかったのか、該当者が多くてすぐには絞り込めそうにないのが……」
「んー、まぁ、それも問題と言えば問題なんだけどさー……ね?」
「ええ、ええ。ひとまずこれをご覧になって下さいませ」
そんな風に歯切れの悪い二人が差し出してきたのは、今日の演目が記された二冊のパンフレット。流石は大手。箔押しの美しいパンフレットは、それだけでも手元に置いておきたくなる作りだ。
勧められるままそれをペラペラとめくっていくうちに、段々と眉間に力がこもってくる。向かいに座るホーエンベルク様も複雑そうな表情だ。
それというのも――。
「これは劇としてきちんと完成されている。悔しいが面白い」
「そうですね……確かに、興味をそそられます」
最後の頁にある名前は確かに聞いたことのない脚本家の名前だけれど、それを除けば読み応えのある内容だ。これはもう絶対にプロの犯行である。配役は私でも名前を聞いたことがある女優や俳優達。
パンフレットでこれだけ興味を引かれるのだから、実際に本物を観てきた二人にしてみればもっと複雑な気分だったことだろう。
王都の老舗劇団と貴族、その両者の怒りに触れてしまった田舎子爵家の姉妹。現状の旗色は限りなくこちらに不利だ。もう少し時間が経てば、父の職場でも話題になるかもしれない。
教え子の断罪ルートからは遠退いた手応えがあるのに、こんなところで新たな不安の種が芽吹くだなんて……私はまた何かを選び間違えてしまったのだろうか? 今度の犠牲者は父と妹? そんなのは冗談じゃない。
何か早急に次の手を打たないと――と、思っていたら、そんな私の内心を見透かしてか、フェルディナンド様がこっちを見つめて口を開いた。
「まぁ、取り敢えずしばらくは様子見するしかないだろうね。表向きはただの演劇の新作なんだ。向こうはこっちが目くじらを立てて騒ぎ出すのを狙ってる。見えてる釣針に引っかかるのはお利口じゃないよー?」
いつものように飄々とした物言いではあるけれど、正論過ぎてぐうの音も出ない。他の二人も同様に「そうですわね~」「妥当だろうな」と渋い顔。私も誤魔化すように笑って二杯目のシードルを口にするも、腹の底では微炭酸酒が過発酵を起こしているような錯覚に陥ったけれど――。
たぶんこれは他の誰でもない、本来の原作にあるはずのなかった私のルートだ。家庭教師の派生系シナリオという全力でスキップしたい案件を受け止めきれず、この後私は三人が止める声に耳を貸さないでひたすらグラスを空け続けたのだった。