*1* 慣れてないんですよ。
――領地にいる父曰く、
『最初の頃に適当に業績を作れば、あとはどんな行動を取らせたところで密偵連中は勝手に裏があると読んでくれる。どうせ陛下が儚くなられたら使えない手札だ。期限付きの特別手形だと思って好きにしなさい。あ、だけど時々権限を借りるかもしれないから、そのときはベルタの名前で借りさせて欲しいな』
という、臣下としてはどうなのだろうかという“助言”を元に、七月にはオルブライト侯爵家を、八月にはアーモッド伯爵家狩りを真面目に終えて。
さらにイザークの不在になった劇団を探らせ、イザーク本人の居場所を探らせ、ミドルの行方を追わせ、それにより飛び地との国境付近に配置させている兵士達の買収が発覚し、バレないようにもう一度強制的に忠誠を誓い直させた。
イザークはミドルの厳命によって領地に封じられ、当のミドルはまたもや飛び地に出かけたと判明。話し合いをもうけた結果しばらくは動かないだろうとの見解で一致し、様子見の段階になった。
後は父の教えに乗っかって、知育玩具で私の作ったものの類似品が出回っていないか市場調査させてみたり、もしも著作権を侵害しているメーカーを発見したら直接ガサ入れを頼み、妨害を試みてミステル座の団員を襲おうとした人間を排除してもらったりと、何だかんだとお世話になっている。
まぁ先に後ろ楯に使っても良いとほざ……言ったのは陛下だし、こんな状況だもの。使える者なら王族だって使う。別に何に使っては駄目だとかは特に言われていないから大丈夫なはず。父娘そろって陛下を楯に法の中で暴れてやる所存だ。
その間にアグネス様も回復し、任務から戻ってきたホーエンベルク様と再び王城でマキシム様達の家庭教師に復帰。フェルディナンド様は乗馬を覚えて領地と王都を行き来できるようになったヨーゼフと一緒に、ミステル座の王都劇団頂上戦に尽力してくれている。
私はと言えばまた変装生活に戻って、侍女の“ルイズ”としてアグネス様のお屋敷にお世話になっていた。今度はきちんと体調管理を受け持っているから、アグネス様の健康は守られている。
――そんなこんなで現在暦は九月の三週目。
藍、黒、紺、白、赤に灰。
舞台の上にある色はそれで全部。当てるスポットライトも明度を下げて、全体的に暗い色調に抑えてある。あまり舞台としての華やかさはないものの、それがこの舞台の主人公の世界。
演目は【なり損ねた男】。
今日が公演初日のライバル劇団に対抗し、二週間だけの電撃公演に踏み切ったのだ。今頃はアグネス様達もあちらの劇場で、前回までのイザークが手がけた脚本との違いを確認してくれていることだろう。
「“母を最後に照らしたのは彼女が愛した舞台の明かりではなく、家に戻らない彼女を捜し歩くわたしが掲げたランタンの明かりだった”」
演目が演目なだけに、観客席には五国戦記のときのような熱はない。あるのは戸惑いとも憐憫とも取れる空気だけだ。この舞台は回想と現在が交差する主人公の独白と会話劇が中心だから、演者が少ないのが特徴だけど――……その中に一人だけ異彩を放つ人物の姿がある。
「“どこの馬の骨に引き裂かれたのか、無惨なその姿たるやゴミのようで。母がかつて寝物語に語ってくれた姿とは似ても似つかぬ醜さだった”」
灰の髪にほんの少し浅黒い肌、そして青い瞳。リベルカ人の特徴を全て持つ中性的な顔立ちの彼女に、観客達も魅入っている。どちらの人種にも馴染めない彼女はこの舞台の主役の“彼”として、これ以上なく相応しい配役だと思えた……と。
「ルイズ、彼女は初めて見るな。新人だろうか?」
隣から他の観客の迷惑にならないよう、こっそりと声をかけてくるホーエンベルク様の低い声。偽名を呼ばれただけなのに、一瞬心臓が跳ねた。
狭い劇場だから仕方ないとはいえ距離が近い。暗がりで顔が見えにくいのがせめてもの救いだ。ただでさえ今はちょっとおかしな設定になっているのに、平常心を保つのが難しい。
「はい。彼女は父親がリベルカ人だそうで、教会の演劇を熱心に観ていたところをヴァルトブルク様が発見して、その場ですぐに勧誘したらしいですわ」
「ああ……それで。まだ動きや台詞はぎこちないが、観客席からの視線に怯えのないのは凄いな。それに彼女の声には歌うような抑揚がある」
「アンナ様が仰るには、稽古をつけに来てくれたリスデンブルクの劇団員達にも指摘されたそうです。喉の奥の作りが人より少し特別だとか」
前世風に分かりやすく言えばウィスパーボイスというやつだ。水の膜を通したような透き通った震えのある声。耳に優しい1/F揺らぎだ。
すると彼は「成程……疑問が解けた。観劇の邪魔をしてすまなかった」と謝罪を述べて、それきりまた静かになった。そのことに若干ホッとしたような残念なような気分になりながらも、再び意識を舞台上へと戻す。
けれど熱狂とは程遠い静かな演目は淡々と終盤に近付くにつれ、周囲から鼻を啜るような音が響いてきて。そのせいでイザークと知り合いであるはずのこちらまで涙腺を刺激された。小説で読むのとは違って人の体温を台詞で感じる分、辛い。
彼の追体験のような劇が終わりさざめくような拍手で初日の幕を閉じた後、明るくなる前にホーエンベルク様と外に出れば、彼は午後の陽射しの下で私の顔を見るなり、困ったように眉根を下げて。
「舞台のせいとはいえ、君の泣き顔を見るのは動揺するものがあるな」
――と、サラリ。
くじ引きの結果引き当ててしまった恋人役に真面目に取り組み、私の心臓を坂道ダッシュ後の心拍数にまで追い込んでくれた。




