*21* 脚本始動②
イザークが最初にドアの向こうに消えて、次にフェルディナンド様が、最後に私が続いた。建物内は以前訪れたときと変わらず爛れた空気が漂い、不気味で安っぽい仮面と不釣り合いな内装の豪奢さがやけに滑稽だ。
周囲に視線を巡らせると、先に潜入したフェルディナンド様があの仮面をかぶっていても美人だと分かるお姉様達に誘われていたけれど、手慣れた風に飄々と断ってすり抜けていた。モテる人はあしらい方もスマートだ。
そんな姿に感心していたら、不意に振り返ったフェルディナンド様がこちらに向かってブンブンと首を横に振った。ええと、あの動きはもしかして……。
「たぶん“こっちから声をかけたんじゃないから、勘違いしないで”とでもいったところではないでしょうか。あの分なら後で避難するよう叫んでもらっても効果がありそうだ」
急にヒョイと横から現れたイザークに考えていたことを言い当てられて、思わず喉の奥で唸る。
「イザーク様……人の心を勝手に読まないで下さいませんか?」
「別に貴方の勘違いではないと教えて差し上げたまでですよ。さ、他者からの見解の一致を得られたのなら行きましょう」
含みのある言い方をして口許だけを笑みの形に歪めるイザークのこういう部分は、あのミドルによく似ている。けれど――。
「断るにしても、受け入れるにしても、想いを伝えられたことを意識しておくのは悪いことではない」
そう言ってさっさと地階へと向かう階段の方に歩いて行く背中は、あんなミドルよりもずっと気遣いのできる人だと思った。まぁ……それを素直に認めるのは難しい性格の人ではあるけど。
――と、新たな女性に言い寄られそうになったフェルディナンド様が、その方を躱してゆっくりとそれとない足取りでこちらに近付いてくる。そのまま微妙な距離を保ちつつ、視線だけを上階に向けた。
察するにこの階層での女性達には存在を見せたから、次の階に顔……この場合は話術と声を披露しに行くということだろう。スマートである。斜め前方で振り返っていたイザークも「彼がその気になれば、パトロンを捕まえるのに苦労しなさそうだ」と呟いたほどだ。
そうして地階と上階に別れたのち、私達は人の多い場所を把握しながら進んで行く。けれど前回よりも奥にやって来たのにイザークの足取りに迷いはなく、元々行き先を決めているかのようだった。
そしてついに誰もいない、倉庫に使われているとおぼしき最後の階のドアの前で足を止める。ドアノブに触れるも簡単に回ることから鍵がかかっている様子はない。ということで、遠慮なく中に入らせてもらったのだが――。
「がらんどうなうえに……かなり埃っぽいですね……」
「それだけ普段人の出入りがないんでしょう。どうやら壊れた機材を押し込むだけの部屋みたいですし」
イザークの言葉通り無駄に広い部屋の隅には、あの麻薬を吸うための機材に似たものが積まれている。どれも破損しているらしく、使えなくなったものを無造作に置いてあるだけらしい。
他にも駄目になった家具の一部や、割れた壷や絵画などの美術品もあるけれど、一番多いのはやっぱり麻薬を吸うための吸引器である。
かなり手の込んだ飾りも施してあるのに、回収してリサイクルしたりしないのだろうかと思っていると、壁際に蝋燭を入れた組立式のランタンを手にゴソゴソとやっていたイザークが、こちらをチラリと一瞥して口を開いた。
「ガラスと金属部品をバラして再利用するにもかなり骨が折れるうえに、用途が限られ過ぎていますから運び出すだけでも怪しまれるのでしょう。量が溜まれば砕いて持ち出されて、土中に遺棄するのが関の山ですよ」
「成程――って、だから人の心を勝手に読まないで下さい」
「失礼。貴方の方から不思議そうな気配を感じたもので、つい」
そう言いつつも壁際にランタンを寄せる手を休める気は一切ないらしい。ウロウロと彷徨わせている様はつけている仮面もあいまってかなり怪しい。見た目がまるきり黒魔術である。
「イザーク様、それは何をしているんですか?」
「シッ、静かに。火をよく見て下さい」
やや尖った声で注意されたので、言われた通りに息を殺して片側の蓋を開けられたランタンの炎に注目すると――。
「……揺れてる?」
というか、吸い込まれているようにも見える。密室の、それも地下。どんな建物でも普通は貯蔵に使えるくらい環境が保たれている場所だ。だというのに火は一定の壁に近付けると微かに、けれど確かにユラユラと揺れていた。
「ええ。ボクは今夜これを確かめたかったんです。確認もできましたし、そろそろ火を放ちましょうか。その辺の燃えそうなものをここの一角に集めて下さい」
イザークはこちらに指示を出しながら、自身は瓶の中に入れてきた燃焼剤を染み込ませた布を用意する。私も言われた通りに家具の布部分や、絵画の木枠を壊して風の吹いてくる壁際に積んでいく。
そうして部屋の一角に祭壇のように組まれたそこへ、火をつけた布をイザークが放り込み、ついでに瓶の底に残っていた燃焼剤を周囲に振りかける。二人で少しの間見守っていると、一瞬視界の中から消えた火は、ヌルリと障害物をかき分けるように姿を現した。
するとパチパチとはぜる音に規則性が生まれたところで何を思ったのか、イザークが火の興っている上から少し湿り気のある布を被せた。訝かしむこちらに向かい彼は「今回の作戦は、火災の規模よりも煙が大量に必要なんですよ」と言うや私の手を掴んで部屋を出ると、急ぎ足で来た道を戻る。
ついでに行きしなに人がいたところを覗き込んで、人の有無を確認することも忘れない。二階層ほど上がったところで慌ただしい足音と悲鳴や罵声が聞こえ、フェルディナンド様が上手く扇動してくれたのだと分かった。
上っていくにつれ、そこかしこであの水煙草の容器が倒れて割れている。直接煙に溶かす予定だった麻薬の原液を吸わないように注意しつつ、入口のあった階に辿り着くと、まるで嵐が去ったあとのような光景が広がっていた。
水煙草の容器だけでなく、ぶら下がっていた灯りや酒器、仮面、財布、首飾り、扇にステッキ、パイプ等々。皆さん流石にお金持ちなだけに、忘れ物も値が張りそうなものばかりだ。せっかくなので財布の中身はアグネス様とパン屋で働いている、元スリの子供達用に失敬しておく。
そんな私の姿を見たイザークはほんの少し唇に皮肉気な笑みを浮かべ、ついとエスコートをするように手を取って立たせてくれたあとは、堂々と無人になった建物の入口から外に出た。
「さて、待ち合わせ場所についたら忙しくなりますよ」
仮面の下からそう言ってこちらを見下ろす双眸は、冬の夜空に浮かぶ月のように妖しく冴え冴えと輝いていた。