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◉1◉ 優秀な秘書。


 目の前に広がるのは、七月の陽射しを遮るような建物のない拓けた牧場。遠くを見やれば、点々と草を食む牛や羊が見える。


 そんな牧歌的で少し家畜の匂いが混じる風景の中で、唯一食に関する働きを持たない動物を囲っている柵に視線を戻した。


「あ、また……やってる。ヨーゼフ、馬の上下する振動を自分で殺そうとしちゃ駄目よ、馬上で無理に踏ん張ると酷い筋肉痛になるわ! 馬の上下に合わせて腰骨を立てるみたいに乗るの!」


 柵にもたれかかったままツバの広い麦わら帽子を押さえて、柵内で手綱を厩番に持ってもらって円形に馬を走らせるヨーゼフにそう声をかけると、彼はこちらをちらりと見て頷く。言葉で返す余裕もないのだろう。


「妹様、そろそろ仕事、戻ろう?」


「こういうときは少しくらい融通を利かせてよ、ガンガル」


「ゆうずう?」


「臨機応変ってこと」


「りんきおうへん……仕事しないでいいって意味?」


「そ、それは違うけど。えーと……まだ小説の続きが思い付かないの。だからもう少しだけここで休憩したいわ」


 隣で一緒に見学中のガンガルから至極ごもっともな指摘が出たけど、その言葉に被せるように発言をして二の句を封じる。根が素直なガンガルは一瞬だけ柵内のヨーゼフに視線を移し、それからこちらを見て「分かった。あとちょっとだけ、休憩」と許可をくれた。


 式に来てくれた令嬢達に花束の代わりに小さく切ったヴェールとお礼状を配り、お姉さまからの言付けを預かって領地に戻って来たのはいまから二週間前。


 その内容が【王家から裏家業の人を借りられるようになったんだけど、何から探らせたら良いと思う?】という際どい内容なだけに、わたし達以外に言付けられなかったのだ。


 でもいざ領地に戻ってみると、屋敷にはガンガルとホーエンベルク様がいるし、ガンガルと同じ瞳と髪の色をしたリベルカ人の棄民が十人以上いたから、そこで移住者名簿の作成やら何やらと手伝いをさせられて。


 話を聞いてみればお姉さま達が調べていたグレンジャー子爵領から、お父さまがガンガルに領地に連れて来ても良いと言われたそうだ。もう半数の棄民はホーエンベルク領で引き受けたと言う。


 そのせいでなかなか王都に戻って来なかったのかと思ったときに、ふとお姉さまの時々見せる心細そうな顔がちらついて。


 言付けをして終えたら二、三日滞在して王都に馬車で帰ろうかと思っていたのに、つい『あとはわたし達が引き継ぐから、あなたはお姉さまのところに戻って』と言ってしまった。


 ガンガルには責任を持って、新しい住民になる人達との通訳になってもらう必要があるから手放せないけど、ホーエンベルク様にやってもらえるような仕事はあまりなかったもの。


 わたしの発言にその場にいた全員が賛同してくれたんだけど、それを聞いていたお父さまが――……。


『ふむ。ホーエンベルク殿の代わりに二人が残るなら、せっかくの機会だ。ヨーゼフも一人で馬に乗れた方が何かとこれから便利だろう』


 ――と、言い出したことで彼にとっては地獄のようなこの状況に陥っている。あとホーエンベルク様に何を言付けたのか知らないけれど、絶対に王家から借りた人材を使い倒す気に違いない悪い顔をしてたのがね……。


 ただ発案した当人は現在新しく領民になったリベルカ人の皆を連れて、こぼれ種からあの花が増えたりしていないかを見回りするような毎日だから、文句を言うに言えないのだ。


 それに最初の三日くらいはお父さまが直々に教えていたけど、どちらかと言ったらあっちの方がヨーゼフは緊張したみたいだから、いまの方が気楽かもしれない。何にせよ馬に乗れる体重になっていたことに驚いたけど。いつの間にそんなに痩せていたのかしら。


 それとも他の皆は前回来たときよりもさらに痩せていると言っていたから、わたしの目が節穴なだけなの? 元からポヤポヤふわふわしたヨーゼフは雰囲気が柔らかいし大きいせいで、あまり変わりなく見えるのだけど。


 唯一そういうことに気付きそうな初夜も……式のあと、お父さまが彼にお酒を無理強いしたせいで、まだだし。ヨーゼフはいっそ全部片がつくまでしない方が良いとか言うし。お姉さまには相談しにくいし。


 嘶く馬に半泣きでしがみつく彼を見ていたらほんの少し気が晴れた。こっちだって次の舞台に使う小説の執筆とユニ達に言葉を教えるので忙しいんだから、彼にも頑張ってもらわないと駄目なのよ。


 別にここで小説の展開に煮詰まって、半泣きになっている彼を観察して仕事のやる気を出そうとか思ってないの。何なら一人で馬に乗れなくてもわたしが乗せてあげればいいとか、ちっとも思って――……。

 

「妹様、そろそろ戻ろ。顔、真っ赤だし」


「あ、赤くなんてなってないわよ!?」


「なってる。太陽当たりすぎた?」


「あ、ああー……うん……そうね。暑いからかもね」


「帰ったら紅茶淹れる。水分大事」


 真剣に案じてくれているらしい声音と視線に何だか否定する力が失せたけど、半泣きになっても頑張ってるヨーゼフの姿に創作意欲も刺激されたから。


「イザークのいなくなったあの劇団になんて、負けられないものね」


 自分を鼓舞するためにそう口に、もう一度。首をひねった馬に前髪を食まれて遊ばれている彼を視界に入れて、気合充填、仕事に戻るわ!

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