*23* 脚本始動④
「思ったより野次馬が少ない……」
というのが、現場に戻った私の第一印象。普通もっと火事となれば野次馬が集まって消火作業の邪魔になったりして、火元になった建物に近付けないものなのに、現場には数人の自警団員と商店街の人がいるだけだ。
消火も木製の日本家屋とは違って全石造りというか煉瓦造りなうえに、火元が地下なので消火もそこまで焦らなくても良い様子。実際にイギリスで一六六六年に起こったロンドン大火でも、木造家屋だらけだった街で煉瓦造りの家だけ被害が少なかったとあったし、地震と湿気がない国ならもってこいの建材なのだろうね。
――しかし、いま重要なのはそこではなく。
野次馬に隠れて周辺の様子を窺おうと思っていたのでこれは手痛い誤算だ。結構な人数いたはずのお薬好きな皆様もすでに残っていないところから、彼等彼女等の逃げ足の速さは一級品だったらしい。
自警団員の一人が不意にこちらを向いたので、慌てて物陰に隠れてジリジリと現場から離れて……人目のないところまで路地に潜ったところで全力疾走!
「あっぶなかった……」
ベッタリと背中を建物の壁に張りつけて肩で息をする。十一月の深夜の寒さも走りすぎて火照った身体には、ちょっと寒い程度に感じられた。
カラカラに渇いた喉からヒューヒューと白い吐息が暗闇を曇らせることに気付き、慌てて両手で口許を押さえる。耳を澄ませて意識を研ぎ澄ませて曲がってきた方角を見つめるが、追って来る人の気配はない。
あの感じだとイザークがあそこに戻ったとは考えにくい。たぶんここまで読んで遠回りを先に提案していたのだろう。再会次第あの涼しげな顔を張り倒したい。
ともあれ次はどこに行くべきかと悩んでいたら、いきなり背中を預けていた建物の窓に灯りが点り、窓が開く音と一緒に住人が煙の臭いがすると同居人に訝かる声が落ちてきた。
現場からここまでは少し距離がある。外にいる私の鼻には煙の臭いを感じないというのに、開け放たれた窓の下にいると確かに微かな煙の臭いが降りてくるのだ。
そこでふと、さっき火を放ったときに感じた違和感を思い出した。密室の地下で壁に吸い込まれているように見えた火。離れた建物の室内からする煙の臭い。
『でしたら余裕があれば、家々の灯りが点く範囲と窓を気にして下さい』
あのひねくれ者の単独行動犯の言葉にも一つだけ本当があった。そのことに気付いた瞬間、私の足は地面を蹴る。煙の臭いが降りてきた建物を起点と定めて視線は家々の窓へと向け、一軒一軒見上げては、灯りが点って開いている窓を手がかりに深夜の街中を駆けた。
灯りは直線上に点々と……とは上手くいかないけれど、大抵誤差の範囲内に並んでいるように見える。そこから考えられることは、あのブティックの地下も領主館の地下から毒草園へと続く地下通路と同じく、どこかへ通じていたのではないかという可能性。
もしかするとイザークは私がこの街に来る前から、ずっとその可能性を疑って探っていたのかもしれない。だけど一人で確認するにはリスクが高過ぎたから脚本などと言い訳を用意して、今夜私とフェルディナンド様を使ってこの策に乗り出したんだろう。
息を整えようと立ち止まり、窓を睨み上げていたそのとき。耳許で風を切る音がして銀色の光が視界を過った。咄嗟に姿勢を低くして身構えたけれど、周囲に人の気配はない。警戒しつつ視線を飛来物の方に向ければ、そこにはいつぞや見たことのある棒クナイが地面に突き立っていた。
「ああ……ピスタチオさんの、交代要員は、クナイさん、なのね」
独り言に使った貴重な酸素に応じるように、また一本同じ棒クナイが飛来して地面に突き立つ。どうやら監視続行……もとい、同行してくれるようだ。ありがたい申し出(?)に頷き、ついでに武器になりそうな棒クナイを回収して駆けた。
けれど無駄に体力を削るこの行動にも当然終わりはやってくる。深夜の街にぽっかり灯りの点った窓を開く家々の中で、その周囲よりやや小さい家は静まり返っていた。外観は廃墟というほど荒れていないものの、窓は閉ざされて室内に灯りの気配もない。
何となく定期的に誰かが出入りしている気配もある。それがイザークなのかはまだ確証が持てないけれど、こういうときは思い切りと思い込みと度胸で誤魔化す。
「ここも地上部は飾りなのね。芸がないことだわ」
一言毒を吐いたらサクサク上着の中から薄手の手袋と、指輪に見える可愛いナックルダスターを取り出して装着し、暗器類がすぐに取り出しやすいよう上着の前ボタンは全部開けておく。掴みかかられたらしゃがんで頭突きだな。
ズボンのベルトにさっきクナイさんがくれた棒クナイをたばさみ、両脇の下に拳銃ホルダーのように提げたナイフの鞘ボタンも解除。いつでも抜けるようにした。鉄芯の入った靴の爪先で地面をコツコツ叩いて蹴り上げたときの感覚を確かめ、防刃用に作ってもらったコルセットの紐に緩みがないかも確認する。
ピアノ線……は下手をしたら自分も怪我をするので止めておいて、特殊な縒りを施した細いロープもすぐに袖口から引っ張り出せるようにセット。
戦意を消失させれば必要もないから敵の捕縛はこの際考えない。第一に考えるべきはイザークの保護だ。屈伸と深呼吸で呼吸を整え、駄目元で物音を立てないように注意しながらドアノブに手をかけたけど――……残念、今度は開かない。ピッキングは流石に修得していない。
となると侵入経路は別にあるはずだと周辺に視線を走らせていたそのとき、またもクナイが飛んできた。それも視線を誘導するようにご丁寧に時間差で二本。使っている武器から想像がつかない親切さだ……。
夜目が利かない私には分からなかったけれど、家と家の間にある狭い路地側の壁に他の煉瓦より極々僅かに色の違うものがある。その煉瓦に触れて上下に揺するとそこだけジェ○ガのように抜けて、小さな鍵が出てきた。
ドアにあった鍵穴にぴったり合ったそれで中に侵入するとして、あとから他に誰かが入ってくる可能性も考えて悩んだものの、結局施錠せずに鍵だけ持っていくことにする。理由としては来るのが敵か味方かいまの状況だと分からないからだ。
「あの、クナイさん。私が中に侵入して一時間待っても出てこなかったらそのときは……フェルディナンド様達に逃げるようにと、伝言をよろしくお願いします」
どちらを向いて伝えれば良いのか分からず、口の両側に手を当てて密やかに空へと放った言伝に返る言葉はなく。代わりに足許に撃ち込まれたクナイを引き抜いて潜入したのは良いけれど――。
建物に侵入して割と早い段階で見つけた地下への隠し通路を進むうちに、段々とこの手の同人ゲームにありがちな使い回しの画像がチラホラと見えてきた。カビた石造りの地下牢。鉄格子を照らすトーチカ。
酒焼けしたダミ声の男達の会話に混じる『男か女か分かんねぇ面だな』『よーし、どうせここに来たら殺しちまえって言われてんだ。ただ殺すのもつまんねーし、コイツの服をひん剥いてようぜ』と評され、その足許で蹲っている人物の影。
本当にまったくもって助け甲斐のあるヒロインだと思いながら、袖口のロープの端を掴んでそのときを待つ。




