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*11* 潜りすぎたみたいです。


 イザークにエスコートされて建物内に一歩踏み入ったところで、会場内の異質さに息を飲んだ。室内は年代物のランタンが幾つもぶら下げられ、フェルディナンド様の髪飾りよりも濁った色ガラス越しに灯りを落とす。


 新しく入ってきた私達に同じ仮面をつけた数人が視線を向けたが、反応らしい反応はそれだけで。


 すぐにビードロ細工を彷彿とさせる美しいガラス容器に繋がった管から、怪しい紫煙を吸うことに没頭する。甘ったるい香りを放つあれは……水煙草の一種だろうか。中身は明らかにガンガルが嫌いそうなものが入っているっぽい。


 紫、赤、黄、橙、青、緑。それらの歪んだ陰影をチラチラと壁に這わせる様は、昼間に見たベージュと薄レンガ色の可愛らしくも品のある外観からは考えられないほど、この空間は何と言うか――……。


「酷い有り様でしょう?」


 こちらの心を読んだようなタイミングでイザークから声をかけられて、一瞬ドキリとした。或いはその声にどこか愉悦を感じたからかもしれない。


「……思っていたよりは幾分か」


「成程。ボクが“思っていたより”最悪の状態を考えていてくれたようで助かりました。まだここはほんの入口ですから。煙を吸うことはあまりお勧めしませんので、ハンカチを口にあてておいた方が良い」


 口許だけの張りつけたような笑み。粗悪な仮面をつけた顔は、元から感情の少ない彼をより無感情に見せる。


 そして彼の言葉通り、奥に進むにつれて事態は悪化の一途を辿った。通路や階段で軟体生物のような格好で紫煙を吸う分かりやすく堕落した人々の姿。時折見かけるガンガルと同じ色彩を持つ若い女性給仕の虚ろな表情。


 途中個室のドアが細く開いて、そこからうっすらと室内の灯りと声が零れていた場面では、部屋と私の間に距離を置かせるように身体を滑り込ませたイザークが、冷めた声音で「ここは見ないで良いですよ」と言った。


 この爛れた空間とその言葉で何となく室内の様子が窺い知ることができたので、素直にそれに頷いて奥へと進む。


 建物内は外観から見るよりも広く、そこからこの建物は地上部に出ている部分の方が少ないのではないかと推測する。要するに地下が広い。明らかにこういった不健全な遊び場として使用する目的で建てられたものだろう。


 ――仮面、仮面、仮面。


 すれ違う無数の仮面をつけた彼等、彼女等の口許は微笑みの形を描いているのに、薄気味の悪さだけを感じてしまう。たまに水煙草の吸い口をこちらに向けて誘ってくれる人もいたけれど、丁重にお断りした。


 だというのにさっきから場の空気にあてられたのか、純粋にハンカチ程度であの煙を防ぐことができないからか、足許がフワフワとした心地で心許ない。これではせっかく装備を整えてきたのに存分に動けなさそうだ。

 

 地上部に出ているだけでこの状況なら、今夜地下に降りるのは止めておいた方が賢明かと考えていたそのとき――。


「正直、貴方はもう来ないだろうと思っていました」


 ふと隣を歩いているイザークから唐突な言葉をかけられ、一瞬煙で働かない頭のせいで反応が遅れた。


「これ以上この箱庭にいては、母の記憶がぼやけてしまうところでした。だから貴方達が間に合ってくれて助かりましたよ。感謝しています」


 その言葉の意味を問いただす前に視界がグラリと揺れて。耳許で「多少の毒耐性まであるとは……本当に規格外なご令嬢だな」と。聞き捨てならない台詞を聞いて。それきり意識は闇に飲まれた。


 ――、

 ――――、

 ――――――。


 次に私が目を覚ましたのは、フカフカの寝台の上だった。鼻の奥に残っている甘ったるい香りのせいで目覚めが爽やかとは言い難いけれど、特に身体のどこかに異常がある気配もない。


 それどころか着ている服もそのままだ。乱れもない。太股や腰やそれ以外の箇所も、触れる感触が着用時と同じ。要するに装備品がそこにあるということだ。唯一後ろ手にされた両手の親指同士が拘束されている以外は自由。脚も動く。


「おはようございますベルタ嬢。とは言ってもまだ朝の四時ですが。ご気分の方は如何です?」


 ベッド傍で書き物机に向かっていた彼は、こちらが目覚めたことに気付くとすぐにそう声をかけてきた。その声音はいつも通り抑揚も感情もない。


「おはようございます、イザーク様。気分はさっきよりもマシなくらいですが……これはどういうおつもりでしょう?」


「急に未婚女性を屋敷に招待したりして申し訳ありません。これも父を国内に呼び戻すためなもので」


「呼び戻す……? このまま待てば、王家が動いてくれるのにですか?」


「ええ。あの男はいま飛び地で戦の準備に忙しくしています。このままだと野心が身体を喰い破る前に、政治的な力で殺されてしまうでしょう。それでは業腹だ。手を組むとは約束しましたが、手段を選ぶと言った記憶はありません」


 その瞬間、書き物の手を止めてそう言う感情の一切を廃した声音と、過去の声音が脳内で交差する。


『“ボクは別にあの男に義理などありませんし、公爵家の跡取りとしての地位も必要ない。最初から足を引っ張ってやるつもりで奴に飼われたふりをしているだけだ”』


 ……ああ、確かに。この人何も嘘ついてないわ。道理でこちらを裏切った感なく街の案内をしてくれたわけか。


 しかしこれはアグネス様のミッションインポッシブル的な出動があるかもしれない。ひっそりとお馬鹿なやり取りをして出てきたことに内心安堵した。


 少なくとも彼女は早朝の六時過ぎまでに私が戻らなければ、王都まで速達のSOS書簡を出して、迎えが来るまでちょっとお高い宿屋に潜伏先を変えてこの街に滞在してくれるはずだ。


「そう……ということは、言質も書面も取っておかなかった私の落ち度ですね」


「残念ながらそういうことになります。意外と落ち着いているようですが、理由をお訊きしても?」


 室内で唯一の光源である卓上ランプの火が揺らめき、彼の作り物めいたアイスブルーの瞳をより無機質なものに見せた。


 流石に彼に対して少しは腹立たしさを感じるかと思っていたのに、不思議とそんなことはなくて。どちらかと言えばこの状況を作り出した彼の方が不思議そうにも見えた。


「貴男からは私に対しての殺意も害意も感じないからです。それに貴男はアグネス様と私の脚本を聞いていたのに、彼女をどうこうする気はなさそうですし」


「まぁ実際に彼女に割く時間も暇もありませんからね。この三日間出歩いていた分の仕事が遅れています」


「仕事?」


「脚本家らしく、自分という駄作の幕引き演出を考えているところです。彼女には何もしない。勿論騒がないでいて下さるなら貴方にも」


 ひとまず彼の言葉を信じるしかないとは理解した。理解したけど……いまの私のポジションってば、もう元のゲームの要素ゼロじゃないか? 

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