*29* 貸切り公演だよ、全員集合①
波瀾万丈な十一月も、残すところあと一週間を切った。
妹と教え子とガンガルと使用人の皆、そして大捕物以来人手が足りなくなっている城に再度登城することになったのに、わざわざ毎日昼食の時間になると屋敷に戻ってきて食事をとる父。
あの夜からこれだけが私の世界になって二週間。自宅にいながら戒律の厳しい修道院にいるかのような生活であった日々も、今日で終わる。アンナのおかげでようやく父から外出の許しを得られたのだ。
前日から楽しみで眠れなかったこともありやや寝不足だけれど、雪の積もった地面を踏みしめる感触に気分が上がる。目的地まで歩いて行きたいという我儘が通ったこともあり、思わず鼻歌まで口ずさんでしまう。
――が。
「お嬢、嬉しいの分かるけど、あんまりはしゃぐと、転ぶ」
「あ……ごめんなさい、ガンガル」
「あら、大丈夫ですわガンガル。そのためにわたくし達がいるのですもの。先生は思いっきりはしゃいで下さいませ」
「えっと……ありがとうございます、アウローラ様……」
ガンガルとアウローラに両側から手を繋がれていることを忘れて、つい腕を振っていたらしい。女性としては長身な私に引きずられる教え子と、何とかいなしながら手を繋いでいてくれたっぽいガンガル。
歳下二人から注意と理解を得てしまったことで急激に恥ずかしくなって、頬に血の気が集中する。けれど両側から手袋越しにギュウッと手を握り返され、防寒対策に巻いたストールの下の頬が緩んだ。
「今日の公演はわたくしもまだ観ていないから楽しみですわ」
「アウローラ様とアグネス様達で一緒に行くお約束でしたものね。お待たせしてしまって申し訳ありませんでした」
「いいえ、だってこうして一緒に行けるのですもの。先生はちゃんとわたくしとの約束を守って下さいました」
頬をバラ色に染めてそう嬉しそうにこちらを見上げる教え子の姿にホッとする。その髪には解雇通知を受け取ったときに贈ったリボンが揺れて。それと同時にこの笑顔を守りきれたことへの安堵から、抑えきれない笑みが零れた。
するとそんな私を見ていたガンガルまで「お嬢と歩くの、久しぶりだから、オレも嬉しい」と照れ臭そうに笑う。
ここが往来でなければ二人を抱きしめて全力で頬擦りしたい。うちの子達が可愛すぎて世界の中心で叫びたくなるわ。
「お嬢、今日は、ヴィー達も来る?」
「えぁっ? ヴィー……ああ、ホーエンベルク様のことね。劇場が貸切りだから可能性はあるけれど、お仕事が忙しいと思うからどうかしら」
「ん、そっか。残念」
「先生、フェルディナンド様は今日いらっしゃると言っておられましたわ。ですからホーエンベルク様もご一緒にいらしている可能性もあるかと」
突然ホーエンベルク様の話題を振られたことで思わず変な声が出たものの、教え子のおかげで不自然さがなく話題を繋げた。意図してのことではないと思うけどナイスアシストだ。しかし――。
「それは初耳ですけれど……アウローラ様はどうしてご存じなのです?」
「先日フェルディナンド様がわたくしの屋敷にいらして、リスデンブルク王国で開かれる絵の品評会に作品を出してみないか、とお誘い頂いたときですわ」
――ちょい待ち。
リスデンブルク王国の絵画コンクールに出展って、確か早くても十六歳頃のイベントでは? 難易度で例えるなら前世で言うところの◯展クラスだぞ。え……これはあれか。かの有名な【いつの間にか教え子の芸術レベルが大変なことになってた件】みたいなやつですね。成程、分か……分かりませんが。
うちの教え子の才能成長率どうなってるの。少なくともこのところちっとも育成してませんでしたよ? 私がお間抜けにも捕まってる間に、自習コマンドなんてものがあるのかは不明だが、自力で数値を上げたのか。なんて健気な……!!
前世のプレイルートだと、マキシム様に才能あるアピールをしていると思われて親愛値が下がるただのトラウマ製造ルートだけど、今回は違う。手放しで褒めるだけ褒めて良いやつだこれ。
「あのリスデンブルク王国主催の絵画品評会に出展なんて……す、素晴らしいですわアウローラ様。どっ、うしてもっと早く教えて下さらなかったのです?」
思ってもみなかったイベントに声が震えそうになるのを必死に堪えたせいで、ちょっぴり過呼吸気味になってしまった。握った手の片方……ガンガル側から笑いを堪えた震えが伝わってくるから、いっそ声が震えた方がマシだったかもしれない。
情けない姿を連続で見せて自己嫌悪に陥る私に向かい、確信犯の教え子は「だって先生に一番褒めてもらえそうなときに言いたかったのですもの」と。とても健気で家庭教師冥利に尽きることを言ってくれた。
勿論往来であることを気にせず抱きしめて、抱き上げて、その場で抱き上げたまま回ろうとしてガンガルに止められるまでワンセットだった。
そんなこんなで待ち合わせ時間に余裕を持って出たからと、ご褒美を買い与えるために少々寄り道をし、結局待ち合わせ時間ギリギリになって慌てて劇場の前に到着した……ちょうどそのとき。
反対側の通りから「ベルタ様~!!」と叫ぶ親友の姿を見つけ、両隣の二人が手を離してくれたこともあり、こちらも「アグネス様ー!!」と叫んで手を振った。
「お久しぶりです、お元気でしたか~?」
「お久しぶりです、元気でしたわ。アグネス様はお元気でしたか?」
「ご覧の通りでしてよ~」
勢いを殺すことなく胸に飛び込んできた親友の背に手を回し、互いに互いの身体を抱き締め合って再会を喜んでいると、アグネス様が来た方角から「先生待ってよー!」「意外に足早いんだねー」という声が聞こえてきて。
劇場の入口からも「ほらね、絶対に誰か走るから除雪後に塩を撒いといて正解でしょう?」と得意気に微笑みかける妹と、それに微笑んで頷き返す義弟、それから「淑女らしからぬ姿ではありますがね」と皮肉気に答えるイザークが出てきた。
見透かされていたことに気恥ずかしくはなったけど、抱きついたままのアグネス様が「行動が読まれてたみたいですわね~」と悪びれずに笑う。
楽しい日になりそうな予感に人知れず周囲へと視線を走らせていたら、私が背中を向けている方向から「良かった、間に合ったか……」と。あの夜以来聞いていなかった声が、私の鼓膜を震わせた。




