*4* 決断の記念式典④
「お疲れー、ベルタ先生! このあとは去年と同じでどこの連中も自由行動らしいからさ、アグネス嬢とヴィーと四人でパーッと派手に飲もうよ」
決断を前に深呼吸を一つ、すでにこちらを出迎える体勢に入っているミステル座の皆の輪に加わるより早く迎えてくれたのは、フェルディナンド様その人だった。
今夜も常と変わらず華やかな彼が眩しくて。そんな彼に対して自分のように凡庸な人間が決断の内容を告げることは、未だに烏滸がましいのではないかという気がしてならないけど――。
「……って言いたいとこだけど、その顔だとあの夜の答えが決まった感じかな?」
彼の言葉に曖昧に微笑み返し、臆病風に吹かれそうになってトロフィーを抱き締めると、勘の良いフェルディナンド様はすぐに察してくれた。こんなときまで彼の先回りした言葉に頼って頷くだけの私は卑怯者だ。
それなのにフェルディナンド様は気分を害した風もなく、形の良い顎に手を当てて少しだけ考え込むと、サッと会場内に視線を流して頷いた。
「ん、そっか。だったらちょっとだけ場所移そう。ここだと騒がしすぎるから。場所は……そうだなー、あそこのバルコニーとかどう? 寒くて誰も外に出てないみたいだし。あんまり長話にはならないだろうからさ」
「……はい、分かりました」
「よし、それじゃ決まりね。オレは皆に先に飲んでるように言ってくるついでにそのトロフィーをアンナ嬢に預けてくるから、先にバルコニーの近くまで行って待ってて。あ、分かってるとは思うけど外には先に出ちゃ駄目だよー。風邪ひくから」
そう言うや否やヒョイと私の手からトロフィーを回収した彼は、こちらを気にしつつも互いの健闘を称え合い盛り上がっているミステル座の輪の中に消える。アグネス様と喋っていたアンナが私を呼びに来ようとしていたけれど、その腕を引いて止めたのは他でもないアグネス様だった。
妹の足止めをしてくれてホッとする反面、彼女の意図が分からず言い様のない不安を感じたものの、この期を逃すまいと慌てて指定されたバルコニー前へと足早に向かう。二、三度出席者に呼び止められて挨拶を交わす最中、高位貴族らしい人達と会話をしているホーエンベルク様の姿が見えた。
寒い時期なのでバルコニーの前は人気がなく、そこだけが賑わう夜から切り離された錯覚を覚える。待つこと数分。出席者の女性達に呼び止められながらも、それを人好きのする微笑みで躱してフェルディナンド様が到着した。
「ごめんねー、ちょっと待たせちゃった。寒かったよね」
「いいえ、大丈夫です。私も途中で呼び止められたので、ついさっきここに辿り着けたところですから」
「そっか。それなら良かったー……って言うわけないでしょ。はい、上着。外にいる間だけでも羽織っといてよ」
フェルディナンド様はそう言が早いか、自身の着ていた上着を脱いで私の肩にかけてくれた。スマートすぎる。おまけに背中に手を添えられてエスコートまで。だけどこんな紳士な振る舞いを受ける資格は私にはない。
「待って下さい。これだとフェルディナンド様が風邪をひいてしまいます」
「男の方が女の人より頑丈だからいーんだってば。オレこんな見た目してるけど男だからね?」
「いえあの、決してそういうつもりで言ったわけでは……!」
「分かってるよー。いまのはちょっと我ながら意地悪な聞き方だった。でもさ、オレはいつもピシッとしてるベルタ先生の困った顔が好きなんだよね」
「は、はぁ、困った顔が……ですか?」
当然のことながらそんなのは初耳だ。困った表情をさせるなら、普通はアンナのように可愛い子が良いものではないだろうか。彼の言葉が理解できずに張り詰めていた気分がふと緩む。
言葉を探して立ち尽くす間も互いが吐き出す呼気だけは、絶えず空気を白く曇らせる。ああ、でもほら、冬のバルコニーの気温には体温の移った上着もすぐに冷えてしまう。早くこの上着を返さなくては。そんな雑多な思考が突然告げられた彼の難解な嗜好を塗り潰していく。だけど――。
「そーそー、そういう顔。それで困らせたあとに笑わせるのがもっと好きなんだよね。だからさ“ごめんなさい”って言ったあとは、とびきり良い顔で笑ってよ」
「フェルディナンド様……」
「大丈夫だよ。最初からこうなる予想はしてたから断る理由も要らない。でもさ、言わないで諦められるほどどうでも良い想いじゃなかった。それに困ってる顔をしてくれてるってことは、悩んでくれてたってことでしょ? それだけで充分嬉しいし。ただ、ベルタ先生には気まずい気分を押しつけちゃってごめん」
ああ、まただ。また私は卑怯なことをしてしまった。そう感じた瞬間足許から寒さからではない震えが上がってきて膝が震えた。違う。あの夜私は押しつけられたんじゃない。
手渡してもらったのだ。彼の優しい気持ちを。こんなエゴの塊の私に。
「いいえ、いいえ――……! フェルディナンド様が謝ることなんて何もありません。初めて告白されたのが貴男のように素敵な人だったことは、私のこれまでの人生で一番の僥倖でした。あの夜打ち明けて下さったフェルディナンド様の気持ちは、本当に、本当に嬉しかったんです」
がむしゃらに口をついて出た言葉が澄んだ空気を白く汚す。戦慄く唇を噛み締めて肩からずり落ちそうになる上着を掴んで見つめる先で、一度だけ驚いたように瞬いたフェルディナンド様が、次の瞬間華やかに笑んだ。
「そっか、そっか……僥倖か。そこまで言われたら悪い気はしないね。何よりベルタ先生に告白した一番最初の男っていう肩書きが良いや。ついでにさ、男で一番の親友の座もくれると嬉しいんだけど?」
「私の、男性一番の親友は……フェルディナンド様しか、おりませんわ」
おどけるみたいに肩をすくめてそう言う彼の声と微笑みに、ついに喉の奥から嗚咽が溢れる。泣いて良い立場ではないくせに、図々しくも視界が滲んだ。
「よしよし、じゃあもう言ってよベルタ先生。そうでないと風邪ひくからさ」
これでこの話題は最後だというように促されて、ようやく“ごめんなさい”と絞り出したら「笑顔が足りないよー」とリテイクを要求された。最後の最後まで格好がつかないことこの上ない。だから今度こそ自分ができる最上級の笑顔を浮かべて息を吸い込んだ。
「“ごめんなさい”フェルディナンド様。貴男からの求婚はとても嬉しかったけれど、お受けすることはできません。どうかこれからも私の“男性で一番の親友”でいて下さい」
「勿論だよー。これからもよろしくね、面白いことばっかり仕出かすオレの親友」
どちらともなく差し出して交わした握手は心地よくてまた泣けてきたけれど。上着なしで外にいられる限界に達したフェルディナンド様と会場内に戻ったら、少し離れた場所からこちらを見ていたホーエンベルク様と目が合った。
 




