*10* 蝶が羽ばたくと嵐がおこる。
呼吸が止まったのはほんの一瞬。教え子に発破をかけておきながら、その本人がすぐにみっともない姿は晒せない。
「初めましてアグネス様。私はベルタ・エステルハージと申します。会場に親しい方がいなかったものですから、お声がけ下さって光栄ですわ」
何とか動揺を飲み込み、骨身に染み込ませた微笑みを浮かべて体勢を立て直してそう返すと、彼女は嬉しそうな笑み(?)を浮かべて「まぁまぁ、やっぱりそうでしたのね~」とはしゃいだ。今にも跳び跳ねそうな動きが彼女という人柄を表している。
ライバルキャラクターはどんなゲームにおいても対。対になっているということで分かるだろうが、ゲーム内での私は陰、彼女は陽の立ち位置だ。そして対になっているということは、どちらかが先に突出することはないということである。
前世で国民的な人気を博したポ○ットモン○ターのライバルよろしく、大抵の場合は“何で今日一緒に旅立つの?”という日程を嫌がらせの如く組んでくるのに、どうして今までそんな簡単なことを忘れ去っていたのだろうか。
今回ここに彼女がいるのも、恐らく私が教え子に出逢うためにイレギュラーな行動を取ったせいだろうけど――というか、んん?
「ええと……申し訳ありませんアグネス様。こちらの聞き間違いでなければ今“やっぱり”と仰いました?」
「あら……まぁ嫌だわ、わたしったら~。初めましてと自分から言ったのにごめんなさいね」
「いえ、こちらこそ少し前まで自領に引きこもっていたものですから、あまりこういった場には馴染みがないもので。どなたかと勘違いなされたのでは?」
正直同じ子爵家の令嬢で、同じ歳で、正反対の気質を持つライバルという設定以外の接点がない。並べると盛り沢山すぎるだろうと感じるけれど、ゲームとは常にそういうものだから仕方がないだろう。
そして将来的に接点を持つのが免れないのなら、せめて今はまだ心穏やかに教え子の育成に専念したいのだけれど……。
「去年の社交界シーズンに貴女と妹さんの噂を耳にして、とっても素敵だと思ったのです~。まだまだ世間では女性や子供が学を持つのを嫌がる方も多いのに、何て先進的なのかって。それで憧れがすぎて色々噂を耳にする間に“初めて”感が薄れてしまったのね~」
そう指をモジモジさせながら楽しげに笑う彼女からは、同じ歳とは思えない無邪気さを感じる。まるで少女が無垢なまま大人になったようで、他の同年代のご令嬢達からたまに向けられる悪意がまったくなかった。
警戒していてもするりと懐に入って来てしまう。それがゲームのノベルシーンでは知り得なかった彼女という人物の本質らしい。
「貴女の功績のおかげで、わたしの両親が学問を続けることを許してくれたのですわ~。そこからご縁があって家庭教師をさせて頂けるようになりましたの~。ですから今日はお見かけしたときからそのお礼を言いたくて」
「ふふ……まぁ、そうだったのですか」
ここに来て突然のピンチの原因は私だっただと? まさかの自分で墓穴を掘るスタイル。何なら片足の爪先を棺桶に突っ込んでいる状態だ。これではチキンレースもとい究極のマッチポンプ。
おまけにそれで将来的に負けるとか、最初は強くて徐々に大したことがなくなっていく系のライバルキャラかな?
表面上はにこやかに微笑みあってはいるものの、はてさてこれは困ったことになったと思っていると、パステルカラーなドレスの森からもう教え子が戻ってくる姿が見えた。
しかもやけに嬉しそうに頬を赤らめた姿を見て、本能的に何だかまずいものを察知する。その証拠に遠目にも教え子の手を引いてこちらに向かってくる少女の、明るい紅茶色の髪には見覚えがあった。これは回避したかったフラグのうちの一本を早くも回収してしまったな。
綺麗な若草色の瞳は子猫のようで、大人しいアウローラとは正反対に活発そうな印象の少女は、紛れもなく前世で散々苦しめられたあの子だ。けれど今はまだライバルではない。
「アグネス様」
「はい、何でしょうか~、ベルタ様?」
ここまで来たら腹をくくれ私。これでむしろ今後の動向に目を光らせやすくなると思えばいい。昔から敵を知り己を知れば百戦危うからずと言うし、彼女達の真逆に育成して少し様子を見ることにしよう。
「もしよろしければお互いに学問を志す女性同士、教え子も交えて仲良くして頂けると嬉しいですわ」
だって敵になるより味方に引き入れる方が断然生存率は上がりそうだもんね?