*2* 決断の記念式典②
「ほら、ベルタ先生見てみなよ。我等がお姫様のご登場だ」
フェルディナンド様の声にハッとして促された方角を振り返れば、ベルベットの赤が視線を誘導するように続く階段の最上部。階段は一段一段の高さがジスクタシアより低いのでそう威圧感はない。
中心に据えられた主賓席には、去年はまみえることのなかったリスデンベルクの国王と王妃の姿があった。柔和な笑みを浮かべる顔に立派な髭を蓄えている国王と、女性的なふくよかさに少女のような雰囲気を纏う王妃。二人の顔はどことなく去年まみえた王子と王女に似ている。
そしてその隣の席には――……凛とした教え子とフランツ様の姿。時折隣の婚約者と仲睦まじく何かを囁きあって微笑む教え子は、前世のゲーム中のどこにもいなかった。そうあって欲しかった姿を画面越しではなく肉眼で見られたことに、心の中がジワジワと満たされていく。
公の場、それも国外で二人の姿を見られたということは、ついにあの終わらないバッドエンドループから抜け出せたということだ。前世のゲームならエンディングのスタッフロールと大団円曲が流れる場面に違いない。聴いたことないけど。
今日この場面を製作者陣に見せてやりたいけど、このルートは恐らくオリジナルゲームにはないだろうし、そもそもここはもうあのゲーム世界ではないから当然式典はまだ続く。むしろこのエンディングが本当にあったら青い鳥で神ゲームとして拡散してた。
「うふふ、アウローラ様ったら大好きなベルタ先生の晴れ舞台に出席できて嬉しそうですわね~。ああ、ほら、ちょうどこちらを見ておられますわ。手を振ってあげては如何です?」
本当のところは国外に第二王子の婚約者が決まったことを認識させるためと、陛下の体調が思わしくないいま、次期王位継承者である第一王子と、その婚約者を国外に出せないために派遣されただけなのだけれど。
それでも前世で散々煮え湯を飲ませてくれたあの第一王子様から信頼を得て、堂々と代役を果たせるまでになったのだ。
「そう、ですね。でも、今日はマリアンナ様にあとで説明できるよう、アグネス様の観察も頑張ると張り切っておられましたから」
思わず感極まって泣きそうになるのをグッと堪えてそう言うと、アグネス様は「まぁ、それでしたら一緒に手を振りましょうか~」と楽しげに提案してくれた。それに頷き、主賓席に向かって控えめに手を振る。
そうすると直前までお行儀良く座っていた教え子は、やや前のめり気味にこちらに手を振り返して、隣のフランツ様に苦笑混じりに窘められていた。そんな二人の姿を微笑ましそうにリスデンブルク王と王妃が見つめているのは、保護者枠としては少々恥ずかしいけど、やはり誇らしい方が先に立つ。
――けど、ひとまず手を振るのはちょっと止めておこうかな。あまりやると進行にかかわりそう。しかし磨き上げられた美少女に親しみのある笑顔で手を振られて、出席者達も満更でもなさそうだ。
「こうしてみるとフランツ様もだいぶ背が伸びて大人っぽくなったからさー、もう陛下とマキシム様の代理としては大丈夫そうだよね?」
「本当に。子供は身体も心も成長が目覚ましくて羨ましいですわね~。ベルタ様もそう思いません?」
フェルディナンド様とアグネス様の言葉に今度は大きく頷く。すると今度は私が二人に生暖かく微笑みかけられてしまった。厳かな空気のジスクタシアの式典とは違い、穏やかな空気の中で式典開始を告げる宣言がなされる。
去年のように一組ずつ劇団の名が呼ばれていくものの、去年のように歴史の浅い私達ミステル座を嗤う他劇団の人間はいない。それはこの一年間のアンナとヨーゼフ、劇団員の皆の頑張りが引き寄せた正当な評価のおかげだ。
一度目は目新しさからのまぐれ受賞。でも目新しさは一年で飽きられる。そのことをどの劇団も知っているからこそ、誰も実力がないとは思わない。そうでないとかつての自分達に唾を吐くことになるからだ。
去年と同様にアンナ達がお世話になっているリスデンベルクの劇団が先に呼ばれ、すれ違い様にウインクを投げかけていってくれる。
今回の式典形式だと劇団は、選抜されて出席した団員達は全員一緒に壇上に上がり、最後に王と王妃の前に進み出る一人を団長が勤めるらしい。だとしたらヨーゼフが王とフランツ様からお言葉を賜るのだろう。
ちなみにうちの劇団からはヨーゼフ、五国戦記の主役を張った演者、フェルディナンド様とアグネス様が壇上に上がる。アンナは去年は新進気鋭の女性作家部門で出たけれど、今年はヨーゼフ達と一緒に壇上に上がるそうだ。私は去年と同様に教育文化発展部門で呼ばれる。
