♝幕間♝ちょっと苦手な人。
アグネスの教え子、マリアンナ視点です(*´ω`*)
わたしの親友は年齢の割に大人びていて、自己評価が低いけど優しくて、引っ込み思案だけど好奇心は人並みにある不思議な子。初めて出会ったのは、先生と出席したどこかの伯爵家のお茶会。
あのときは初めて会った相手だとは思えないくらいに話が弾んで、きっと一生の親友になれる子だって直感で思った。それはわたしだけじゃなくて先生にとってもそうだった。
親友の先生はわたしの先生の憧れの人で、彼女がいたからアグネス先生はわたしの家庭教師になれたのだと言っていたけど……。残念ながらわたしから見たベルタ先生は、そこまで魅力的な人とは言えなかった。
むしろいつもどこか一歩引いたところからこちらを見ているみたいで、少し苦手。単に目付きが悪いからそう見えるだけだろうけど、笑っていても何か企んでるように見えるんだもの。
でもアウローラの口から聞くベルタ先生の話は、毎回どれだけ彼女が完璧な淑女で素晴らしい先生かということばっかり。アグネス先生からも同じような評価。だけど社交界での彼女の噂は二人とはまるきり正反対で、変わり者の令嬢としての方が有名。
親友のご両親を悪く言うのは気が引けるけど、野心家なところを隠さないあの人達は、アウローラと先生が完璧な人だと讃える彼女をどこか軽んじている。
親友はよく『先生と出逢えたから、貴女とも親友になれたのよ』と言うけど、わたしはコーゼル侯爵が招待客に、見違えたアウローラの現在の家庭教師は誰かと訊ねられたときに『お教えするほどの者では』と笑ったのを見た。
そしておかしなことに、それをベルタ先生もどこかで分かっている風なのよね。だけどそれでもあの人はいつも笑っている。わたしなら絶対にあとで怒られたって悪戯して仕返ししてやるのに。
――そういうところが、お人形みたいで苦手。
アグネス先生はしたいことをしてみて、失敗したら『失敗したわね~』と見たままのことを笑って言う人だから安心する。ちょっと妙な髪型とお化粧と服装も、見慣れてしまえば可愛いし、個性的で素敵……だったのに。
あの人と一緒に仮面舞踏会に行った翌日から、普通の令嬢みたいな格好をしている。いままでわたしがどんなに髪型を弄らせてと言っても、絶対に縦ロールを止めなかったのに。それが急に薄化粧で真っ直ぐに髪を下ろして、普通のドレスになってしまった。
ベルタ先生の言葉は人を変えてしまう。操ってしまうと言ってもいいと思う。そういうところも……やっぱり苦手。それなのに今日はよりにもよって、そんな彼女の妹さんが手がけた舞台をお忍びで見に来ていた。
一緒に来たフェルディナンド様と、こちらで合流した他の二名は、男性だけで固まって鑑賞したいからと離れた席に座っている。男の子の方をどこかで見たような気がするけど、誰かまでは思い出せなかった。
いまも客席の人達は真剣に舞台を観ているのに、元があの難しくてさっぱりルールが分からない遊戯盤を下敷きにしたお芝居なんて、わたしにはさっぱり。アウローラと先生に誘われたから来ただけだから、少しも楽しめなくて。
それに、それよりも――……。
「ねぇ先生、わたしお手洗いに行きたい」
「え、え~……と。もう少しだけ我慢できないかしら~?」
確かにちょうど劇中でも重要なところだけど、さっきから我慢していた生理現象をこれ以上は我慢できそうにないわ。助けを求めてチラリと隣のアウローラを見てみるけれど、彼女も舞台に釘付け。
仕方がないから一人で行こうかと思ったら、先生の隣に座っていたベルタ先生が「私もちょうど行きたいと思っていたところでしたの」と、また笑った。ついてきてくれるのが彼女なのは少し複雑だったけれど、背に腹は変えられず……。
――、
――――、
――――――。
「マリアンナ様、もう少し外の空気を吸ってから戻りませんか?」
「大丈夫ですわ。それに早く戻らないと舞台が分からなくなってしまうもの」
「ですが“つまらないに決まってる”と顔に描いてある観客を、妹の初舞台の客席には戻せませんわ。我が領の子達の晴れ舞台でもありますし」
無事に劇場内のお手洗いを借りて、気乗りはしなかったものの戻ろうかと思っていたら、急にベルタ先生がそう言った。心の中を言い当てられた動揺で、思わず「どうして?」と言葉が出てしまう。
でも彼女はそんなわたしを見ておかしそうに小首を傾げ、言葉を続けた。
「ずっと舞台を睨んでいらしたでしょう? 原作の下敷きになっている遊戯盤もお好きではないのではありませんか?」
「そんなこと……」
「今日はアグネス様とアウローラ様に強引に誘われたのでは?」
「…………う」
「最初から“つまらないに決まってる”と思われて観られるのは、彼等や彼女等のこれまでの努力に見合いません。どうぞ終わるまでここに。マリアンナ様の苦手な私がお相手ではお嫌かもしれませんが、護衛をしないわけにはいきませんから」
何でもないことみたいにそう言った彼女は笑っている。お手本のように完璧な微笑。でもその瞳はいつもアウローラに向けられるものより、どこか冷たく見えた。
――……まさか怒っているのかしら? お人形みたいなこの人が?
瞬間、背筋に汗が浮き、奇妙な興奮が身体の内側に沸き上がる。お人形みたいなこの人が怒った。やっぱり皆が言うみたいに完璧な人じゃないじゃない。それなのにどこかがフッと軽くなった気がして。
「わたしがベルタ先生が苦手だって、いつから気付いていたの」
「さぁ、いつでしょうね?」
「ベルタ先生のそういうところが苦手なのよ」
「そうですか。でも苦手な物や人を無理に好く必要はありません」
はぐらかすのとは違うけれど、そう言って“ニヤリ”といつもの微笑みとは違い、悪い大人の顔でベルタ先生が笑うから。
「いま、少しだけ苦手じゃなくなりました」
「あら、それは良かったですわ」
やっぱり何だか変な人だけれど、ほんの少しだけアグネス先生とアウローラの好みに触れた気がするわ。