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*11* カーテンコールを晴れやかに。


 舞台が濃淡は違えども赤一色に塗り潰され、ホーエンベルク様の領地からお借りした元本職騎士達の活躍ぶりで、否が応にも舞台の終わりが近付いている後半。隣の席に座る彼との会話も途絶えて久しい。


 それにこの最終章の脚本は前世で最後に見たバッドエンドを彷彿とさせるせいか、徐々に胸が苦しくなってきた。それなのに何故か目を逸らしてはいけない気がして、教え子を演じる彼の行く末を見守ってしまう自分がいる。


「“これが先生とご一緒できる、最後の授業になりますね”」


 漆黒の甲冑に身を包んだ青年はそう口にし、房飾りのついたバシネットをかぶる前の、ただの教え子の表情で振り返った。いつも騒がしく劇団の皆を笑わせている人物と同一人物とは思えない。


 それに三作目の主人公役だった男優が連れてきたという友人の彼も流石に上手い。若手ばかりのミステル座では渋い俳優が少ないから舞台上ではとても映えた。


「“ええ。二人揃って随分と出世したものだと思います。これで名実共に貴男がこの国最後の王です”」


「“せっかく先生にご指導頂いたのに、こんなに長くかかってしまった。それに思ったよりも多くの兵士達が残ってくれたようです。負け戦になることは目に見えているというのに……彼等やその家族に対して本当に申し訳ない”」


「“構いませんよ。初めて逢った日に幼い貴男が口にした願いを叶えられた。教師冥利に尽きます”」


 その台詞にドキリとして客席の肘掛けを握る手に力がこもる。もう回避した未来であっても心臓が早鐘を打って汗が滲んだ。けれど不意に私の手の甲に別の熱が触れて。輪郭が朧気ながらもそれが大きな手だということに気付いた。


 ドギマギしながら隣を見やればホーエンベルク様が笑う気配がして、握り込まれた手がより一層熱を持つ。まるで“大丈夫だ”と言われているようでふっと肩から力が抜けた。


「“……あのとき僕が何と言ったのか、憶えていて下さったのですか”」


「“勿論。大した功績のひとつもない、いつでもすげ替えられる家庭教師に向かって『先生、玉座を僕に下さい』ですから。死んだ目をしているくせに野心の強い子供だと感心したものです”」


 甲冑を着込んだ教え子の前で場違いなカソックに身を包んだ彼は、その襟を弄りながら笑っているようだった。そして教え子に歩み寄ると、私がアウローラにするように彼の頭をくしゃりと撫でた。


「“悪政を引いた愚かな王の代わりに討たれるのが貴男であること、口惜しく思います。わたしの力が及ばず申し訳ありません。お詫びにと言ってはおかしいですが、最後に望みはありますか、陛下”」


「“――死にたくない、は、流石に先生でも無理でしょうね”」


「“ふふ、残念ながら。ですが、そうですね。泣き虫な教え子と共に前線に出て死ぬことくらいはできますよ”」


 いつかに似たやり取りに胸が痛んだけれど、舞台上にあるのは悲壮ではなく、どこか穏やかさのある幸福だった。終わっても良いのだと。それとて救いにはなるのだと。胸に、記憶に残ってきた前世の棘が溶けていく。


 青年は師のその言葉に頷き、バシネットを被ったところで再び舞台は暗転して。次に彼が姿を現したのは、残った騎士達が勢揃いした広場だった。


「“神よ、国を失う王を赦し給うな。都の陥落と共に我が身死すとも、逃れんとする民達を助け給え。死なんとする者は我と共に続け!!”」


 最後の最後で主役の彼が初めて上げた大喝に観客達は飲まれ、甲冑を纏った騎士達が腰の剣を正面に構えて誓いの形を取り、一斉に吼えた。


 それを合図に背景がスルスルと変わって、他国の色を纏った騎士達が入り乱れる戦場へと場面が切り替わる。元本職の動きは一朝一夕の付け焼き刃ではないだけに、縦横無尽に思いきり打ち合う迫力は凄まじかった。


 しかしそんな雄々しい場面のまま徐々に舞台に降る赤い照明は光度を減らし、やがて暗転した。次に舞台に明かりが落ちたとき、そこは舞台開始時に見た血にまみれた玉座と赤い獅子の描かれた国旗が浮かび上がる。


 玉座の前に立ち尽くすのは五国戦記一番最初の主人公だ。彼は一冊の本を手に観客達に向かい、この物語の語り部としてその後の歴史を語る。


 牡鹿の国と大蛇の国は不可侵条約を結び、大鷹の国は教義を広げようと熊の国に戦をしかけ大敗。その後は属国として傘下に降る。四つの国は散り散りになり、新たな歴史の中に消えた。


 読み上げられる歴史の年表と内容だけが【史実】として編纂されたのだと締め括られる。斯くして赤の獅子の国は他の四国が結んだ同盟軍の前に倒れ、犬の子と蔑まれた最後の王の名も残さずに、ただ【滅亡】したと記された。


