*10* 潜入します。
簡単な朝食を終え、イザークと街歩きと言う名の敵情視察に出向く約束の時間まで、ゆるゆると身支度を整える宿屋の一室。
質素ではあるけれど清潔なベッドの上に今日の一着を用意し、シュミーズ姿で寛ぐアグネス様を振り向けば、そんな彼女の白い肌を朝の陽射しが柔らかく彩る光景が視界に入る。
思わず親友に対し、コルセットをしていないとこんなにけしからん胸部だったのかと感心した。本来ならコルセットのいらない体格の私としては羨ましい。
二人で用意してきた村娘風の簡素なワンピースを身に纏って、似合う可愛いと褒め言葉の応酬をし、ひとしきり女子旅の朝らしさを楽しんだのちに時計を確認すればちょうど良い時間になっていた。
「では、今夜の手順をもう一回頭から確認しますわね~」
「はい、よろしくお願いします」
「親友の貴女が旅先で意気投合した現地青年と恋仲に。一度は二人で宿に戻ってきたものの、夕食後に親友が青年に呼び出されて、今度は単身出かけてしまう。宿の鍵は夜の十二時には施錠されてしまうところを、わたしが宿屋の方と交渉して親友が戻って来たら開ける許可を取り付ける……でしたわね~?」
「ええ。そこに解錠の許しが出なかった場合は、荷物に入れてきた“縄を窓から垂らす”を加えて頂ければ完璧です」
今夜は一昨日の約束通り、この街の裏側を覗かせてもらえるのだ。正確には街のというよりも、領地を潤し発展させてくれている当主家の裏側だけど。
「うふふ、合点承知です。片棒を担いでる気分ってこんな風ですのね。物語の重要な導入部分に出てくる脇役みたいで楽しいですわ~」
さもありなん。だって正しく貴女はそのポジションなのだもの親友よ。前世の好敵手が今世の相棒とかなかなかドラマチックだわ。つい「頼りにしています」と言うと、彼女はますます笑みを深めた。
なのでもっと笑って欲しくて、ついついもう少しもう少しとお願いを重ねるうちに、ミッションインポッシブルレベルの内容にまでなったけれど、そんな私に「ベルタ様は抽斗が多いですね~」と嬉しそうに付き合ってくれる親友。
いつどこで悪漢に絡まれてもいいよう、彼女を守れる最善のコーディネートに身を包み、意気揚々と待ち合わせ場所へと向かったのだけれど――。
「脚本としては大変お粗末ですが、女性の好みそうな展開ではありますね」
本職の脚本家様は容赦なく私達の考えた脚本をぶった切った。
まぁ筋書きも何も、単に両親の勧める顔も知らない見合い相手と結婚する約束をさせられた二人が、最後の独身時代の思いで作りに旅行に出て、そこで親友が現地の男性と恋仲になって行方知れずになるとか……普通に事案だもんね。
アグネス様の楽しそうな様子に盛り上がって軌道修正を怠った気はある。あるけど良いのだ。女の子の喜ぶ要素は大衆向けの娯楽に必要不可欠。私だってたまには甘いだけの小説を読みたいときもある。
正気のときには食べられないグリ○のキャラメルだって、疲れていたら凄く美味しく感じるのだ。
「あらあら、現役の脚本家様は厳しいですわね~。ですけど、ご立派な脚本はたまに味わうから楽しいのであって、そうそう皆さん命をかけた恋ばかりしたいわけではありませんわ~」
アグネス様からいきなり飛び出す正論のナイフ。これにドロドロ愛憎劇脚本家がどう対処するのかと思ったものの、イザークは先程屋台で購入したホットドッグに似た惣菜パンを見つめて口を開いた。
「成程。貴方達でもドレスコードのあるきちんとした場所での食事でなく、こうした出店の食事を食べ歩きたくなるようなものですか」
フレンチのフルコースとホットドッグ。並べると差が酷いけど、言いたいことは分かる。別にうちは毎日そんなに御大層なものは食べてませんが。でも貴族全般への偏見がある彼には同じようなものなのだろう。
だったら理解しやすい内容でイメージしてくれたら良い。違いを語るのはもう少し親しくなって、心の距離を縮めてからだ。
「そんな感じですね。重厚な物語は胸に残るものですが、いつも重厚な物語ばかりでは疲れてしまいますから」
当たり障りのないワンクッションを二人の会話にぶちこみつつ、その後も昨日と同じように食べ歩きや買い物を楽しみ、日が沈む前に一度アグネス様と宿に戻って軽く夕食を食べたり、脚本にさらに肉付けをして遊んだ。
そうして深夜十一時を回った頃、宿屋のおかみさんが私を呼びに部屋を訪ねて来てくれた。彼女の前でアグネス様が考えてくれた訳あり感を出す演出も忘れない。役所は初恋にウジウジする女だ。心を殺して演じきったぜ……。
「じゃあ行ってきますね」
「くれぐれも気をつけて下さいませ~」
宿屋の裏口でひっそりと別れ、少し離れた場所に佇んで待っていたイザークに駆け寄る。夜空には逢引をするには明るい月がぽっかりと浮かぶものの、今夜は全体的に大きな雲が多いので、途切れ途切れにしか顔を出さない。
腕を組んでいるように見える距離まで身を寄せると、イザークが微かに身体を強張らせたので一歩下がれば、やや決まり悪そうな空気を纏った彼が腕を差し出してくれた。
切れ切れに月明かりが降る街中をエスコートされること四十分ほど。辿り着いた先にあったのは、明るい時間帯に素通りした高級感漂うブティックだった。
「あそこに入るには仮面をつけてもらうことになります。建前とはいえ、一応顔見せ厳禁というのが約束事なので」
「仮面舞踏会みたいなものですか」
「いえ、そこまで立派なものでは。現物を見てもらった方が分かりやすいですね」
そう言って手渡されたのは、以前フェルディナンド様が作って下さった仮面とは似ても似つかない、のっぺりとした仮面。視界を得るための穴が開けられただけの設計にはいっそ清々しさすら感じる。
材質は木製にしては軽いから、紙製かもしれない。その芯材の上に布を張って頭の後ろで結べるようにリボンがついている。子供でも作れそうだ。
「これは……なかなかの出来映えですね」
「変に凝ったものをつけて目立つよりも無個性な方が良いのでしょう。たぶん」
「ふふ、そうですね。それに視界と秘匿性は守られてますから」
「そういうことです。ここに今夜いる客は、この世のどこにもいないことになっていますから。金と地位が手に入れば、あとは多少の健康を犠牲にしてでも刺激を求めるのが人の性です」
随分と不健全な性もあるものだとは思うけど、実際に前世でも往々にしてそういうニュースが世間を騒がせたのだから、特に不思議はない。不格好な仮面を装着した私に向かい、同じく不格好な仮面で顔を隠したイザークが手を差し出す。
ゆっくりと手を重ねた先。再会してこちらずっと珍しく饒舌な彼だが、細く開けられた穴から覗くアイスブルーの瞳からは、やはり感情らしきものを見出だすことができなかった。




