*8* 日々コツコツとアップデート。
――合同教育、一月二週目。
「うん……まー、それなりに形になってきたって感じかなー? ベルタ先生の指導のおかげで、アウローラ嬢は姿勢がいい。あとはステップがもっと早く憶えられると尚いいんだけどねー」
初級のステップをつっかえながらも一通り流して肩で息をする教え子は、フェルディナンド様からのそんな厳しめの指摘に唇を噛み、けれどしっかり頷き返して「もう一度最初からお願いします」と言った。
憧れの人物に教えを乞うと、人は貪欲になる。彼を説得できたことは、この後の教え子の成長に大きく影響を及ぼすだろう。しかしやる気があるのは結構なことなのだけれど、最初から飛ばしすぎるのはあまり良くない。
「フェルディナンド様の仰ることにも一理ありますが、まだデビュタントまでは時間がありますしその辺は追々で大丈夫ですわ。今は見分けがつかなくともいずれ憧れのステップが見つかれば、集中力の高いアウローラ様ならすぐに憶えてしまわれますよ」
詰め込み教育よりも少しゆとりがある方が人は伸びる。これには大人も子供もないはずだ。隣のフェルディナンド様に目配せすると、彼は心得たとばかりにニヤリと笑った。
「ま、それもそうかもね。じゃあこの後アウローラ嬢は一旦休憩しながらオレとベルタ先生が踊るところを見ててよ。初級から上級まで一通り流すから、気になるステップがあったらそこで声をかけて」
「でも、まだ基本もできてません。次はもっときちんと――、」
「アウローラ様、そこにこだわりすぎて苦手になってしまっては勿体ないですわ。何かを習うならまず克服より“楽しそうなこと”からです。ティータイムのお菓子のように好きなものから選びましょう」
真面目なことは美徳であるけれど、この場では一度忘れてもらおうとの思いからそう言えば、食い下がっていた教え子は「ええ?」と困惑した声をあげる。
「あー、それは分かる。嫌いなものが食卓に並んでるときは、その倍は好物を並べたくなるよ。キュウリのピクルスを出されたら、カボチャのポタージュが鍋いっぱい飲みたくなるとか」
「えっと……分かるような……分からないような?」
「その場合キュウリのピクルスは残さず食べると考えれば大丈夫ですわ。あくまでも偏食がすぎなければですが。好き嫌いをしないことも、基本をしっかり守ることも大切です。でもやっぱり美味しいと楽しいがある方が良いですわ」
可愛らしく小首を傾げている教え子が新たな悩みを拗らせる前に、やや強引に会話をぶった切れば、フェルディナンド様は整ったご尊顔を芸術的な微笑みで彩って「ま、とりあえず踊ろう」と、私の手を取り会話を締め括った。
***
――合同教育、二月一週目。
苦手な数式とかれこれ四十分睨み合う教え子にヒントを出していたら、温室の入口の方から冷たい風が流れ込んできたのでそちらに顔を向けると、まだここにいるはずのない人物がこちらに手を振る。
「あれー、ちょっと来る時間早かった?」
問われたので素直に教え子と頷けば彼は誤魔化すように笑って近付き、テーブルに広げられた教材を覗き込んだ。
「お、難しいとこやってるなー。でもこの公式だと永遠に解けないけど。どれくらいかかってるの?」
「さん……いえ、四十分くらい、です」
「結構かかってるのに解けてないってことは、お姫様は数学が苦手なんだ?」
「ええ。他の科目に比べてやや、程度です。ちょうど今から解くコツをお教えしようと思っていたところですわ。次の授業枠までに間に合わなかったら課題にしますので、もう少々お待ち下さい」
言外に余計なことを言ってやる気を下げないでと念を送ると、彼は何を思ったのか、今日この後の授業に使用する縫いぐるみが入っているのであろう紙袋を漁り、ズルリと何か長い斑の物体を引きずり出した。
「これ、二人には何に見える?」
そんな謎かけと共に現れたそれは、頭から赤→橙→黄→緑→青→藍→紫と色を変えるある生き物だった。色的には虹と同じ。人が視認するプリズムの順番だ。
「「虹色の――、」」