 彼とその師の存在を知るのは、ここにいる観客達だけ。そういう演出なのだろう。金糸銀糸に彩られた豪奢な緞帳がゆっくりと舞台に立つ彼を隠していき、完全にそれが閉ざされてしまうと、劇場内は一瞬無音になった。


 だが直後に誰かが拍手をし始め、伝播する。やがてそれはこの大劇場を揺るがすほどの万雷の音へと変わる。立ち上がって称賛の言葉を送る観客達の前で、再び閉ざされていた緞帳が持ち上がった。


 けれど舞台に立ったミステル座の一団は、お辞儀をすることも手を振ることもない。しかし観客達は静まるどころかより一層拍手を大きく奏で、戸惑う私がおかしいのかと思ってしまう。


 そこでこっそり隣のホーエンベルク様に同意を求めようとしたのだけれど、それよりも早く舞台袖から現れた甲冑姿の騎士達……たぶん総勢で六十人ほどが、中央通路に降り立って等間隔に向かい合い一列に並んだ。それも、私の席の真横まで。フル装備の騎士とか圧迫感が半端ではない。


 彼等は腰にはいていた剣を鞘から抜くと互いに掲げ、頭上で交差させた。剣のトンネルと呼べるそれは、海外の歴史映画で見たことがある。あるけれど……何故いまここでという疑問を抱いていたら、ホーエンベルク様にそっと肩を押された。


「彼女を舞台に」


「は、お任せ下さいヴィクトル様。我が領地の未来の奥方様を華々しく舞台まで送り届ける任務、我等一同しかと承ります」


「お、お、奥方様だなんて……あの、ええ?」


「こんなときに悪ふざけをして混乱させるな。ベルタ嬢、うちの者達の言葉はあまり気にせず今は舞台へ。観客もミステル座の皆も貴方を待っている」


「あそこに、一人でですか?」


「大丈夫だ。途中でアグネス嬢とエリオットも合流する」


 そう告げられて今度こそ席を立たずにはいられなくなり、おずおずと中央通路に出た。騎士達の翳す剣の道を歩く私に劇場内の視線が降り注ぐ。ついでに騎士の皆様から「うちの隊長をよろしくお願いします」だとか「我等の領地は良いとこですよ」といった、気が早すぎるお言葉も頂きつつ。


 何とか気持ちを奮い起たせて中列のアグネス様の席まで辿り着いたが……彼女の様子がおかしい。気のせいでなければ小刻みに震えてないか?


「あ、来た来た。おはようベルタ先生」


「おはようございます、フェルディナンド様。あの、ホーエンベルク様にお二人を舞台までお連れするよう頼まれたのですけれど……アグネス様、大丈夫ですか?」


「やー……うん、大丈夫、大丈夫。アグネス嬢のこれは体調不良とは違うから気にしないで。正気に戻る前に連れて行こう」


 そう言うフェルディナンド様もどこかソワソワとして見えたものの、鳴り止まない拍手に急き立てられ、突っ込んでいる暇はなさそうだと判断して二人を道連れにゲットした。


 ――が、流石に舞台まであと少しというところでアグネス様が正気に戻って「ベルタ様?」と、目蓋をパッチリ開いて水色の瞳を見せてくれた。しかしここまで来てはもう離してあげられない。フェルディナンド様と笑みを交わして剣の小道をグングン進む。


「お姉さま、アグネス様とフェルディナンド様もこっちよ。早く上がってきて!」


 階段の前に辿り着いた私達にアンナが声をかけてきたと思ったときには、舞台の上から迎えに降りてきた団員達に取り囲まれ、周囲から伸びてくる手に導かれて。気が付けばまるで主役のような扱いで舞台のど真ん中に立っていた。


 右手にはアンナ。妹の右手にはヨーゼフ。

 左手にはアグネス様。彼女の右手にはフェルディナンド様。

 その先に続くのは領地から一緒に出てきた皆と、新しく仲間に加わった団員達。


 全員が手を繋いだのを確認したアンナが「せーの」と声をかけると、ブワッと両手が持ち上げられた。その直後、もうこれ以上は大きくならないだろうと思っていた観客席からの拍手と喝采が更に大きくなり、全身に降り注いだ。


 なのにこれだけ降り注ぐ声の中でも聞き分けられる「先生ー!!」の声に、弾かれるように視線を巡らせれば、特別席から身を乗り出す二人の小さな淑女と、そんな彼女達を支える二人の王子達の姿を見つけ。


 前から三列目の席では父が大袈裟なくらい拍手をしてくれている姿と、やや生え際の怪しいヴァルトブルク子爵が漢泣きに咽ぶ姿が見える。ここからは最後列の彼の姿は見えない。だけど必ず見てくれている。


 鳴り止まない拍手と喝采の嵐で私を縛る【断罪】の呪いは完全に解けて。これから始まる新しい物語は、攻略方法なんて一つも分からない。たくさん学んで、最適ではなくても自分なりの解を求めていこう。


 だって私の天職は前世も今世も、たぶん来世も【家庭教師】に違いないから。

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