*10* 衣装の秘密。
いつもの劇場とは比べ物にならない広い劇場。二階の特別席からだけでなく、最後列からでも全体を観られるように設計された、舞台にかけて緩やかなすり鉢状になっている中央通路。
そこをこちらに向かって戻ってくる彼と、中央列の通路側席から手を振ってくれる彼女と、その肩に寄りかかったまま身動がない彼。そんな三人の姿を最後列の通路側席から見つめる私。指定された席に散らばっていく観客達の人数を数えることはもう諦めていた。
ただ今日は気のせいでなければ貴族らしい観客が目立つ気がする。しかし考えてみれば最初に遊戯盤を購入した層がそういったお金のある人達で、ついでに資金援助者になってくれた人のために優先的に半券を送っているのだから、おかしなことではないけど。
ちらりと二階に視線を巡らせたときに、やけに護衛っぽい人の数が多い一角をみつけたので、もしかすると高位貴族……アウローラとマリアンナ様がいるのかもしれない。すでに王族入りを確定させた彼女達とは、以前のように気軽に観劇する機会は減るのだろう。こればかりは寂しいけれど仕方がない。そんなことを考えているうちに彼が席に戻ってきた。
「ホーエンベルク様、お疲れ様です」
「あの調子のエリオットの世話なら、昔からよく見ていた俺がした方が早いと思うが……当のエリオットがアグネス嬢を指名したからな。あまり迷惑をかけないと良いんだが」
ほぼ半分寝ていた状態のフェルディナンド様に肩を貸し、指定されていた席に送り届けてきたホーエンベルク様を労うと、彼はそう言って苦笑した。
入口付近で再会したあと、父は舞台の前列で義弟の両親であるヴァルトブルク子爵夫妻と、アンナはヨーゼフと劇団員達と一緒に舞台裏へと行ってしまったのだけれど、入場してすぐ手許にあるチケットの席が離れていることに気付いたのだ。
しかも席の並びは隣合わせのチケットで、場所が最後列と中央列。いままでなら四人分の席がバラけることはなかったものの、今回はバタバタしていたからこんなことになったのだろう。
せっかくの最終公演初日に残念なミスもあったものだけれど、フェルディナンド様が夢現状態で『……アグネス嬢と、観る』と言い、アグネス様も『ご指名では仕方がありませんわね~』と言ってくれたので、それに甘える形になった。
正直二人を隣同士の席にした方が良いのか、妙な気を遣わずに止めた方が良いのか分からないでグルグルしていた恋愛初心者の私は、最後まで親友二人に救われてしまっている。せめて公演後のお茶くらいは奢らせてもらうつもりだ。
――と、全席が埋まったのだろう。劇場の八つある扉が全て閉ざされ、期待に満ちた観客達の声をBGMに明かりが落とされ始める。その気配に気付いたホーエンベルク様が着席した弾みに肩が触れた。
「そういえば……ホーエンベルク様とこうして隣り合っての鑑賞は初めてですね」
「ああ、確かに言われてみればそうかもしれない」
そこで一瞬間が生まれたけれど、続く彼の「いつも以上に楽しめそうだ」という言葉を耳にしたのに、答えを返す前に観客席側の最後の明かりが落とされて。熱の集まる頬を見られることなく幕が上がった。
ゆっくりと勿体ぶるように持ち上がった舞台上にいたのは、最終公演の初日挨拶をする義弟でも妹でも団員達でもなくて。スポットの当たる舞台の中央、誰も座る人のいない深紅にまみれたと玉座と。踏み荒らされ、無惨に切り裂かれた赤い国旗だけがある。
無音の中に忽然とそれが現れた瞬間、この物語はすでに終わっているのだと、ここにいる誰もが理解した。五国戦記の中で他の四国から共通敵として憎まれた赤の国。無敵の国。無敗の国。獣の国。その骸が晒されている。
入口で見た雄々しく苛烈な絵とかけ離れた静寂。淡々と切り抜かれた静止画。そんな舞台を前に、私を含めた観客達の間に徐々に動揺と困惑が広がり始めたそのとき、再び舞台が暗転した――が。
それと同時に通路に薄く明かりが落とされて、閉ざされた八つの扉が大きな音を立てて開け放たれ、そこから次々に甲冑に身を包んだ兵士達が現れたかと思うと、全員が中央の舞台に向かって一直線に駆け出した。
静寂が突如金属の擦れ合う音に支配され、わけも分からず甲冑の兵士達を目で追う観客達。導かれるように再度視線を戻した舞台の上には、先と同じく赤く染まった玉座があって。
けれどそこに脚を組んで座る青年と、その横に泰然と佇む学者か聖職者然とした壮年の男がいる。青年の膝には血に染まった剣が一振り置かれ、彼はそれに落としていた視線をゆっくりと舞台に駆け上がってきた兵士達に向けた。
すると兵士達は一斉にその場に膝をつき、叫んだ。
「“新国王陛下万歳!!”」
「“我等の夜明けに万歳!!”」
「“塔の君と宵の賢者に忠誠を!!”」
二十人ほどしかいないのにバシネット越しに劇場を揺るがすほどの大声量。思わず心臓の上に手をやってしまった。たぶん劇場内の女性は皆やってるはずだ。劇団員の発声練習はこれまでに何度も見てきたけど、そのどれとも明らかに違う。
おまけに横を駆け抜ける彼等の甲冑を一瞬だけ見たけれど、やけに生々しい傷や凹みが入っていたうえに、かなり重量級な音がした。いくら劇団の皆が鍛えているといっても、全身甲冑に身を包んで全力疾走は難しいのでは?
そこでふとある疑惑が頭を過った。今回に限って難航し、何故か手伝わせてもらえなかった衣装集め。これはもしや……と思ったら。
「演劇をやったことはないと言っていたが、皆なかなか様になっているな」
「ホーエンベルク様……ということは、あの兵士役の方々は……」
「俺の元部下でいまはうちの領民の退役軍人達だ。手紙で急遽手を借りたいと言われて、誰か暇な者はいるかと領地に手紙を出したのだが……結構いたらしい。調子に乗って公演期間中に腰を傷めないと良いが」
苦笑しつつ顎に手を当てて嬉しそうに溢すホーエンベルク様を見て、まさか聞いていませんけど? とは言い出せず。納得すると同時にアンナのちゃっかり具合に姉として少々恥ずかしくなった。




