*22* 久しぶりの新ルート分岐?
いつ誰がやって来るかもしれないので、一応授業をしている体を出すためにノートと教材を広げたテーブルを挟み、三者面談のような状態が出来上がった。この形で座るのは、前世で追い込み最後の時期に塾に押しかける親御さんとの対談を思い出してちょっと緊張する。
こちらの話を聞く準備が整ったことを察したのか、互いに顔を見合わせて頷き合う兄弟。けれど本当にいつの間にか兄らしくなったマキシム様がこちらに向き直り、難しい表情のまま口を開いた。
「これは相手がお前だから話すが……二日前に父上が倒れられた。これまでわたし達は聞かされていなかったが、以前にも何度かあったそうだ。口止めされていた侍医に吐かせたら今回の容態がこれまでで一番酷いらしい」
私を信用して打ち明けてくれた彼のその言葉に、けれど特別驚くようなことはなかった。どちらかというとやっぱりなという感覚の方が大きい。むしろあれだけいつも顔色が優れなくてどこもやられていないはずがないと思っていた。
けれどまぁ……何と声をかけるべきか迷いはする。一般家庭の人にかけるのも気を使うのに、相手は一国の主を父親に持つ王子様方だ。取り敢えず無難に一つ頷いてみるも――。
「あまり驚かれた様子がないところを見ると、ベルタさんには何か気付くところがあったのでしょうね。私達は息子でありながら少しも気付かなかったのに」
こちらの様子に今度はフランツ様がそう少し寂しげに口にした。兄であるマキシム様の発言を聞いた私の反応を確認していたのか。すぐに「ですよね兄上?」とマキシム様に尋ねている姿は軽度のブラコンさを感じさせる。
父親の容態に気付かなかったことへの反応も含めてなかなか良い傾向だ。何というか、国のトップに対して烏滸がましいと思うけど家族らしくなった気がする。こういうのを雨降って地固まると言うのだろう。
ただし問われたマキシム様は出来の良い弟に未だ引け目を感じているのか、やや押され気味に「ああ、まぁな」と応じるに留まった。というよりも、こっちに“助けろ”みたいな視線を送っていらっしゃる。距離は近付いていてもまだ尊敬され慣れていないのが微笑ましい。
「そうですね……陛下の体調については、フランツ様の仰るように以前から少々気になってはおりました。ですがそれに気付けたのは、私が家族ではないからだと思います」
「「え?」」
「当然のことですが、陛下は私を臣下の娘としか認識しておりません。しかも滅多に社交界に出席しないような変わり種の田舎者です」
「ベルタ、流石にそこまでは思っていないぞ」
「そうです。ベルタさんには他のご令嬢方には感じない穏やかさがあります」
おっと、気を使わせてしまったか。別に自分を卑下しているとかそういうつもりじゃなかったのに。でも慌てている二人の姿が年相応でおかしい。
「あら、ありがとうございます。それで話を戻しますが、陛下にとって私は気を張ってまで相対する人間ではないのです。精々現状手駒として使える娘、程度の認識だと思っております。だから取り繕う体力を温存された。私はその姿を見てどこか体調が優れないのかなと推測しただけですわ」
にっこりと……たぶん傍目にはニヤリと見える微笑みを浮かべてそう言うと、二人は納得したのか、納得しようとしているのか、顔を見合わせている。そんな姿を目の当たりにして、また微笑ましい気持ちが湧き上がった。
家族に溝があろうとも、陛下は陛下なりに子供を意識していたと思う。それが無意識下のことであったとしても、彼は父親として息子達に見栄を張っていたのだから。まだ玉座を譲るには早い息子達の風避けとして、彼はまだ自身が健康であることを国の内外に示さねばならない。
まったく……貴族や王家というものは何とも気を使う厄介な職業だ。乙女ゲーム界隈では高位貴族のヒーローが人気だけれど、私はむしろ下位貴族の方が結婚するには良いのではないかと思う。土地は持っていないけど一応貴族の男爵とか。