一瞬だけ教え子の可愛らしい声と私の低めの声が重なる。
「ヘビ、です」
「ご不浄かしら」
前者がアウローラで後者が私のその答えに、フェルディナンド様が貴族らしからぬ声を上げて「ベルタ先生、発想が小さい男子」と笑い、教え子がポカンとした表情を浮かべた。
「まぁ……ふふ、申し訳ありません。領地では小さい男の子にも教えていましたから、つい発想まで寄り添ってしまったみたいですわ。お忘れ下さいませ」
慌てて訂正したけれどテーブルの上でトグロを巻くように置かれたら、ついそう見えたのだ。確信犯でないのなら彼の方が無自覚な小学生男児を心に飼っている。私は無実。セミの脱け殻もヘビの脱け殻も宝物にはしていない。
フェルディナンド様は、私の失敗にクスクスと愛らしく笑うアウローラの頬にヘビの縫いぐるみの口を押し付け、呆れた様子で苦笑する。
「ベルタ先生がおかしなこと言うから、せっかくお姫様に力を貸そうとして下さった知恵の神のキスが台無しだ」
芝居がかった動作で虹色ヘビの縫いぐるみを肩にかけた彼のキザな台詞に、純粋な教え子がほんのりと頬を染めた。
***
――合同教育、二月四週目。
コトッ、トッ、ト……と軽い音を立てて、厚紙で作ったサイコロがテーブルの上を転がる。ゆらゆら揺れながらもう一つ転がるかと思ったサイコロは、残念ながら踏み留まってしまった。
「六か……って、うぅわ、またマスに何か書いてある。もう嫌だ。自分で読みたくない。オレの代わりにどっちでもいいから音読して」
「フェルディナンド様……最初の頃『たかだか素人が手作りしたボードゲームだ。悪いけど一人勝ちさせてもらうねー』と仰っていた覇気はどうされたのですか?」
「強気のオレは死んだと思って。いいから読んでよ。それで残り少ない有り金巻き上げればいいんだ」
休憩時間に三人で私の作った双六に興じていた最中に、思ったよりも幸運値の低い体質らしいフェルディナンド様が天を仰いだ。その様子を向かいの席から心配そうに眺めるアウローラは、今日も今日とて良い子である。
「それでは遠慮なく。“相手国から戦争賠償を求められ戦後復興に充てる国費を全て失うが、それでも足りない。不足分の支払いをどう支払いますか?”ですね。方法は三択で同盟国に借金をするか、国債の発行を増やして賄うか、税金を上げて捻出するかです」
ちなみにこの双六の名前は【宰相ゲーム】という。プレイヤー達はそれぞれ五つの国の宰相となり互いに策を使って騙しあったり、共闘したりという教え子の好みに全力で応えただけの代物なので、意外と内容がシビアだ。
最大で五人まで遊べるけれど、今のところ私達三人しか遊んだことがない。双六と言いつつもゲーム的には○生ゲームに寄っている。五人で遊べる仕様にしてしまったがために、五勢力分のお札と国債の紙を作るのにとても苦労した。転生してから身に染みるコピー機のありがたさよ……。
「はー……ベルタ先生は、よくもこんな底意地の悪いボードゲームを幼気な生徒の教材用に作ったね?」
「お褒めに与り光栄ですわ。それで、どうなさいますか?」
不貞腐れるフェルディナンド様を適当にあしらいつつ、偽札の束を手にして銀行員の如くお札を繰っていたら、アウローラがおずおずと口を開いた。
「あの、フェルディナンド様……わたくしが同盟国なのでお金をお貸しします。サイコロの出た数で貸し出しの金額と、借金返済までの年数になりますから、できるだけ大きな数字を出して下さい」
作ってから何度も遊び倒しているのでだいぶくたびれた偽札を握りしめ、ボードゲーム内とはいえ推しに課金をしようとする彼女にほっこりしてしまう。これが元のゲームなら今頃魅力が上がっているに違いない。
けれど結局引きの悪いフェルディナンド様はそんな彼女の献身に感動しかけ、すぐに「いや、でもそれだと借金の数字も大きくなるんじゃない?」という、至極尤もなことに気付いてしまった。
ああ、残念。彼女が歴史に名を残す憧れの宰相になるには、もう少し狡猾さと勉強が必要なようだ。




