*31* 貸切り公演終了。
充実した三時間半の貸切り公演が終わったあと、演者達を称賛するにはささやかすぎる拍手とアンコールを舞台に送り、約束通りアンナ達にそれぞれが感想を述べて、次の最終話への脚本を詰めていくヒントにしてもらうことになった。
イザークは最終話の脚本に少しだけ噛む予定らしく、これまでの脚本と公演の内容をかなり熱心に叩き込んでいる様子で、急に体捌きについて尋ねられたガンガルは驚いていたけれど、根が素直なので何度も実演してあげていた。
フェルディナンド様と義弟は舞台演出について語り合い、マリアンナ様が目敏く前回ファンになったあのベテラン俳優に声をかけ、アグネス様が窘めつつも別の団員に握手を求めたり。
教え子もそれにならって第二部の主人公だった団員にサインをしてもらったり、団員達もこのあとの打ち上げについて盛り上がったりと賑わう中で、ふと静かにその場を離れる人物に気付いた私は、そっとそのあとを追いかけた。
一時半からの公演だったものの十一月も終わりに近い外はもう暗くなり始めて、自らの吐息の白さが夕闇に際立つ。
相手は自身に誰かがついて来たことに気付いたらしく、劇場の入口で立ち止まってこちらを振り、こちらの正体が分かると「ああ、貴方だったのかベルタ嬢」と親しみのある微笑みを向けてくれた。そのことにまた心臓が跳ねる。
「はい。ホーエンベルク様が出ていかれるところを見てしまったので。今日は劇場内での打ち上げだそうですけれど、もうお帰りになられるのですか?」
「それが……実は城での仕事がまだ少し残っている。今日を逃せばこの公演が観れないままになってしまうので、ついこちらを優先してしまったのだが……王子達に仮眠を取ると言って出てきてしまった。きっと今頃バレて怒っているだろうな」
「それでは貴重な休憩時間を潰してまでこちらに?」
考えてみれば多忙な彼だ。当然その可能性もあったのに……あの日以来会えたことに浮かれて、そんな単純なことにも気付かなかった。申し訳なさから一気に高揚感を失った心臓が外気温に負けて縮こまるけれど――。
「いいや、まさか。今回の公演も見応えがあったから充分休憩になった。ベルタ嬢もそうではないか?」
「それは……確かに。ですがアウローラ様が最初の場面で少々怯えてしまって。公演が終わったあとも主役の彼を怖がっているのが可哀想なのに可愛いくて、笑わないでいるのに必死でしたわ」
「だからさっき震えていたのか。てっきり寒いのかと心配していたんだが、杞憂だったようで良かった」
そう屈託なく笑うホーエンベルク様の言葉に、見られていたことへの気恥ずかしさと、こちらの身を案じてくれたことへの嬉しさのようなものが込み上げる。でも勘違いしては駄目だ。彼はただ同僚を気遣っただけなのだから。
何より私はいまフェルディナンド様に返事を待ってもらっている身だ。なのにまるで遅れてきた思春期みたいな自分の反応に辟易しつつ、それを悟られまいと「お恥ずかしいところを見られてしまいました」と返せば、彼がそれまで浮かべていた笑みを苦笑に変える。
その変化にどうしたのかと訝かしむ私の方へと引き返して来た彼は、自身の羽織っていた上着を私の肩にかけてくれた。突然与えられた温もりに驚いて声も出せない。こんなのは前世の映画やドラマでしか見たことがないですけど……!
「俺の上着は女性には重いだろうが……今度は正真正銘寒そうだ。見送りに出てきてくれるのはありがたいが、この季節に上着を着ないで外に出ると風邪をひく」
羽織らせた上着の襟を立ててくれる彼のはめた革手袋の匂いが鼻先を掠め、身体を覆ってくれる上着からはインクと珈琲の匂いがする。言葉通りずしりと重みのある紳士用コートに背が丸まったり、目の前の彼一人を意識したりと自分で自分の内心の騒がしさが御せない。
「ベルタ嬢は――、」
「は、はい、何でしょう?」
「……来月リスデンベルクで行われる友好芸術文化賞の式典には出席するのか?」
質問までに僅かに間があったように感じる。そのせいで微妙に彼が訊きたかったことではないように感じたものの、何事もなさそうに返事を待つ彼の姿に気のせいだと思うことにした。
「ええと、いまのところは妹と義弟だけの予定です。あの夜以来父が過保護で。妹は一緒に出席したがっているのですけれど、隣国とはいえなかなか首を縦に振ってくれなくて困っております」
「エステルハージ殿らしい。だが心配する気持ちもよく分かるから、俺から助け船を出すことはできそうにないな――と、引き留めてすまなかった。アウローラ嬢達が探している頃合いだろう。もう中に戻った方が良い。それでは……また」
そう言って去って行く彼を再び呼び止める言葉を持たずに立ち尽くす私の背に、アウローラとアンナの声が届いた。