――が、何だか隣にいるアグネス様の表情が段々と固くなっていく。会場内の出席者達の手にあの竪琴型のトロフィーが行き渡り始めてしばらく、ついにミステル座の名が呼ばれた。
「おっと、呼ばれたみたいだ。それじゃベルタ先生、行ってくるねー」
ヨーゼフ達に手招かれたフェルディナンド様がそう言ったそのとき、急にアグネス様が無言で私にしがみついてきた。ことここに至って急にテンパっているアグネス様を見て、彼女こそ初めてで緊張していたのだろうことに気付けなかった自分の浅慮さに嫌気が差す。
驚いたのはフェルディナンド様も同じだったのだろう。アグネス様の背後で困ったように腕を上げたり下げたりしている。私は親友の背中に腕を回して抱き締め、その耳許でアウローラを諭した日々を思い出して口を開いた。
「大丈夫……大丈夫ですよ、アグネス様。今夜のアグネス様はこの会場内の誰よりもお綺麗です。ですから是非壇上から私に最上級の笑顔を向けて下さいませ」
ポンポンと二度その背中を叩くと、肩口に頭を乗せていたアグネス様が小さく頷いて身体を離した。なかなか壇上に上がってこないミステル座の名が再び呼ばれ、心配そうな視線をこちらに向けるヨーゼフ達が先行して壇上に向かう。
「アグネス嬢、怖いならオレと手を繋いだら良いよー。オレは緊張とかあんまりしない質だからさ。もしもオレが緊張するとしたらこの式典が終わったあと。だよねベルタ先生?」
そんな悪戯な言葉と共に差し出された手に、アグネス様がおずおずと手を重ねた。小さな彼女の手はフェルディナンド様の手に握り込まれて見えなくなる。次の瞬間にはフェルディナンド様が身を翻し、アグネス様を壇上へと攫っていく。
――……私は今回も場違いなあそこに一人で上がるのか。
教え子の晴れの舞台で師が無様を晒すわけにはいかない。ミステル座の皆も知名度が上がり始めている。お辞儀の角度も、発声も、指先にまで意識を払わないと駄目。元来悪人顔なのだ。口角を上げる微調節も忘れないようにしないと……。
急に胃が氷水を飲んだときのようにヒヤリとして身体が震える。アグネス様を心配することで一瞬だけ去っていた緊張が一気に跳ね返ってきたのか。
押し寄せる不安に苛まれ、ドレスに覆われた肩をギュッと抱き締めていると突然背後から「ベルタ嬢」と、耳に良く馴染んだ声がした。ここにいない人の声が聞こえるくらい緊張しているのかと自分に呆れていたら、肩に食い込ませていた指を引き剥がそうと触れる熱に気付いて勢い良く振り返れば――。
「……ホーエンベルク……様、どうして、ここに?」
「ああ、こちらで少し片付ける仕事があった。その流れでエステルハージ殿に貴女とアンナ嬢のことを頼まれて。それよりも断りなく触れてすまない。だがあまり力を込めると怪我をする」
そう言ってあやすように指を肩から引き剥がされ、ドレスについた皺を伸ばされた。私は思考が追い付かず、馬鹿みたいに頷くことしかできない。
「緊張しているのか?」
コクリ。
「貴女の出番はもうすぐ?」
コクリ。
「そうか……なら外の空気を吸いに行くのも難しいか」
面倒くさいと思われようが頷くことしかできない。肩から剥がされた指先を所在なくモジモジと動かしていたら、急にホーエンベルク様に手をとられる。そして彼の口から「肩を掴んでいたときより力を込めて握って良い」と真顔で言われた。
どんな励まし方なのそれは。ちょっとわけが分からない。そう思いつつも、縋るなら藁より頑丈なものが良いとの一念から、言われた通り思いっきり力を込めて握る。不安な思いの丈を全力で込めた握手にも、ホーエンベルク様の表情は憎たらしいくらい変わらない。
握りしめた彼の手は、手袋越しでも分かるくらいゴツゴツとしていて分厚かった。確かにこれなら私の全力でも折れたりしないだろう。たったそれだけのことなのに、何故だか少し波立っていた心が凪いだ。
そのとき会場内から拍手が上がり、約束通り壇上ではアグネス様が竪琴型のトロフィーを胸に、極上の笑顔をこちらに向けてくれた。背後からの光が良い効果になって親友が映える。
一瞬そちらに気を取られた私に「もう大丈夫だな」と苦笑混じりの彼の声が届き、それにもう一度頷いていたら、壇上から皆が降りてくるのと入れ替わるように私の名前が呼ばれた。
「俺はここで貴女の勇姿を見ている」
握っていた手の温もりが離れた代わりに彼に持たされた言葉を胸に、私は壇上へと続く通路に一人歩み出た。




