♗幕間♗真冬の綱渡り。
「アグネス様、本日もとても勉強になる時間を過ごさせて頂きました。ドレスというのは奥が深いものなのですね……」
そう疲弊を滲ませて言うベルタ様の表情に思わず声を立てて笑えば、彼女は気を悪くした様子もなく「馬に乗る方が楽しいからとサボり過ぎたせいですね」と。そんな風に穏やかに笑って下さったわ。
「それではアグネス様に頂いたこの案を遊戯盤工房と、縫製所に提出しておきますわ。きっとお針子さん達も首を長くして待っているでしょうし。また明後日もお願いしますね」
「ええ。なるべく早く新しい遊戯盤を商品化できるように頑張って、ホーエンベルク様が戻ってきたときに驚かせてやりましょうね~」
別れの言葉を述べて席を立つ最中、彼女の瞳が一瞬だけ何か問いたげに揺らいだ。けれどそのことに気がつかないふりをして玄関ホールまで見送り、今日も無事にシラを切り通せたことに胸を撫で下ろしつつ自室に戻る。
真白と鈍色。冬は彩りがなくて寂しいと言う令嬢は多い。まあ、以前はわたしもその一人だったのだけれど。
「我が家の庭園は今日も綺麗だわ~……」
自室の窓辺に置かれたカウチで淑女にあるまじき立て膝姿でだれていると、一ヶ月前の失恋した挙げ句お酒で大失態を冒した式典が随分昔のことに感じる。本当に十年か二十年くらい時間が飛んでくれていたら良いのに。
せめて背負われたのが別の方だったら……ううん、どちらにしても駄目ね。貴族の娘としては致命的なことに代わりはないもの。
お酒の力を借りた一世一代の告白の翌日。背負われている間と一晩しっかり取った睡眠時間以外の記憶は、一切失われていなかった。それどころか二日酔いですらなかったのよね。
むしろこちらを心配そうに覗き込んで、泊まらせて頂く予定だった部屋とは違う場所で眠っている説明をしてくれたベルタ様の方が、よっぽど苦しそうだったわ。たぶん愚かにもお酒に溺れたわたしのために一晩中起きてくれていたのだ。
どうにもお酒に弱くて眠ってしまうのに、酒精が抜けるのは早い体質のようだと知れたけれど、記憶を失くしていたいし二日酔いでいたかった身としては、少しも嬉しくなくて。ベルタ様にみっともない姿を見せてしまったことが悔やまれたわ。
「はあああぁ……ベルタ様のあのご様子……いったいどこまで気付かれてしまっているのかしら~」
口に出してしまえばもう逃げ場がない気がして、ドッと疲れが押し寄せてきた。抱き寄せた膝に顔を埋めると、隣国から逃げるようにこの屋敷に帰ってきた翌日に、単身わたしを訪ねてきたフェルディナンド様の声が脳内で鮮明に甦る。
『疲れて帰ってきたところに突然お邪魔してごめんねアグネス嬢。でもこの手紙、途中で千切れてるんだよね。だからもしもまだ手許にあるなら、その続きももらっておこうかと思って。駄目かな?』
どうやって切り抜けようか悩みながら応接室に通した直後、お酒に飲まれてあの夜の記憶がないふりをする前にテーブルの上に広げられた黒歴史。血の気が引くと同時に、まだ持ってくれていたことに摘まなければいけない恋心が伸びてきて。
小首を傾げてこちらを覗き込んでくるフェルディナンド様はあざとかった。だから何も期待できるようなものなどないのに、うっかり言われるままにコルセットの裏側に張り付いていた手紙の残骸を渡してしまったのだもの。好きな人のお願いはまるで物語に出てくる魔法のようだわ。
『これから四月の最終公演に使う広告画の仕事に入るんだよねー。で、そうなるとしばらく誰とも会えないと思うから。いつもはそれが普通だしそれで良いんだけど、今回はちょっと試してみたいことがあってさ』
結局彼がその試してみたいことについて言及してくれることはなかったけれど、少なくともあの恋文と呼んで良いのかよく分からない代物は、フェルディナンド様を不快にさせはしなかったようで。
本音を言うならそれだけでわたしには充分だった。だから敢えて訊かずにいたのだけれど……ベルタ様の口からその話が出ないということは、彼はこちらの思惑に気付いて秘密にしてくれている様子。彼らしいその気遣いが嬉しかったわ。
「結婚式に招待されるなら、気まずい顔はして欲しくないですものね~。とは言っても、すべてはホーエンベルク様のお仕事状況次第ですけれど」
ここ一ヶ月、ホーエンベルク様は両想いになれたベルタ様を置いて、隣国に残って空白地帯だった土地の調停に奔走していた。ベルタ様の方でも新しい遊戯盤の製作やアウローラ様を含めた王家の相談役として奔走しているし、イザーク様やアンナ様達は四月の五国戦記の最終公演に向けて動いている。
ベルタ様とホーエンベルク様の婚約話はまだ両者の親に手紙で通達しただけで、顔合わせすらしていないそうだから、それを娘命と有名なエステルハージ様がどう思っているのやらといったところ。
わたしはと言えば、年末にお城で執り行われた式典で次期王妃としてのお披露目も済み、これまで以上に厳しくなった妃教育に音を上げるマリアンナ様に呼び出されてお茶をする以外、ここでジッと季節が移ろうのを待っているだけ。二人の立場を変われるものなら変わってあげたい。
「ようやく想いが通じ合ったのに恋人同士の語らいもなくお仕事三昧だなんて、周囲の方々も気が利きませんわ~! わたしなら……」
ポロっと零れた独り言に思わず口許に手を当てて苦笑してしまう。こんなときはあれを見て気分を紛らわせた方が良い。
そう思い立ってカウチから立ち上がり、書き物机の抽斗を開けて、中からベルタ様と色違いのお揃いでもらった髪飾りを取り出した。シャラリと揺れるガラスビーズの飾りがフェルディナンド様を彷彿とさせて、胸の内を満たしてくれる。
「まあ、こうなったらもう、なるようになれ~! ってものですわね~」
少なくともわたしの想いを伝えたいという願いは叶ったのだから。今度は早く彼の試みの結果と、離ればなれの恋人同士が再会できる四月になりますように。




