*3* 羽化する君は。
九月の三週目からミステル座で五国戦記の前座として行った【なり損ねた男】の公演後、妹は私がフェルディナンド様達からもらった情報を聞いて、即座に団員達と五国戦記の叩き直しに入った。
当初と多少演出の方法を変えた新作は三日後に封切りとなるけれど、その前にある年に一度の一大イベント言えば――……。
毎年開催される秋バラの香る庭園で開かれるガーデンパーティー。勝手知ったる会場内で、一際賑わう中心に彼女はいた。背筋を真っ直ぐ伸ばし、視線を下げることなく招待客に接している。かつての光景からは想像もできない。
侯爵夫妻はついに私にすら預けることはせず、放任を決め込んで客の間を渡り歩いている。あれでは来年はどうなることやら。
しかし何となく教え子に群がる大人が少ない。たぶんだけれど、安易に褒めたり優しく接しても靡かないように見えてきたのだろう。もー……本当にこれ以上ないくらいの成長ぶり。先生は嬉しいです。
今日は髪色を黒に染めたままなので、自分の髪色に似た赤毛のカツラをかぶるという謎な変装中だから、あまり人の多い場所には近付かない方が賢明かと思い、遠巻きに教え子の勇姿を見守ることにした。
――のだけれど、そう待たずして私に気付いた教え子が、招待客達に笑顔で挨拶を切り上げて器用に人を避けながら近付いてくる。それに合わせて私も人気の少ない方へと身を寄せた。
「先生、来てくれたんですね!」
「勿論ですわ。本日はお招き頂きましてありがとうございます。お誕生日おめでとうございますアウローラ様ももう十二歳になられたのですね」
さっきまでの淑女ぶりはなりを潜め、抱きついてくる姿には幼さを感じる。何にって、突進力のセーブのなさに。ただ最初に出会った頃は腰の高さにしがみついていた身長は、いまや胸の高さになっていた。
「わたくし、先生にそう言って頂けることが一番嬉しいですわ」
「あら、嬉しいことを仰って下さいますね。けれどせっかくのお可愛らしい髪型が崩れてしまいますよ? ドレスも皺になってしまいます」
あとカツラがずれたときに両手がふさがっていたら困るから、とは心に秘めておくものの、やんわりと注意をしたら素直に身体を離してピシリと背筋を伸ばすその姿に、思わず笑みが零れた。
「アウローラ様、私からの贈り物を受け取って頂けますか?」
「それこそ勿論ですわ、先生!!」
久々に“自分”の姿になれたけど、よそ行きのドレスと侍女が気合いを入れて編み込んでくれたカツラのおかげで、おかしな話、いまいち“自分”になりきれていない気がしていたけれど、この子にとって先生に見えるならまぁ良いや。
ホーエンベルク様が見つけてくれたブックカバーと、私が選んだインクは教え子の心をガッチリ捉えたらしく、彼女はずっとインク瓶を陽に翳したり、ブックカバーをパタパタと開閉していた。
しかし久々の師弟でキャッキャウフフを楽しんでいたら、背後から「ちょっとベルタ先生、ローラを独り占めしないでよ」と声がかけられて。
振り返るとそこにはドレス姿で仁王立ちするマリアンナ様と、そんな彼女の頬を両側から伸ばしているアグネス様の姿が。こっちはこっちで相変わらず仲が良い。
「アグネス様、お久しぶりです」
「あら~ベルタ様、お久しぶりです。それに今年もお招き下さってありがとうございます、アウローラ様。王城外で会うのはお久しぶりですわね~」
「本日はいらして下さってありがとうございます。また先生とアグネス様とマリーで遊びたいですわ」
「うふふ、そうですわね~」
口許に手をあててオホホと淑女らしく笑い合う。私と教え子はともかく、実際はアグネス様とはどちらも毎日顔を合わせるからね――と。
「もう、ローラ。いつまで親友を放って世間話をしてるつもりなの。そんなことより見なさい、今年のわたしからの贈り物はこれよ!」