ヒロインが男爵令嬢なのは多いけど、攻略対象に男爵令息がいないのは何でなのだろう。まぁ、そんな華やかさ皆無な乙女ゲームに需要はないだろうけど。
その後は少しだけ二人の心の準備が整うのを待ち、再び話題をランベルク公爵とイザークに戻したのだけれど――。
「ランベルク公……いえ、いまは伯父と呼びましょうか。彼が父上の体調を知って動いているのかどうなのかが、まだよく分かっていないのです。父上は多忙を理由に伯父の謁見を許していないので。こういうときにホーエンベルク先生が留守なのは手痛いですね。私と兄では思うように探れなくて」
――ということだそうで。
王城内の人間は全てにおいて権限の強い者にしか使えない。たとえ王子達であろうとも理由を説明せずに従ってくれる人材は少なく、説明せずに従ってくれる人材ではミドルが行動する場所に潜り込むのは難しい……と。
二人の王子に対して向けられる周囲の目は以前までとは違うだろう。けれどそれでもやはりまだ派閥は存在しているわけで。一家庭教師の立場からではちょっと口を出せる範囲ではない。それをやってしまえば私の立場はイザークの脚本に出てくる悪女まっしぐらだ。
でも……何だろうな。これまでの経験上、そういうのとは別にあの男はもっと厭な策を隠し持っている気がしてならない。それに何かがさっきからずっと頭の端に引っかかっている。前世の世界史の内容が脳内でフラフラと彷徨う感覚。
それというのもこういう状況って世界史だとよくある。王家と力を持ちすぎた公爵家や大公家の衝突とか。そこでふと、ここに至ってあることが気になった。
「あの、そういえば今更な質問で申し訳ないのですが……」
「何だ。言ってみろ」
「私と兄上で答えられるようなことでしたら何なりと」
「ではお言葉に甘えまして。私はあまり貴族社会のことには明るくないのですが、この国には公爵家は元から一家しかないのでしょうか?」
「本当に今更だな。それに何故そんなことを聞く?」
「大したことではないのです。公爵家が他にもあるのだとしたら、ランベルク公の振る舞いは目に余るのではないかと思いまして。だというのに他の公爵家から何も不満が出ていない様子だったものですから不思議で」
普通大元の王家が一つであろうとも、普通はその兄弟から派生した分家、この場合公爵家や大公家の存在があるものだ。大公家はない国もあるけど、公爵家はある。悪戯に数を増やすようなことはなくとも、最低でも三、四家はあるだろう。
だというのにこの国で名前を聞くのはランベルク公爵家だけだ。単に他の公爵家が大人しいとか、王家と距離を置いているのかとも思ったけれど、派閥争いに公爵家の名前を見たことがない。
「ええと……ランベルク家の他にも公爵家は二家あります」
「あら、それではかなり奥ゆかしい方々なのですね? 確かマキシム様やフランツ様の生誕記念式典でもお見かけしませんでしたもの」
なんだ、ちゃんといたらしい。だったら私の心配は杞憂だったのかと胸を撫で下ろしかけたそのとき、マキシム様が渋い表情で溜息をついた。
「いや、違う。そうじゃない。フランツ、お前もわたしを気にして紛らわしい言い方をするな。ベルタが知りたがるからには、何か気になることでもあるんだろう。別に禁忌というわけでもないのだから、話して構わん」
んー……待って、雲行きがいきなり怪しい。続く言葉をあまり聞きたくないぞ? フランツ様は眉間に皺を寄せたマキシム様と私を交互にみやると、素直に頷いて再びこちらに視線を向けた。
「ありました。かつては。でもいまはどちらもありません」
「それは……何故かお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「一家はお前に会う以前のわたしと同じような気狂いだった当時の王の怒りをかい、取り潰された。もう一家はそんな王を畏れると同時に愛想を尽かして他国に亡命した。だからこの国には公爵家は伯父の家しか残っていない」
成程。すでに王家はやらかした後だったか。そして最悪まだ教え子が危険な目に遭う可能性を見つけてしまった気がするぞ……?