★7★ 真っ直ぐな人。
楽屋にいた彼女の姿を見て一番最初に感じたのは、五体満足なことへの安堵。そして今度は唇の端と鼻の頭にあてられたガーゼの白さに胸が痛んだ。隣にいたエリオットも同じ思いだったらしく、苦笑を浮かべてはいるがややぎこちない。
事前にアグネス嬢から話を聞いていなければ、俺もエリオットも冷静ではいられなかったかもしれない。
「あら。お姉さまにお小言を言ってくれそうな援軍が来てくれたわ」
「ええー……もうお腹いっぱいよ」
「なんだ、ヴィー達か。まぎらわしい」
アンナ嬢、ベルタ嬢、ガンガルと三者三様の反応に苦笑が深くなるのを感じる。特にガンガルは逆手に構えていた短剣を鞘に戻すと、楽屋の外に漏れていた殺気まで器用に引っ込めた。優秀な護衛だ。
「その姿を見るに手放しに無事とは言えないが……軽口がきけるくらいの元気があるようで良かった、ベルタ嬢」
「普通に使用人の目を盗んで屋敷を抜け出してる時点で元気はあるでしょー」
「うふふ、劇場に行くならついでにお転婆なお嬢様を連れ戻して欲しいと、屋敷の方達に頼まれて参りましたの~」
「ですって、お姉さま? 見張りが来てくれてちょうど良かったわ。わたしは明日の舞台の打ち合わせがあるから、劇場の方に行ってくるわね」
「え、ちょっとアンナ――、」
「ガンガルも来てね。公演後に変な奴が来たら追い払ってもらうから」
「ん、分かった。お嬢はちゃんと怒られて」
直前まで彼女に釘を刺していたらしいアンナ嬢は笑みを交えてそう言うと、早々に椅子から立ち上がって「あとはよろしくお願いするわ」と俺達に言い残し、ガンガルを連れて楽屋から出ていってしまった。
残されたのは何か言いたげなベルタ嬢と俺達三人。
「オレは結構緊張感のある方が面白さを感じる方だけどさー、今回のは全然面白くないからね? アグネス嬢達が無傷だったのは喜ばしいよ。でもね、ベルタ先生は自分が女の子だって分かってる? 顔に傷まで作って……もー」
先にアンナ嬢から引き継いだお小言を開始したのはエリオットだ。鏡台の前に座る彼女に大股で歩み寄ると、傷を覗き込むように顔を近付けている。
何故かエリオットから正論が出るとは思っていなかった様子の彼女が、ひどく驚いた表情を浮かべているのは少しおかしい。
「貴方が並の男より強いのは重々承知しているが、流石に今回は肝が冷えた。仕方がなかったこととはいえ、できればもう少しで良いから自分の身も守るような戦闘をしてくれ」
叱る相手がアンナ嬢一人から、二人になってしまったことで旗色の悪さを感じ取ったのか、小さく「……すみません……以後気をつけます……」と眉を下げた。
彼女から反省の言葉を引き出せたところで、お小言要員に加わっていなかったアグネス嬢が「まぁまぁ、お気持ちは分かりますけれど、そろそろ本題に入りましょう~?」と笑ったのを見て頷き合い、楽屋の中にある椅子を人数分集めて、ベルタ嬢を囲むように銘々腰を下ろした。
「あの……本題ということは、犯人の目星がついたんですね?」
「ああ、影のおかげで今回の犯人達の雇い主を割り出せた。とはいっても、おおよその予測はついていたと思うが。接近を見合わせていた家のうちの一家で、キーブス伯爵家だ。この件がキーブス伯爵の独断なのか、黒幕が介入しているのかはまだ調査中だ」
「そうですか。ひとまずは良かった、で良いのかしら?」
「良くないよ。こっちはベルタ先生が怪我してるんだから。何にしてもまだこっちが相手にするつもりもなかったのに、勝手に尻尾出さなくてもって話じゃん。馬鹿だよ馬鹿」
「ええ、フェルディナンド様の仰る通りですわ~。勝手に動きを活発化させた挙げ句の今回の件ですもの。ご自分達の首を絞める行いだと教えて差し上げなければいけませんわね~」
エリオットの珍しく不機嫌さを隠さない声と、ひっそりと怒りを秘めたアグネス嬢の声に彼女が淡く微笑んだものの、唇の端が痛んだのか、一瞬だけそっと指先をガーゼに這わせた。
そんな動作を見て押し隠していた犯人とその雇い主に対しての殺意が膨らむ。戦場から離れて久しいというのに鮮明に。骨と肉を断つ感触を思い出せた。
――が。
「この先アウローラ様の処遇はどうなるのでしょう? それと一応は元雇い主である侯爵様達の今後も気になります」
不意に彼女の唇から飛び出したどこまでも教育者な言葉に、身の内に抱いていた剣呑な意識が霧散し、肩の力が緩んだ。
「それだと……まず侯爵領については、後日改めて監査の手が入る。分かりやすく言えばアウローラ嬢の姉君とその夫君の聞き取りや、領地経営の帳簿などの押収だ。家格が一つ下がる可能性はあるが、取り潰しにはならない。姉君の夫君が当主になる。侯爵夫妻は見張りつきのまま領地で予定より早い隠居生活だ」
「でもさー、それって姉夫婦が白だった場合は一人勝ちってことじゃん? いままでずっと虐げられてきたお姫様を助けもしなかったのにずるくない?」
「うーん……それはまぁ確かに思うところはありますが、私としては教え子の生家がなくならないことは喜ばしいですわ。けれど一般的に考えればかなり甘い処分のように思えます。娘のマリアンナ様が巻き込まれたのに、ハインツ侯爵家からの申し立ては出なかったのでしょうか?」
「あ、そのことでしたら“居合わせた運の悪さを呪いはするが、運は運。娘の性格からして止めても止まらんだろう。無事であったのならそれで良い”とのことでした」
ハインツ侯爵家はコーゼル侯爵家とは方向性の違う部類の問題児ぶりだが、裏表のない人柄で上級貴族の割に敵が少ない。
娘のマリアンナ嬢にもその気風は充分に受け継がれているため、アウローラ嬢と彼女の王家入りは、無論ランベルク公とその仲間以外からではあるが、意外にも周囲から望まれる声が多いのだ。
「アウローラ嬢に関しては、侯爵のやり取りは影も目撃していたし、まだ保護対象内の年齢であるのに、王子の婚約者として実の親の不正を告発した公平性も評価された。彼女をすぐにフランツ様の婚約者から外すという動きは出ないだろう」
俺の言葉を聞いた彼女の顔が急にパッと華やいだかと思うと――。
「ではこれで私が多少の無茶をしたとしても、アウローラ様にはお目こぼしがあると言うことですね?」
生き生きとした表情の彼女に「そうは言っておりませんわ~」「ねー、ここまでの話って全部無駄だったわけ?」と言う二人に激しく同意をしながらも、彼女の「ですから、一人では無茶をしません。皆様よろしくお願いします」との言葉に、思わず声を上げて笑ってしまった。