おお、今年はついに先に本人の目の前で開けちゃうのか。年々大胆というか斬新な渡し方になっていくな、この子。前世で淑女だった君は何処に……。
「まぁ、これってこの間までやっていたミステル座の?」
「そ。観たいって言ってたでしょう。わたしも自分用に買っちゃった」
「嬉しいわ。ちょうどさっき先生にもらったブックカバーがあるの。一番最初にカバーをかけるのはこの本にするわね」
しかし親友の振る舞いに慣れている教え子はあっさり対処してしまった。しかも差し出されたプレゼント、どこからどう見ても見間違いようもない装丁。つい先日公演を終えた【なり損ねた男】の小説だ。十二歳の子供が読むには少々内容が問題である。
「アグネス様、これは……教育上少し早いかと」
「ええ、はい、わたしもそう止めたのですけれど~」
「だって仕方ないじゃない。この舞台観劇するのに年齢制限があるから先生に頼んでも駄目だし、他の使用人に頼んでも連れていってもらえなかったんだもの。それに今回の舞台は色々あったでしょう?」
そっと周囲を気にして声を潜めてくれる辺り、勘の良い子だと思う。もう元のゲームのときに見た人格からは光年単位でかけ離れたけれど、これからも教え子の善き友人でいて欲しい。
「マリアンナ様は脅迫状のことをご存じなんですね」
「すみませんベルタ様、わたしが諦めてもらおうと話してしまったんですわ~」
「いえ、むしろ話して下さっていた方が良かったです。行動力のあるマリアンナ様が知らないと、危ないことに巻き込まれる可能性もありました」
妹達には事前に話しておいたが、恐らくこうなるだろうことは少し予測していた。国境付近での戦争が終わっても、リベルカ人に反感や差別意識を持つ人達はまだ多い。困窮していたとはいえ、戦争を仕掛けてきたリベルカ人がまったく無罪であるはずがないのも然りだ。
ただだからといっていつまでもリベルカの人達に人権を認めないなどあり得ないし、本来同じ生き物同士で優劣を決めあうことなどあっては駄目だ。夢物語の絵空事、偽善的な綺麗事だと分かっている。でも教育者がその矜持を捨てたらおしまいだからね。
「それってわたしのこと向こう見ずって言ってる?」
「「うふふふふふ、まさか」」
「先生もベルタ様も嘘をつくならもっと上手くついてよ」
ツンとそっぽを向くマリアンナ様を教え子が宥める姿を横目に、アグネス様と目配せを交わす。実際には敵対してくる馬鹿な貴族が釣れるので、悪いことばかりでもない。
むしろ影に頼んでしっかり調査してもらえば、芋づる式に見張れる敵を探し当てることも可能で便利だ。
「第一王子の婚約者に内定したわたしに対して無礼である。よって美味しいものを献上せよそこな娘」
ニヤリ、そうふざけて笑う猫っぽいマリアンナ様の言葉に、ローラが「先生、わたくし任務を遂行して参りますわ!」と笑って。二人で会場内の甘いものコーナーへと駆け出す少女達の背中を見送った。
「この度はマリアンナ様と第一王子とのご婚約成立おめでとうございます、アグネス様」
「ふふ、ありがとうございます。でもあの子ったら、年末までは人目のあるところであまり口にしないようにと言ってありますのに~」
「あれはわざと周囲を牽制しているのでしょう。賢い子だわ」
「これから苦労する未来が待ち受けていますけれどね~」
「そうならないよう見守るのも、私達の役目ですわ」
「ですわね~。それじゃあ、わたし達も飲みに行きましょうか」
「はい。今年も美味しい果実酒が揃っているみたいですよ」
来年のことを話しただけで鬼が笑うのに、未来のことを話すのに素面でいられるはずがない。ケーキに引き寄せられる生徒達よろしく、女家庭教師達もお酒のテーブルを目指して歩き出す。




