★12★ 防壁を抜けて本陣へ。
「これはエステルハージ殿。このように夜会で顔を会わせるとは珍しいですね」
「はは、確かにそうですな。しかしそれは貴方が本来この手の催しにあまり顔を出さないからでは?」
体勢を整えようとしたところでにこやかに心理的な足払いをかけられる。流石は城に勤めている文官の中でその見目だけでなく、仕事ぶりでも信頼されている人物だけあって防御が堅い。
領地こそ小さいが、元々エステルハージ領は昔から安定した土地柄だ。それが近年ではベルタ嬢とその妹の尽力でさらに評価が上がっている。加えて第一王子派とも第二王子派とも距離を置く当主の彼は、容易に政治的中立派の姿勢を崩すつもりはないだろう。
「ご用件があるのであれば私がお聞きしよう。娘達は先程まで挨拶回りをしていたところで疲れている。休ませてやりたい親心です」
要約するに“耳に入れるかどうかはこちらで決める”ということか。だとしたら明らかに教育について語るのは避けた方が無難だ。それに何より俺自身が何と話しかけようかまったく考えていなかった。
ただ彼女の声が聞こえたから、反射的にその声が聞こえた方向に向かおうとしただけの何の意味もない行動だ。有効な言葉を思いつけずに口をつぐめば、エステルハージ殿が呆れ顔で短い溜息をついた。
「君もそうだと言うわけではないが、次女の気を惹くために長女に話しかける無礼な輩が多くてね。ついこうして尋問官のようなことをしている。美しい娘を二人も持つと男親は気苦労が絶えん」
不機嫌に表情を顰めた彼がそう口にした言葉に、こちらまでその無礼な輩とやらに不快感を抱く。彼女の価値が分からない三流以下の連中に対して、殺意に似た感情すら持った。
「心中お察し致します。ベルタ嬢もアンナ嬢も、共に素晴らしい能力をお持ちだというのに。俺が親でもきっとエステルハージ殿と同じことをするでしょう」
波立つ感情を抑え込んでそう答えると、彼はご婦人方を骨抜きにするダークグリーンの双眸を細め、薄く笑った。
一見穏やかそうに見えるその微笑みを向けられた俺は、ここが人気の多い夜会場であることに内心感謝する。真意の見えない微笑みを向けられるのは、抜き身の剣を向けられるのと相違ない。
「まぁ、こちらの言いたかったことは以上ですな。それで、貴方が娘に話しかけたい会話の内容は思い出せただろうか?」
「はい。ベルタ嬢になかなか心の距離が縮まらない生徒との関係に、何か助言をもらえたら……と」
「成程。その質問内容なら確かに私の長女が適任だ。あの子から有意義な答えが引き出せるよう祈っているよ」
今度こそ親の公認が下りた。すると彼はもう話の済んだ俺に興味をなくしたのか、こちらのさらに後方へと視線を向けて「君もいつまでそこにいるつもりだ」と、やや柔らかい口調で声をかける。
振り向くと少し離れた場所に長身を丸めたヴァルトブルク殿が立っていた。熊の身体にノミの心臓と揶揄される気の弱い彼にしてみれば、エステルハージ殿の前に辿り着くまでに心の準備が必要だろう。
手にしている本の題名を見るに彼のお目当ては妹のアンナ嬢の方だ。そのことに若干安堵する自分に戸惑いつつも、せっかく取り付けた許可をグズグズしている間に撤回されても困るので、彼には一人で立ち向かってもらうしかない。
背後のヴァルトブルク殿と正面のエステルハージ殿に会釈をし、ようやく彼女達が会話に花を咲かせるテーブルへと近付くと、こちらの接近に気付いたアンナ嬢が悪戯っぽく微笑んだ。
「ふふ、見てお姉さま。お父さまのお許しを得た勇者がいらしたようよ?」
その言葉でこちらに背を向けていた赤煉瓦色の髪の令嬢が、ゆったりとした動作で振り返る。
「まぁ、どなたかと思ったらホーエンベルク様でしたのね。妹にご用の場合は私が最後の防壁として立ち塞がりますが、どちらにご用なのかしら?」
家族が近くにいるせいか、いつもより心持ちあどけなさの残る微笑みを向けられたせいで、本題を切り出すのが一拍遅れた姿に気付いたアンナ嬢に笑いを提供してしまったのだった。