*20* 脚本始動①
「ねー、ベルタ先生。本当に今夜どうしても決行するの?」
フェルディナンド様がこちらで用意しておいた質素な仮面を手に、不満げに顔を顰めながらそう言う。現在時刻は深夜の一時。場所は私がイザークに攫われた因縁のドラッグ・ブティック近くの路地裏だ。
質素な仮面は彼の美的感覚的に許せない造りなのだろう。だけど不満は勿論そのことだけではない。
「はい。今晩中にロロさん達の旦那様が収容されている場所を掴みたいのです。それができれば飛び地にいる兵士の皆様のお役にも立てますし」
「気持ちは分かるけどさー、それってピスタチオの人にも怒られたんでしょ?」
「ええと……はい」
「だよね。いくらベルタ先生が強いって言ったって、普通に考えて令嬢がすることじゃないもん」
クルクルと仮面をひっくり返しながらそう言うフェルディナンド様に対し、すでに仮面を装着したイザークが感情の読めない瞳を向けて溜息をついた。
「別に無理に貴方にお付き合い頂く必要はありませんよ。乗る乗らないは個々人の判断に委ねていますから。あとピスタチオの人はボクの脚本に異論があろうが立場上邪魔はできないはずです」
二人から某お歳暮のコマーシャルのハムの人みたいに連呼されるピスタチオの人だが、正体は影のうちの誰かだ。抗議の声をあげられない代わりに私物らしい殻付きピスタチオをバルコニーに撃ち込んできた謎の人である。撃ち込まれたあの量からしてたぶん好物なのだろう。
――そう、あれはいまから五日前のことだ。
時間軸的にはまぁ、フェルディナンド様に告白して頂いた直後。
常々言えることだと思うが、深夜に大切な会議や相談をするとろくでもない案が出てきて、恐ろしいことに往々にして通してしまう。仕事だとそれで翌日に罪の擦り付けあいに発展するのだから呆れたものなのだけれど。なので、あのときも正にそんな感じだった。
『早速ですが貴方の私生活に通じる云々はさて置き、そろそろ年末のことも視野に入れていこうと思います。手始めとして五日後の深夜にでも、ボクが貴方を拐かしたあの不道徳な溜まり場を燃やしましょう』
『はい? 何て?』
『ですから、手直しを手伝って頂いた脚本を始動させようという話です。どうにも先程の彼が持ってきた情報の流れだと、ボクが危惧していた通りあの男はこのままだと政治的な力で殺されそうなので。というか貴方、言葉使いが崩れてますけど大丈夫ですか』
『あら……失礼しました。色々と考えがまとまらないところにイザーク様が説明を極限まで省かれるので、少々驚いてしまっただけですわ。それにしても放火などと大それた手を使う理由としてはお粗末ですわね』
『では、せっかく貴方を捕まえたと手紙までしたためたのに、いつまでも自らはやってこないでこちらの出方を窺っている男を炙り出すためだと言ったら、貴方も納得しますか?』
『え? は?』
『ボクなら策の仕上げ作業に取りかかる大事な時期に、しかも一度出たら戻れる確証もないのにわざわざ住み慣れた土地を離れたりしない。恐らくですが、あの男はまだこの街のどこかに潜伏していると思うんです。火を放つ理由はまぁ、やってみたら分かると思いますよ』
――というような超理論の下、今夜の作戦に移ることになった。そのために私は前回のときとは違い、イザークの服を借りて男装している。やっぱり荒事にはパンツスタイルだよ、うん。
ちなみにピスタチオの人を怒らせたのは、五日前の朝に私が黒板に書き込んで掲げた一文だった。だけど簡潔に【五日後の深夜二時頃、とある場所に小火を起こしに行ってきます。ついてきたら面白いものが見られるかもしれません】と書いただけなのに。
もっと直接的になると【ドラッグパーティーを開いて乱痴気騒ぎをしている会場に、放火してきます】になるのだ。それを思えば前者の方が幾分マイルドなのに怒られるとか解せない。
「イザークはいちいち勘に障る言い方するなー。そういうことじゃなくて、情けない話だけどこっちは男が二人いたって戦力なんかないも同然なんだからさ。見つかって逃げるのに失敗したら終わりだよって話をしてるの」
眉根を寄せてそう言うフェルディナンド様は、ほんの少しだけ心配性になったこと以外は、あの五日前の唐突な告白以前と変わらず接してくれている。それというのも三日前に彼が再び訪ねて来てくれたときに、作戦の予定が狂うことを嫌ったイザークが『ボクも同席します』と言って譲らなかったせいだろうけど……。
おかげで告白が聞かれていたこともバレて、彼等は若干微妙な距離感になってしまっている。ミッション前のミッション。元のゲーム内であれば【▶コマンド“仲裁”を発動させますか?】とかって出てきそうな空気だ。
「前者はどうあれ後者に関してはボクも同意見ですが、そちらの護衛を貸して下されば良いのでは?」
「いいえ、絶対に駄目です。ガンガルは今夜の作戦には同行させません。それに彼にはアグネス様の護衛を頼んでいます」
ガンガルをあの麻薬に汚染された店に連れて行くのはあまりに酷だ。せっかく表の世界に馴染もうとしている彼のトラウマを刺激するのは許可できない。アグネス様も同様に優しい子だから、今夜危ない目に合わせて後々のトラウマになるような記憶を植え付けたくない。
「そうそう。それにガンガルは強いけど子供だし、アグネス嬢は面白いけど世間一般とちょっとずれててもご令嬢なの。第一二人には今夜別の仕事頼んでるしね」
「そういうことですから、お二人の身の安全は私が全力で護らせて頂きますわ」
私とフェルディナンド様。合理的なイザークは二対一の睨み合いは時間の無駄だと察したらしく、早々にこの話を切り上げることにしたようだ。冷静に石造りの店と私達を一瞥すると、ゆっくりと首を横に振った。
「はぁ……分かりましたよ。それでは入店後は打ち合わせた通りに動いて下さい。ボクとベルタ嬢が地下に火を放って来ます。貴方はボク達が上に戻るよりも前に“地階から煙の臭いがする。火事だ”と大声で触れ回って他の客達と屋外に逃げて下さい。その間にボク達は地階を燃やせるだけ燃やして、地下室のドアを閉めて上に戻りますから、またここで落ち合いましょう」
イザークの最終確認に互いが目配せをして頷き合い、仮面をかぶって。一人ずつ不夜城の体をなす毒の満ちる店のドアへと踏み出した。




