*2* 演劇の黒船時代。
ホーエンベルク様に私が泣かされたと誤解した劇団員達に見つかる前に、大通りへと流れていく観客達の中に紛れて劇場を離れた。
「今の時分ならあちらの演目もあと一時間ほどで終わる頃だろう。運が良ければ大通りで二人に合流できるかもしれない。あちらには雑貨店も多いから、贈り物を選ぶのには良いと思う。行ってみないか?」
「そうですね。お嬢様への贈り物を探しているところなので、是非」
泣き顔を見られた直後の気恥ずかしさから話題に困っていたので、彼からの願ってもない申し出に乗り、歩きながら会話を交わすうちに段々とさっきまでの居たたまれなさも薄れて。
気になった店のショーウィンドウを覗き込み、目前に迫っている十月の教え子の誕生日プレゼントを選ぶことに夢中になる。毎回リボンでは芸がないので、今回は少し趣向を変えようと思っていたら、女の子が好みそうな文房具を取り揃えた店があったので迷わず入店した。
「これなどどうだろうか?」
「まぁ、これは可愛らしいですね。以前フランツ様が贈って下さったガラスペンにも合いそうですわ」
「そうか、俺は女性の好みそうなものに疎いから、貴方にそう言ってもらえると嬉しい。貴方は何を選んだんだ?」
「私はこれを」
「それは……インクか。意外と色んな色があるのだな」
「はい。私もこれほどインクに種類があるとは思いませんでした。女の子は文字の色にも可愛らしさを求めるんですね」
実験機材の小さなフラスコのような形のインクボトルは、ショーウィンドウを覗いて真っ先に目についたのだ。緑と青、それに橙と薄紅の四色を購入することにした。このインク達は勉強には向かないだろうけど、日記をつけたり手紙を書いたりする分には良いはずだ。
そしてホーエンベルク様が勧めてくれたウィリアム・モリスっぽい花鳥柄のブックカバーは、私の好みにもドストライクだったので、つい色違いのものを自分用に購入しようと会計に持っていこうとしたら、彼がやや渋可愛いそのブックカバーに気付いた。
「そちらも贈り物用か?」
「いいえ、こちらの色味が落ち着いたものはとても気に入ったものですから、自分用にと思いまして」
「そこまで気に入ってくれたのなら、俺も見つけた甲斐があった」
そう言って屈託なく笑ってくれた彼の表情に不整脈を起こしかけたものの、大満足な収穫を手に、アグネス様達と合流できると良いなくらいの気持ちでイザークが所属していた劇団の前まで行ったのだけれど――。
「ええと……何か、劇場の前が騒がしくありませんか?」
「ああ。いったい何があったんだ?」
困惑する私達の視線の先には、立派な劇場の入場口前でお客達が固まって混雑している。どうも彼女達もこちらと同じで困惑の表情を浮かべているように見えるのは気のせいだろうか?
今回の演目はやはり内容的に全体的に若い女性の客層だ。そんな彼女達の表情は戸惑いと怒りに満ちている。まさか余程元の脚本から逸脱して改悪されていたのかと思ったけれど、中には頬を染めて何やらうっとりしている子もいた。
ということは恐らく一部には大不評だったものの、一部には滅茶苦茶に刺さる作品だったということだろう。
前回の終わり方からすれば普通に考えて、あと二作ほど使ってドロドロの愛憎劇をやったあと、私をモデルにした主役が誰かに刺されて死亡とかで幕を閉じそうだと思っていたんだけど……。
「ここからだとエリオット達の姿も見えない。とにかくもう少し近付いて――、」
ホーエンベルク様が“みよう”と続ける前に、観客達の中から見知った顔がひょっこり出てきて。私達に気付いたのか、次の瞬間には女性達の間をすり抜けると猛然とこちらに向かってきた。
その後ろにはアグネス様もしっかりついてきている。あのスーパーのタイムセール並の人垣をかき分けて来られるなんて……凄い。凄い、けど――!
「ヴィー! ちょうど良いところにいたー!!」
「は? どうしたエリオット? ちょっ……抱きつくな、重いだろう!」
「ベ……ルイズ! ちょうど良いところに~!!」
「お嬢様、そんなに興奮してどうなさいまし……え、どこ触ってるんですか?」
興奮状態のまま抱きついてきた二人に目を白黒させる私とホーエンベルク様。荒ぶる二人はこっちが混乱しているのにも構わずさらに捲し立てた。
「意味分かんねー、何あの展開。あれで完結とかふざけてんのか? でも金返せとまではギリギリ言えない!!」
「あんなの心の持っていきどころが分かりませんわ~! もう本当に今までの脚本の流れは何だったんですのって言うくらいズバーッ! ですのよ~」
「でも悔しいかな今回の作品は一部で絶対に受けるって言うか、流石王都で長年首位を保ってる劇団だよ。あのどう足掻いても血を見る展開でしか決着つきそうになかった話を、まさかあんな風に終わらせるなんてなー……」
「力業以外の何物でもないんですけど、かといって伏線? 本筋? を深読みすればそういう展開になるのもやむ無しというか……も~、何なんですの~」
成程、さっぱり分からん。けれど分からんなりにこのままここで二人に荒ぶられるのも困るので、ホーエンベルク様と視線で場所の移動を提案可決の電光石火脳内会議を終えて、子供のようにしがみついてくる二人を宥め透かせてカフェへと場所を移動した。
***
「さっきはごめん二人とも。ちょっと正気を失ってた」
劇場近くのカフェがいっぱいだったので、結局大通りを少し逸れた場所にある出店というか、テイクアウトを中心にしているお店で銘々飲み物と軽食を購入し、出店群の傍にある椅子とテーブルに陣取るなり謝られてしまう。
突発的な熱病から覚めたかと思えば今度はやや声のトーンが低い。心なしか編み込まれたガラスビーズの輝きも鈍く見える。感情がジェットコースターだなぁ。
「別にお前の奇行は珍しいものでもないから構わん。それよりも何がそんなにお前を狂わせたのかは聞きたいところだな。お前が抱きついてきたせいで、周囲の女性達に妙な目で見られたぞ」
疲れた声のホーエンベルク様の言うことは確かにそう。いや、フェルディナンド様の奇行がではなくて女性達の視線の話だ。けれど私が頷くよりも早く隣から助け船が出た。
「ホーエンベルク様……さっきのあの舞台で、これまで表立ってはいなかった自由恋愛の波が来てしまったのですわ~」
ふっと物憂げにそう言ったアグネス様の横顔に何かがピンときた。というよりも“自由恋愛”の意味が知ってるやつとちょっと異なる気配。
公演の内容を聞けば私をモデルにした主人公は親友(女性)に恋をしていて、彼女に心配されたい一心で男達を手玉に取り、彼女が惚れていた男の存在に気付くや身体を使ってその男を籠絡し――……とやっぱり百合系だった。
「いやー……イザークの奴がいないあの劇団なんて敵じゃないと思ってたけどさ、これはなるべく早めに五国戦記の新作公開した方が良いかもね。今回ぶつけた作品だけだと話題性が相殺される」
どうにも蜥蜴の尻尾切りをされたあの劇団は、一気に舵を切り直して全く別の物語に仕立てあげたようだ。百合の時代が、来る……かも。




