*14* 魔法使いとドレス探し。
「え、ドレスをまだ用意していない……ですか」
「いまはどこの婦人洋品店も最後の微調整で大変だと、城内のあちこちで耳にする。どうしても手持ちのドレスでは駄目なのか?」
知恵を借りに飛び込んだ先でフランツ様からは宇宙を感じる猫の顔をされ、ホーエンベルク様からは沈痛な面持ちをされてしまった。やはり今更気付いたところで絶望的なのか。泣きたい。
「それが……知り合いの元を訪ねるものか、街を歩く程度のものしか持っていなくて。ですが流石に無理ですわよね。授業のお邪魔をしてしまって申し訳ありませんでした」
諦める気はないが、収穫があるかどうかも分からないことに二人の手を借りるのは如何なものかと、急に冷静になった。一人で探そうと思って早々に部屋を立ち去ろうとした私の背中に「少し待ってくれ」という声がかけられ、フランツ様がこちらに向かって頷いてくれる。
「毎年の行事なので、ほぼ当日の手順は憶えています。先生、ベルタさんの手助けをしてあげて下さい」
「そういうことだベルタ嬢。仕立て屋なら腕のいい人物を一人知っている。引き受けてくれるかは分からないが、いまからすぐに向かってみよう」
***
ホーエンベルク様に連れられて向かったのは、表通りの一等地……よりはほんの少し外れにある、そこそこ歴史の古そうな小さな仕立て屋だった。
七十歳の品の良い店主に来店した経緯を伝えると、にこやかだったその表情が段々と難しいものになる。
「ホーエンベルク様に腕をかって頂いたのに残念ですが……女性ものは男性ものと作りがまったく異なります。納期が今日を入れて三日で全てとなると、絶対に仕上げられませんなぁ」
「そう、ですか……」
至極当然すぎる言葉に項垂れそうになった。肝心なところで抜けている我が身を呪っていると、気遣わしげな表情のホーエンベルク様と目が合う。自分の責任ではないのに酷く辛そうな表情をしてくれる彼に、ここまで付き合ってくれたお礼を言おうと口を開きかけた――そのときだ。
「ですのでここは一つ何かしら使えそうな女性ものの既製品を下敷きにして、上から被せるようにして繋ぎ合わせてみましょう。生地の色味は少ないですが、うちの品は一級品ばかりです。それにかえって奥様の髪色が映えると思いますよ」
「お、奥様……?」
提案の内容も勿論気になった。気になったけれどそれを上回る単語が飛び出したことに驚いて、思わず復唱してしまう。
「店主、違う。彼女に失礼な誤解をしないでくれ。彼女は俺の同僚で、今回少し手違いがあって衣装が用意できなかっただけだ」
「おやおや、左様でございましたか。失礼しました。これでも昔はお客様のご関係を見る目には、少々自信がありましたのに。まぁ、今日はもう店を閉めるところですし、早速これから材料探しに出かけますかな」
直後に入ったホーエンベルク様の修正のおかげですぐに誤解は解けたものの、一生言われないだろうと思っていた呼称に火照る頬を押さえ、ノリのよろしい店主の提案に従って店を出た。
――が。
「店主、これはどうだ? 女性らしい形だと思う」
「いえ、これは……駄目ですなぁ。生地が柔らかすぎて、上から紳士服の生地を被せると型崩れしてしまいます」
「全体的に被せないで、生地の間からだいぶ溢れてしまっても構いません」
「うーむ、それでは上から被せる生地に大きくスリットを入れてみましょうか。その間から零れるように引っ張り出せば多少の型崩れはあっても、そこまで気にはならんでしょう。ただしデビュタントに好まれるもののように膨らみすぎるものはいけません。着る方の年齢と雰囲気も考慮しなくては」
しばらく三人で表通りの既製服店にあるショーウィンドウを見て回るも、意外にも布の相性というものは難しいらしく、なかなか店主からの合格がもらえないまま時間だけが過ぎて行く。
それに表通りのものは華やかで店主の言うようにデザインも若い。そこで「裏通りも覗いてみましょう」と言う彼について、幾つかの裏通りにある小さなお店のショーウィンドウを見て回っていると――。
「……ご店主、あれは? あれはどうでしょうか?」
指差した先には店のショーウィンドウに飾られた、やや日焼けしてクリーム色に変色したコルセット型のウェディングドレスの見本。上半身は極めてシンプルだが、下半身は緩くドレープが施されている。
「ほぅ、小さい店だがあれは結婚式用のドレス見本ですか。下請けのお針子の店のようですが……良いですな。交渉してみて下さい」
「ああ、任せてくれ!」
――というわけで、ホーエンベルク様が言い値で購入すると申し出たところ、かえっていきなり現れた貴族に怯えたその店のお針子兼、店主が日焼けした分を差し引いた良心的な値で譲ってくれた。
朝は職場に向かうだけだと思っていた私の財布には、当然の如くあまり大きな金額は入っていなかったため、お店の人に頼んで書留を用意してもらおうとしたら、横から現れたホーエンベルク様が無言のまま立て替えてしまう。
「あの、ここまでして頂くわけには……」
「書留だと店に支払うまで時間がかかる。ここの店には他に従業員もいないようだから、引き換えに向かわせる人間がいないだろう。現金で支払った方が店側の負担にはなりにくい」
「あ、はい。では明日にでもお支払いを……」
「乗りかかった船だ。仕立てが済んでからで構わない」
珍しく会話に被せる勢いでそう言われたので、ひとまずは素直に頷くことに。そこでついでに生地も少し買い足し、それら一式を抱えて店に戻り、すぐに採寸に取りかかることになった。
「日焼けのせいで多少のシミがありますが、上から生地を被せれば隠れるでしょう。生地も年代物だがちゃんとした絹だ。あんな場所にある店にしては珍しい」
そうホクホク顔をしながら言う老紳士は何だか可愛らしい。まるで思いもよらない玩具を手に入れた少年のようだ。
「うちに女性用のトルソーはありませんので、これを着て頂いた上から、直接裁断した生地を載せて仮縫を行いましょう。ホッホッ、今日は久々に徹夜ですかなぁ。明日また夕方にいらして下されば、そのまま本縫いに入ります。仕上がりはギリギリ当日の朝になりますが構いませんかな?」
心底楽しそうにそう言ってくれる店主と、こちらに「何とか間に合いそうで良かった」と笑いかけてホーエンベルク様を前に、張り詰めていた緊張の糸が緩んで思わず少し泣きそうになった。




