★24★ 教えの形。
埃とカビの臭いが染み付いた地下は、夏の陽射しが目映い地上との格差を嫌というほど体現していた。質の悪い油を使ったトーチカの火が、鋲を打たれた頑丈な扉と、鈍色に天井から伸びた鉄格子を照らし出す。
鉄格子の中に人が残っていないかを覗き込み、隠し通路や扉の類いがないかを入念に確認していると、背後から「隊長」と呼びかけられた。戦場で呼ばれ慣れたはずの呼称に違和感を感じるのは、この数年で呼ばれ慣れた“先生”という新たな呼称のせいだろう。
「報告を聞こう」
「はっ! 先程最後の奴隷の調書を纏め終えました。もうここでの聴取を必要とする奴隷はおりません」
「分かった。では手の空いている者に護衛を任せ、収容されていた者達の半数を連れてホーエンベルク領に出立しろ。向こうに送り届けたらあとは家令に引き渡し、隊員の人員交代をさせて再編成したのち王都で待機だ。俺はもう少しここを調べて戻る」
「了解しました!」
踵を鳴らして敬礼をとった部下は地上の仲間の元へと引き返していく。石の通路に反響する軍靴の音は遠ざかり、聞こえなくなった。
深夜の王都から元部下達を引き連れ早駆けして一日半。グレンジャー子爵領は、表向きは真っ当な領地経営をしているように見せかけておきながら、その実態は禁止薬物と奴隷取引で潤うとんでもないところだった。
到着してから三日が経とうかというのに、呆れたことに未だ押収物が出てくる。そのどれもが他にこの件に関係しているであろう上級貴族達に押し付けられたものばかりだ。
体の良い隠れ蓑に仕立て上げられた哀れなグレンジャー子爵は、現在妻子と共に自身の屋敷の応接室に拘束させている。夫人は夫が犯罪に手を染めていたことを知らなかったらしく、調書を取る間ずっと震えていた。
六歳になるグレンジャー子爵の息子は、そんな母親と四歳の妹を庇って必死にこちらを威嚇していた。父親が正しく領地の運営をしていれば、あの子供が継いだのだろう。
当主は自身が失敗した事業の補填に当てようと致し方なく犯罪に手を染めたのだと語ったが、帳簿に記載された売られていった奴隷の中には、彼の子供と同じ年頃の子供もいた。罪は裁かれるべきだ。そこに生まれの貴賤はない。
戦働きの褒賞として与えられたホーエンベルク領は、領民の半数が俺が率いていた部隊の元部下達や、流れ着いた傷痍軍人や、前線を離れた退役軍人に、夫を戦場で喪った寡婦とその子供、そして奴隷として連れ去られた少数民族の者達で構成されている少々変わった土地だ。
おかしなことにそれでいてなかなか治安は良い。取り立てて名産品があるわけでもなければ、流通に有利な街道に通じているわけでもないものの、普通に暮らしたいという願いは叶えられる。
その“普通”に憧れる一部の人間達が集まるせいか、領地として上がってくる税に不足はない。静かでどこにでもある“普通”の領地だ。ふとしばらく帰っていない土地を懐かしんでいると、音を殺してはいるが微かに通路の奥の気配が揺れて誰かが近付いてくる。
「――奥の確認をしてくれていたのか、ガンガル」
「ん。誰もいなかった。でもあっちの空っぽの部屋、臭うよ」
「そうか。だとしたらすでにそこにあった薬は廃棄したか、売り払ったあとだな」
「たぶん。だけど最近雨が降ってなかったから、薬大量に運んだなら、まだ臭い追えるかも。どうする?」
トーチカの灯りの下で小首を傾げるガンガルの言葉に内心感心と畏怖を抱いた。大気中に漂う麻薬の残り香を追えるとは……人間の域を越えている。それとも、余程薬を憎む記憶がそうさせるのだろうか。
「その申し出はありがたいが、それは俺達の仕事だ。お前にはすでに当初の予定通りここにいた同族達に聞き取りをして、調書の作成に協力してもらっただろう。この後は――、」
「お前が連れて行けない残りのリベルカ人、エステルハージ領に連れていく。王様が、俺の同族を領地に連れて帰って来ても良いって、言ってくれた。もうあの土地でリベルカ人は、ユニと俺だけじゃなくなる」
エステルハージ殿を“王様”と呼ぶガンガルが、ぎこちなくも嬉しそうな笑みを浮かべた。その表情を見て、王都を離れる直前にエステルハージ殿から俺宛の手紙を預かったガンガルが訪ねて来たのには驚いたが、手紙の内容と人選に納得する。
それと同時に領主としてのエステルハージ殿のあり方に感銘を受けた。本当は奴隷として囚われていた全員を自領に移送することに若干の不安があったのだ。一応教会にリベルカ語を書き溜めた手帳の写しを寄贈しているとはいえ、現状では滅多に帰れない自領に言葉が通じない人材を引き受けることに。
それを何も相談していないというのに、先回りしてガンガルに言付けてくれた彼の慧眼は、王城に必要な人材だと強く思う。
「お嬢もきっと頑張ってるから、俺が皆に言葉を教えて、お嬢と、王様と、妹様の役に立てるようにするんだ。リベルカ人でも、人を殺さないで、奴隷にならない生き方できるって教える。そうしたらお嬢、喜んでくれるか?」
「ああ……きっとな」
思わずそう呟いた俺に笑みを向けるガンガルを見て、王都に残ったベルタ嬢を感じる。彼女の教えが生きるのを目の当たりにする。
「この仕事終わったら王都に行ってお嬢を手伝えって、王様言ってた。俺、早くお嬢に会いたい」
気合いのためか両手で拳を作って素直にそう口にするガンガルに、咄嗟に「俺もだ」と唇が動いた。その声を拾ったガンガルが確認するように見上げてくるものだから、つい。
「俺も……早く彼女に会いたいらしい」
理性が抵抗を諦めて零れた言葉に、どうしようもなく心が震えた。




