*18* もうすぐ春ですね。
――パシンッ!
――べチッ。
――スパンッ!
――べタッ。
鍛練場の片隅、丸く相撲の土俵のように取った円の中で、お手製のメンコが乾いた音を立てて砂埃を巻き上げる。ちなみに前者の音が私、後者の音がマキシム様だ。少し遠巻きにこのゲームの光景を見守る兵士達は、次々に床から減っていくメンコの枚数を気にしている。
何故こんなところでメンコなのかといえば、城の中で絨毯が敷かれていない場所で、通行人の邪魔になりにくく、警護の目もそれなりにあり、メイドの邪魔が入りにくいという難題を全部クリアできたのがここだったからだ。
この遊びは結構な体力を使うので、頻度は二日に一度。十五分ずつ二回に分けての真剣勝負である。初日の翌日は筋肉痛になった。
マキシム様は未だにメンコを投げるときに大きく振りかぶって、力任せに真上から床に叩きつける。風圧で一枚だけ端が浮くも、ひっくり返るまでには至らなかった。悔しそうな表情をする様は子供らしくて可愛気がある。
一見簡単なこの遊びにも投げ方や持ち方にコツがあるのだが、教えると勝負が長引いて面倒なので教える気はない。
対する私はマキシム様が返し損ね、隣のメンコに端を乗り上げたそれに狙いを定めてひっくり返した。同時に隣のもう一枚もひっくり返る。一度目のも合わせれば通算十五枚目だ。対する彼は四枚。
「今日も五枚以上の差で私の勝ちですねマキシム様」
「……見れば分かる」
「では明日までに課題を三頁追加しますね。分からないところがあれば、翌日の授業で質問を受け付けます」
「それも毎回言わずとも分かっている。皆、騒がせた。ベルタを送って戻ったら、わたしも鍛練に混ぜてくれ」
兵士達に向かってマキシム様がそう言うと、彼等は苦笑混じりに頷いていた。けれどいつものごとく私が会釈をすれば居心地悪そうに視線を逸らす。まぁ、彼等からしてみれば、こんなところに家庭教師がやって来るのは面白くないのだろう。
マキシム様の誕生式典から三週間。四月の社交界シーズンを目前に控えている午後の空気は、春の気配を感じさせる。
妹はまだ隣国でロングラン上演中で、先日も分厚い手紙と向こうの新聞記事の切り抜きが届いた。毎回手紙を止めてくれた誰かさんも、流石にあちらの国営郵便馬車で送られてくる郵便物には手が出せなかったらしい。
他国内から直送される郵便物に手を出すのは、政治的な介入と取られても仕方がないからだ。何にせよその手紙に来月には戻るとあったものの、社交界シーズンの最中に団員の皆も一緒とはいえ、婚約者でもないヴァルトブルク様との帰還。
世間の目はどうでもいいとして、姉としては密かに甘い話を期待してしまう。
それにしても教え子の逃走資金確保に始めた試みは、どんどん私の予期していない規模に発展していっている。
それに伴い現在フェルディナンド様は新製品の最終確認に領地に一旦戻り、四月の二週目頃に新しい遊戯盤を持って再登場予定。
アグネス様とマリアンナ様も女性用の遊戯盤の広告に、知り合いのお茶会へと足を運んでくれている。
一方私の教え子は――……と、不意に隣を歩いていたマキシム様がこちらに向かい、ズイッと手に持っていたメンコの一枚を差し出してきた。五国シリーズ中で私が愛用している紫色の大蛇のメンコだ。
「おいベルタ、本当にこのメンコという遊びにはコツがあったりしないのか?」
「さぁ、勘では? 勘を掴むことならマキシム様はお得意でしょう」
「お前のそういう言い方はどうも信用ならない。本当はあるんじゃないのか?」
「どうでしょう? 最初にお見せしたときは『こんな子供騙しな遊びがあるか!』と怒っていらしたのに。夜中に睡眠時間を削ってまで製作しましたから、あれには少々傷付きましたわ」
そうからかった途端に気まずそうな表情になることがおかしくて、ついその手から受け取ったメンコで額をペチペチと叩けば、彼は小さく「最初はそう思ったんだ……悪かった」と素直に謝る。話題の誘導に引っかかりやすい子だ。こういうところが時々心配になる。
あの夜のファーストダンスに交わした約束通り、翌日から休憩時間はそのまま授業時間を十五分延長し、このゲームに負けるごとに課題を三頁追加するという書面を作らせた。
「いいえ、分かって頂ければいいのです。これは私がマキシム様のためだけに作ったものですから」
本音は“現在勝ちっ放しなおかげで遅れ気味だった授業が捗って仕方がない。このままコツの追及など忘れて勉学に励んでくれたまえ”なのだが、根は素直らしい彼は「わ、分かった」と頬を赤らめて頷いている。
そんな様子を微笑ましくと眺めていると、進行方向から軽やかな足音が響いてきて、そちらに視線を向ければ――。
「ベルタ先生! お迎えに上がりましたわ!!」
第二王子の婚約者候補の座をどこのご令嬢達より早く射止めた、私の可愛い自慢の教え子がこちらに駆けてくるところだった。