*20* 今度は何の分岐なのかしら……。
久々にお茶会のない一日を手に入れたので、教え子と二人、朝から温室の一角でのんびりと貯めていた教材を消化していく。このところ少し授業が遅れ気味ではあるけれど、焦って詰め込むのは駄目だ。
楽しんで憶えなかったことは驚くくらいあっさりと忘れてしまうものだから、授業の開始が朝の十時からと早目ではあるものの、いつものように小休止を挟んでのミニゲームも忘れずこなす。
ちなみに今回は彼女好みの政治家穴埋め問題である。枯れ専というのとはまた違うのだろうけれど、政治に携わる人物は比較的年齢層が高くなるため、どうしても渋い感じになるのは否めない。
けれど途中まで水を得た魚のように穴埋め問題を解いていた教え子が、ふとその手を止めた。それに伴い生き生きというよりも爛々としていた瞳の色が翳る。
「あの……先生、質問したいことがあるのですが」
その控えめな声量と歯切れの悪い物言いに、こちらも次に出題する問題を選ぶのを止めて視線を彼女に合わせ「どうぞ」と先を促した。
「わたくしも、お姉様達のように結婚しなくては駄目なの……?」
ややあって教え子の口から発された言葉の背景にあるものを大体察した。そしてそういう将来のために私は彼女の傍につけられている。
ここが仮想世界ではなく現実である以上、今度こそ失敗は許されない。最近は比較的暢気な時間が流れていたけれど、目指すものは最初からこの子のバッドエンドを潰した先にある幸せな未来だ。
「侯爵……お父様がそう仰られたのですか?」
「いいえ、お母様です」
そういえばそっちもそんな感じだったかと舌打ちしそうになった。両親共に野心家だと子供の気苦労も絶えないだろう。前世でも教育熱心な親御さんが子供に期待をかけすぎる場面をよく目にしたけれど、ここでもそれは変わらない。
むしろ家同士の繋がりを強固なものにするための責務がある分、こちらの世界の方が子供への干渉は過剰だ。恐らくだが、このところアウローラがやればできる子だというところを見せすぎたのだろう。
「結婚はいずれはしなければならないものではありますが、今のアウローラ様はまだお勉強が必要な時期です。この頃はお茶会に顔を出すことが多くなってお勉強が遅れがちですから、私から少しお茶会への出席を減らして頂けるよう侯爵様にお話しておきますわ」
こちらが意図してのことではなかっただけに油断したけれど、このままではまずいということが分かった分だけ早く軌道修正ができる……が。
「先生は? 先生もいつか結婚してどこかにいってしまうの?」
急に何かに急き立てられるように声を上げ、しがみついてくる小さな手。その意外な力強さにほんの少し驚いた。
「それもお父様かお母様に仰られたのですか?」
「は、はい……」
やれやれ、本当にろくなことを吹き込まない両親だ。せっかく味方が現れたのにいなくなると言われたら、誰だって動揺するだろう。ましてやこの子はまだ子供。庇護する立場の大人が脅してどうするというのか。
「ではアウローラ様が今より少し大人になって、将来結婚してもいいと思える素敵な婚約者を見つけられるまで、私は結婚して家庭教師を辞めないと約束します。それなら安心できますか?」
本音は単に結婚に対して無関心で、そもそもできるか分からないだけなのだが、そんなことは言わなくてもいい。
その後は落ち着きを取り戻したアウローラと一緒に再び課題をこなし、門限である七時に間に合うように帰宅したけれど、帰宅直後に執事から受け取った伝言の内容に苦笑したのだった。
***
伝言を受け取ってから四日後の非番。
差出人は前回うっかり本音と建前を逆に伝えて凹ませてしまったある人物。懲りずに誘われて最初は戸惑ったものの、内容的には授業の意見交換といういつものものだったので、それに応じる旨の返事をしたのだけれど――。
待ち合わせ場所に指定していた本屋の前に立っていたのは、ホーエンベルク様と見知らぬ美……少女なのか少年なのか、性別のあやふやな子供だった。
「今日は急に呼び出したりしてしまってすまなかった。休日だというのに応じてくれてありがたい」
「いえ、そんな。一人で授業の組み立てをしていては思考が固定化しますし、意見交換をするのは刺激があって有意義ですもの。こちらこそ呼んで頂きありがとうございます」
そう私達が表面上にこやかに挨拶を交わす間、彼の隣にいる人物はジッとこちらを見つめてくる。パッと見た感じだと儚げな美少女だけど、服の袖口から覗く手は同じ背格好の少女に比べてて男性的だ。
肩口で切り揃えられた髪を結わずに流しているせいで性別の判断が揺れる。まさかこのゲーム内に、フェルディナンド様並の中性的美人(?)がいるとは思っていなかったからちょっと驚きだ。最近は育成ゲームのキャラクターも、随分綺麗な顔立ちをしているものらしい。
「ええと……そちらは?」
「母方の親戚で俺の従兄弟だ。うちの屋敷を拠点に遊びに来ているのだが、本屋に行くと言ったらどうしてもついて来たいと言うので連れてきた。邪魔をしないように言い含めてあるから気にしないでやってくれ」
「まぁ、そうでしたのね」
一瞬チラリと彼の教え子である可能性も考えた。明らかに胡散臭い説明だけど……いきなり疑えるほど彼の家族関係を知らないし、何より外見が似ていないのも血が遠いと言われてしまえばカタがつく。
しかし今日ここにアウローラがいないのであれば、彼がここに教え子を連れてきた理由が分からない。それともこれも何かしらの分岐点なのだろうか?
ただ何にしても、下手に詳しく聞き出そうとしてゲームで説明のなかった地雷を踏むのも困る。相手は多感なお年頃。教育に携わるものならば細心の注意を払って挑むべき対象だ。
気を抜けば胡乱なものを見つめる視線になりそうなところを、グッと堪えて「初めまして」と微笑めば、それまでホーエンベルク様と私を興味深そうに眺めていた少年も、ドキリとするくらい艶のある微笑みを返してくれた。




