*16* 人生初・仮面舞踏会③
人気の少ない壁際付近から、賑わう中心のダンスホールへと招待客達の間を縫って向かう。その間も握られたままの手に少しの気恥ずかしさを感じて、前を歩くホーエンベルク様の広い背中を見つめるけれど、彼の歩みが止まることはない。
けれど彼のお陰でさっきの人物について考える暇が少しできた。ただ現状だと恐らく初対面だと分かるだけだ。あり得る可能性としては、また気付かないうちに知らないルートを踏んでしまったとかだと思う。
現に今夜の仮面舞踏会もいままで見たことがないルートだし、もっと挙げるならここに至るまでのことも色々初めてのことばかりだ。少しずつプレイしたことのあるルートが重ならない、未知のルートに切り替わっている可能性がある。
帰ったらここまでの数年間の情報と、憶えている限りのルートを整理した方がいいだろう。そうすることで何か新たな切り口を見つけられるかもしれない。
そんなことを考えながら周囲に視線を巡らせれば、そこには仮面の人々が交わす談笑と、音楽を奏でる楽団員達に向けて指揮者が振る指揮棒の輝き、グラスの回収に忙しそうな給仕係、楽しげにダンスに興じる男女の姿がある。
進行方向にあるダンスホールの中心近くにはちらりとアグネス様らしき姿も見えた。そうした光景を見ていると、段々と不整脈気味だった心臓も落ち着いてくる。さっき大きな声を出していれば、この空間を台無しにしてしまうところだった。
渡りガラスの男が追いかけてくる気配がないことに安堵しつつ、それでも後ろを気にしていると、いつの間にかダンスホールの端に立っていて。ホーエンベルク様に手を引かれ、演奏が次の曲に移る間を逃さずダンスに加わってしまった。
しかし身体に染み付いた慣れとは恐いもので、飛び込み参加であろうが勝手にパートナーと向かい合って手を組み、曲に合わせたステップを踏んでしまう。背中ばかり見ていたホーエンベルク様と対面したのは、今夜はこれが初めてだ。
髪型をオールバックに整え、深い紺色の正装に身を包んだ彼は、やや年齢不詳な感じになる。これで仮面が戯曲に使われるものならオペラ座の怪人みたいだ。長身で姿勢の綺麗な彼はさぞや舞台に映えることだろう。
「すまない。さっきは知り合いかと思って少し様子見をしたせいで、助けに入るのが遅くなった」
「いいえ、そんな。助けて下さってありがとうございました。けれどよく私のことがお分かりになりましたね?」
「別に助けたというほどではないだろう。それに貴方の姿なら遠目でも分かる。髪色と……歩いているときに頭があまり上下しないし、姿勢がいい。あとは、あまりこういう場は得意でないだろうから会場の端にいそうだと思った」
「ああ、成程そうでしたか。てっきり上手く装えずに、会場内で浮いているのかと思ってしまいましたわ」
確かに妹と一緒に出席したときもやや壁に近い辺りにいることが多かった。そんなことまで考えて周囲を見ていてくれたホーエンベルク様に感謝だ。そうでなければ今頃まだあの見知らぬ渡りガラスに捕まっていたに違いない。
「浮いてなど……こちらとしては、貴方が咄嗟に大声を出さないでいてくれたことに礼を言いたいくらいだ。エリオットの一族が催す舞踏会で騒ぎになるのは好ましくなかった」
被り物型ではなく目許を隠すだけとはいえ、リアルな狼の仮面をつけた口からそんな労りの言葉が飛び出したので、思わずあまりのチグハグな絵面に噴き出しそうになってしまった。
見た目的に上背もあって威圧感のある仕様なのに……この狼、紳士である。ただ私達が三人とも鳥なのに対して彼だけ狼とは、主催者側にこれを送るように何者かから指示があったとしか思えない。
というか、絶対フェルディナンド様が面白がって送ったと断言できる。仮面をしていても分かるというよりは、仮面の元になっている狼の顔がどことなく着用者に似ている……とは、本人を前にしては言えまい。
「ホーエンベルク様はリードがお上手ですね。とても踊りやすいわ」
「お褒めに与り光栄だ……と、素直に言いたいところだが、意外だったか?」
「ええ、実はほんの少し」
「これでも父が厳しかったので一通り必要なことは憶えている。貴方こそ社交場が苦手だと聞いていたのに、意外と見事なステップだな」
「教え子の前でみっともないステップは踏めませんもの。それにいつもあの子の授業ではフェルディナンド様がお相手なので、より一層」
「はは、流石に俺もエリオットとは比べるべくもないがな。あいつは芸術にかけては一切妥協をしない。その代わりあれに付き合えば、大抵の場所で気後れせずに踊れるようになるだろう」
そう言いながら軽く促されて一回クルリ。ステップの合間も途切れない会話にようやく楽しもうという気分が追い付いてくる。
腰に添えられるだけの掌も、拳一つ分開いた場所にある身体も、中性的なフェルディナンド様と比べてしっかりと男性らしいのに、不思議と安らぐのはリードの穏やかさだろうか。
初めて会った頃には何を考えているのか分からなかった瞳の奥も、いまではちゃんと笑っている。
「そういえば、フェルディナンド様達にはもうお会いになられましたか?」
「いや、まだだ。というよりも、仕事を抜ける時間が予定より遅れてしまってな。つい先程到着したところなんだ」
「まぁ、それでは私が一番最初の顔見知りだったのにお手間を取らせてしまったのね。申し訳ありません。この曲が終わり次第、フェルディナンド様達を探しに行きましょう」
「いや、あー……その、このままもう少し踊らないか。せっかくの舞踏会だ。しかもこんな奇妙な格好でというのも新鮮だろう?」
こちらの提案に彼はそう言うと、ステップに合わせて私の身体をターンさせた。しかし成程、妹の社交界デビューで王都に来るようになってから、舞踏会というのは今回がお初だ。
おまけにここまで凝った鳥獣戯画空間は、他ではまずお目にかかれないと思う。それならば彼の言うように、少しくらいこの雰囲気を楽しんでみるのもいいか。
そう思い直して若干気恥ずかしさを感じつつ「では、もう少しだけ」と答えれば、彼の口許が「喜んで」と動いて綻んだ。




