*19* 思ってたのとは違うけど。
夕方の気配から夜に近付き始めた空色の下、ランプの明かりが照らし出す劇場内で一人、また一人と惜しむように席を立つ。
演者達が礼を述べながら外に案内していく観客達の中には、欠伸をするまいと唇を引き結んでいるマリアンナ嬢と、こちらに手を振るアグネス様の姿もある。二人は今日のところは迎えの馬車でハインツ家の屋敷に戻り、後日また感想文を持ってきてくれるそうだ。
私自身も最後の観客と握手を交わして劇場内から送り出した直後、フェルディナンド様とアンナとヴァルトブルク様の三人をジト目で睨む。
「さて……お客様も帰られましたし、お小言をきく準備はできましたか?」
結果から言えば劇は拍手喝采の大成功を納め、幕は無事に降り――なかった。
というよりも一度はちゃんと降りたのだが、再び挨拶のために開いたのだ。しかしカーテンコールはどんな舞台でもあることだから、それ事態は何の問題もない。けれど問題は幕が上がったときに起こった。
私も観客席から他の観客と同じように拍手を送っていたのに、急に隣に座っていたフェルディナンド様が『行くよ』と言い出して、何とそのままズカズカと舞台の上に上がってしまったのだ。
これには、ようやく同じ席に並んでいたことに気付いたホーエンベルク様とルドもびっくり。まぁ……一番びっくりしたのは私だったのだけれど。
「えー? でもそう言うベルタ先生だって劇団作るつもりなのをオレに黙ってたんだし、おあいこだって。それに記者の反応も悪くなかった。新しい劇団の話題作りとしては悪くないと思うよー?」
「だとしても、できればああいったことは、事前に報せて頂けると嬉しかったのですが。皆の初舞台が台無しですわ」
「で、ですが……エステ……いえ、ベルタ様。今回の舞台も、遊戯盤も、全て元を辿れば貴方の功績です。僕達がそこに、便乗しました。真ん中に立つのは、貴方が一番、相応しいと思います」
突然の暴挙に舞台袖から出てきた妹とヴァルトブルク様は、驚くどころか至極当然というように舞台の中心に隙間を空け、私とフェルディナンド様は演者を差し置いてそこに収まり、あろうことか彼等は私を劇の発案者だと公表したのだ。
裏方に徹したい身としてはすぐにも失神したいところだったものの、同じくらい失神したがっている様子のヴァルトブルク様を見て落ち着けたくらいである。
「いいえ。その言い分だと脚本を書いたヴァルトブルク様と、原作を書いたアンナ、全面的にお世話になっているフェルディナンド様だけで充分です」
フェルディナンド様を援護しようとする彼の言葉をバッサリと切り捨てると、大きなクマの縫いぐるみめいた巨体を縮め、アンナの方へと助けを求めるように顔を向ける。
「フェルディナンド様とヴァルトブルク様の仰る通りよお姉さま。それに皆も事前の打ち合わせで納得してくれていたからああしたの。そもそもお姉さまに事前に教えてしまえば、今日の公演に来てくれなかったでしょう?」
すると彼の救援要請を受け取った妹に図星を刺され、思わず口ごもってしまった。いつの間にか口が達者になってしまったものだ。姉として妹の成長が嬉しいけれど味方をしてくれないことが悲しくもある。
「俺もたまには貴方も表立って褒められるべきだと思う。貴方がいくら否定したところで、ここに集まった者達は貴方に見出だされた者ばかりだ」
「ホーエンベルク様までそんな……買い被りすぎですわ」
現にマリアンナ嬢のように私の本質を鋭く見抜く子もいた。私は彼等の優しさにつけ込んでいるのに他ならないのだ。流石に自分のエゴを突き付けられた当日に、丸っとその言葉を受け取れるほど図太くないのだけれど――。
「先生とアンナお姉様の舞台……本当に、本当に、素晴らしかったですわ! わたくし、次回からは絶対に牡鹿の駒を選びます!」
それまで一言も発言せずにモジモジしていた教え子が、そう力強く言いながら頬を薔薇色に染めて抱きついてきた。あまり大きな声を出すことのない子なので、少し驚きつつその身体を抱き留める。
――と、その後ろからルドがしがみつくアウローラの背中と、私の顔をじっと見比べたまま何かを思案していた。その様子にこちらがどうしたのか訊ねようかとするより早く、ルドが口を開く。
「あの、ベルタさん。今日の舞台は皆さんが仰るように、間違いなく最高のものでした。次回からは券を買うのも難しくなりそうなので、今日ここに来られて良かったです」
「ふふ、アンナの本の熱心な読者である貴男にそう言ってもらえると嬉しいわ」
何だか前回よりも大人びたように見えるのは、純粋に身長が伸びただけなのだろうけど、微笑み方だけは以前と変わらず中性的で儚げな印象だ。
こちらの発言にその表情の中に微かに照れが含まれた。子供らしくていい兆候だ。ルドの斜め後ろに立つホーエンベルク様に目配せすれば、彼も静かに微笑む。
あとの三人もこれで褒め言葉を受け取るしかなくなったと踏んだのか、生暖かい笑みを浮かべている。ちっとも懲りてないな……これは。
「それといまのお話を聞く限り、そちらの彼女もベルタさんの発明した遊戯盤を嗜んでいるのでしょうか?」
「ええ。私とフェルディナンド様と一緒に、この子の授業の休憩時間に対戦しておりますわ。なかなか強いのですよ」
「そうか。同年代の女の子で嗜んでいる人を見たのは初めてです。よければ是非一緒にやってみたいのですが……君、どうだろうか?」
突然のご指名に身体を固くさせていたアウローラがこちらを見上げ、不安そうに「先生」とすがるものの、私は視線を合わせてゆっくりと首を横に振る。
「アウローラ様がお決めになられて下さい。そのときは私もご一緒いたします」
「では、あの……是非」
そう言っておずおずと振り返って頷いた教え子を見て、ルドが嬉しそうに淡く微笑む。多少想定外のできごとはあったけれど、これで当初のヤンデレ百合ルート回避のための布石は打てた。
うーむ……当初の予定とは少し異なる波乱ぶりを見せたけど、まぁ、これはこれでありですかね。