*7* 深夜の図画工作。
翌日が十二月という状況で拐われてきてから、一ヶ月と三週間。
要するに一月も残すところあと一週間という現在は、夜中の十一時。場所は屋敷の応接室。そこにある暖炉の前に陣取って内職中だ。
あくびを噛み殺しながら、手許にある厚紙を丸く切り張りしたブツに絵具を塗る。夜は塗り重ねては重石をして反らないように整え、日中仕事に出向いている間は暖炉のある部屋に移動させて乾かしていた。
その正体は前世の祖国にあった古の玩具、ジャパニーズ・メンコ。
華やかな絵の描かれた遊○王やポ○モンといった頭脳カードゲームは、じっとしていられない彼には向かない。
そこで野性味溢れる昭和の男児達がこぞって熱いバトルをくり広げ、勝敗を握るのは振りかぶって叩きつける体力と、ちょっとした技量という脳筋ゲームに白羽の矢を立てた。
まぁ、それというのも、五日前にあることで中庭の出禁をくらってしまったからなのだが。
雪に埋めた翌日から奴は毎日図書室に顔を出すようになった。いいことではあるものの、一日に二時間の授業と合計一時間の休憩を挟む日々は、着実に私の体力を奪い、代償にちょっとの筋力を付与している。
毎日お昼の休憩時間に図書室でホーエンベルク様達と遊戯盤に興じていると、翌日『お前は誰の家庭教師なんだ』と詰ってくる面倒な生徒(仮)。お前のではないなと答えたいところをグッと我慢するのも大人の務めだ。
そんなこんなで、第一王子のために屋敷に戻ってからの就労時間外まで教材を作るのは業腹だが、こうして奴の気を紛らわせるものを製作するしかない。
さっきメイドに今夜最後の珈琲を頼んで下がらせたし、明日は週に一度の非番。根を詰めて仕上げ作業をするには持ってこいの静かな夜だ。静けさの中に薪のはぜる音ともったりとした暖かさが眠気を誘うものの、何とかそれを遠ざけて絵筆に集中していると応接室のドアが開いて、そこから父が現れた。
「またそれをやっているのかベルタ。あまり根を詰めすぎるものじゃないぞ?」
「お父様こそ、まだお休みになっておられなかったのですね」
「ああ、明日の分の仕事は片付いたから、明後日の仕事をしているところだ」
「それは根を詰めているとは言わないのですか?」
「お前ならそう言うだろうと思って、ちょうど休憩しようかと思っていたところだ。少しの間ここに居座っても構わないかい?」
父の言葉に頷いて暖かい席を譲ろうとしたら手で制されてしまったので、もう一度上げかけた腰を下ろした。すると父は私の隣に立って手許を覗き込む。
いい歳をして図画工作のようなことに励んでいるところを親に見られるのは、何となく気恥ずかしさを感じるけれど、まだ色を重ねていないメンコを一枚サイドテーブルから取り上げた父が、小さく笑った。
「これはあの遊戯盤の旗印か。器用なものだ。とても良く描けている。コーゼル侯爵のご息女とフェルディナンド殿の授業を受けた賜物だな」
「――……ええ、思わぬ副産物でした」
一瞬あの穏やかな日々が懐かしくなって俯いた私の頭を、大きな手が撫でる。見上げた先の微笑みに少しだけ虚ろな心が慰められた。
「しかしお前達が中庭に謎の雪像を乱造して、夜警の兵士達から気味が悪いと苦情が入らなければ、今頃こんなことをしなくても済んだだろうに」
父の言う通り出禁をくらった原因というのは、雪ダルマの乱造をしたせいだ。最初は雪合戦を不敬だと封じられ、次に先の理由で雪ダルマをも封じられた。
これ以上に体力を使う冬の雪遊びは最早かまくら以外にないのだが、あれはコツと熟練度がいるので早々に除外し、代わりに大中小と様々な大きさと形の雪ダルマを連日作りまくったのだけれど……。
「あれは不可抗力ですわ。皆様お城の警備をなさっていらっしゃる割に、怖がりすぎるのです」
真円を作れず四苦八苦した雪ダルマは、廃寺の地蔵群か朽ちかけのトーテムポールといった様相を持ち、城の兵士達から大目玉をくらったのだ。せっかく春先まで置いてグロテ……もとい、もののあはれな光景を見ようと思ったのに。風流を解さない人達である。
「こちらに来てもうすぐ二ヶ月。王命を授けられてしまった敏腕家庭教師のお前から見て、この国の第一王子はどうだ?」
「最初はどんな愚……問題児かと思っておりましたが、正直なところそれほど飲み込みは悪くありません」
唐突な父の問いかけに思わず本音がポロリとしそうになったが、寸でのところで飲み込んで答えた。本当に認めたくないし絶対に赦せもしないのだけれど、教育者としては正当な判定を下すしかない。
私の内心複雑な返答を聞いた父は「そうかそうか」とニヤリ、悪そうに笑う。身内ながらこうも顔がいいと前世の映画俳優の半分は霞むが、そんな父はその表情のままにガウンの懐に手を入れ、どこか見覚えのある封筒を一通私の目の前に翳す。
「それはそうとなベルタ。明日はヴァルトブルク殿の新作の初日公演だったのではないか? 書庫にこれを置き忘れていたぞ。私も含め、大事な用件の結果を聞きにいくのだろう?」
その言葉に慌てて広げていたメンコと絵具を片付け、苦笑する父におやすみの挨拶をして自室のベッドに潜り込んだのは深夜の一時。劇団二作目の公演開始とホーエンベルク様との合流まで、あとたったの十時間だった。




