表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
223/240

*1* 決断の記念式典①


 五日の猶予期間は瞬く間に過ぎて……十二月二十日。


 覚悟は決めたとはいえ、いよいよこの日がやってきてしまった。あれからフェルディナンド様と顔を合わせたのは次の公演練習を見に行った二回だけ。そのどちらも劇団員達に囲まれていたので意識することもあまりなく……。


 毎日就寝前にベッドで悶々と彼と婚約したあとや、結婚した場合の想定、仮に離婚するほど不仲になった場合の理由などまで考えた。疎遠になったときのことを考え、実のところこの五日間あまり食事をきちんととれていない。


 幸いそのことを知っているのは屋敷の皆とガンガルだけだ。アンナも父もそれぞれ多忙で一緒に食事を囲むことがなくて本当に良かった。これで今日式典中に意識を失うようなポカをせず、式典が終わったあとにフェルディナンド様への返事を聞いてもらえれば……私の転生は無駄ではなかったと胸を張れる。


「お姉さまどうしたの? ほら、行きましょう?」


「緊張も皆ですれば怖くない、ですわ~」


 先に会場の入口に向かって歩を進めていた二人が、なかなか動かないこちらを不思議そうに振り返る。その言葉に勇気づけられるように私も深呼吸を一つ、二人の後を追った。


 一歩足を踏み入れた先から、そこは別世界。生クリームのように襞を寄せられた天井がシャンデリアの灯りで優美な陰影を作り、光を取り込むために設けられた窓には連作として描かれたステンドグラスの小鳥が遊ぶ。


 曲線を描くアシンメトリーでできた階段の手摺に、精緻な伝統織りのタペストリー。全体的に堅くて重々しい色調の母国とは違い、柔らかで優美な中間色を多用されるリスデンベルクの式典会場は春の日だまりを感じさせる趣で、緊張する心を少しだけ落ち着かせるものがあった。


 出席者達も一どころに集められることなく、表面上はゆったりと社交を楽しみながら式典の準備が整うのを待っている。


「うちの国とは違って少女的で綺麗ですわね~」


「ええ。初代国王が他国から嫁がれて来た王妃様のために、彼女の趣味を取り入れた建築だそうです」


「あ、それ知り合いの劇団で題材にした古い脚本を読んだわ。愛妻家な浪費家で有名だったんですって」


 三人でそんなことを話ながら、先に会場入りしたフェルディナンド様達を探す。今回女性陣はこちらでドレスの着付けをしなければならなかったので、各々着替えが済んだ順に会場入りしているのだ。


 団員達とフェルディナンド様達を探しがてら周囲を見回して見ると、去年よりも若い人材が多いように感じる。それはこの国が若い芸術家を積極的に見出だしていることを物語っているようだった。


「ふーん……去年もそうだったけど、今年も凄い人数ね。これだけ同業に好敵手がいるんだと思うと俄然やる気が出るわ」


 古酒を思わせる赤みがかった琥珀色のドレスに、腰のリボンと同色で仕立てた黒い長手袋姿の妹は、ツンと勝ち気に形の良い顎を上げる。夫である義弟(ヨーゼフ)の色を纏っているアンナはこの上なく美しい。緩く結い上げた髪を飾る白と黄色のビオラの花飾りは、義弟らしい控えめな愛情が見え隠れしている。


「アンナは考え方が雄々しいわね。いったい誰に似たのかしら」


「あら、わたしは自分ではお姉さまに似たのだと思っているんだけど。それにどこを見ても相手の方が劇団としての歴史もあるし、強いのよ? 負ける気でいたらうちみたいに歴史の浅いところはあっという間に飲まれちゃうわ」


 私的には父に似たと思うのだけど。確認しようにも今日喜んでついてくると信じていた肝心の父は、どうしても外せない仕事が入ったと涙ながらに無念の辞退をした。前回は急なことだったからともかく、今回は這ってでも来るかと思っていただけに若干拍子抜け。


 髪を結い上げているのだから既婚者だと分かるだろうに、諦めきれないらしい気の毒なイケメン達からの熱い視線は、彼女に問答無用で黙殺されていた。


 ちなみにアグネス様は最初から当然関係者枠で出席、イザークはまだ本人の取り調べと父親(ミドル)の件で国外に出せないために今回は欠席。あとは……恐らく同じような理由でホーエンベルク様もいらしていない。


「まぁまぁベルタ様。わたしもアンナ様のお気持ちは分かりますわ~。去年の自国開催とはまた趣が違って良いですけれど、言い方を変えればここにはミステル座の台頭を阻む強敵ばかりですもの~」


「ちょっ、アグネス様? 何と言いますか、当たっておりますけど……」


「うふふふ、当ててるんですのよ~?」


 右隣から私の腕に絡み付いてきたアグネス様はそう言って楽しげに笑うけれど、今日の彼女の装いでそんなことをされては同性でも慌ててしまう。大胆にデコルテラインが見えるように開いた菫色のドレスの胸元からは、押し上げられたマシュマロが悩ましい渓谷を作っている。


 普段は渓谷が見えないタイプの慎ましい装いであるのに、いったいどうしたことなのか。誠にまったくもってけしからん。頭の中でシリアスとシリアルが喧嘩するじゃないか。


 しかもそれを見た妹までもが負けじと空いた方の腕に絡み付いてくるので、周囲の男性陣からの視線が痛い。でも一番痛むのはこの中で身長が一番高くて平らな私の胸だ。おのれ格差社会め。


「流石はアグネス様、分かっていらっしゃるわ。お姉さまの優しいところは大好きだけど、本当はこれくらいの気概を持って欲しいところよ?」


「そうは言っても、今夜は表彰されるためにお呼ばれしているわけで……」


「「そんな甘いこと言ってちゃ駄目」ですわ~」


 両側を挟む二人に揃ってそう言われてしまっては、確かに自分だけが嗜めて周囲に舐められるのも劇団の皆の士気を下げそうだ。そう思い直して悪人面な口許に笑みを乗せてみると、二人から「そうそう、その調子よ!」「片方だけ口角を上げると尚良しですわ~」とお褒めに与る。


 そのまま笑みを張り付けて皆の姿を探すこと体感十五分ほど。会場の一角にお目当ての集団を見つけて声をかけようとしたところで、ふっと会場内の照明の明度が落ち始めた。三人で慌てて集団に飛び込めば苦笑と共に団員達に迎え入れられ、少し離れた場所の集団からフェルディナンド様とヨーゼフも、こちらに合流すべく駆け寄ってくる。


 アンナは「ヨーゼフの様子を見てくるわ」と短く言い、組んでいた腕をほどいて義弟の方へといってしまった。それと入れ代わるように近付いて来た人物に、隣でアグネス様が「あら、どこの男前かと思いましたわ~」と笑う。


「いやー、向こうで知り合いを見つけたからヨーゼフと一緒に話し込んじゃって。でも残念。暗くなる前に二人の綺麗なドレス姿を見ておきたかったのに」


 合流するなり私とアグネス様に向けてそう笑うのは、今夜の返事でどう関係性が変わってしまうのか分からない大切な人の姿だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