*19* 現場復帰します。
「う~ん……熱は、まだ少し高いですけれど、咳も出ていないし……これならそろそろ登城しても~……」
「アグネス様? これのどこに“そろそろ”の要素があるのですか。風邪でないだけで、熱はバッチリありますよ」
昔懐かしい水銀式の体温計は三十八度を指している。アンナの結婚式を終えた翌日にホーエンベルク様が任務に向かい、それから四日経った昨日、アグネス様は城から戻るなり倒れたのだ。さっきまでここにいたお医者様の見立てでは、過労からくるものだという。
教え子が戻って来たことで再開された第二王子妃教育に、マリアンナ様も合流されたことから、休憩時間は四人の生徒に囲まれることになる。過密学級だ。
体温計をブンブン振りながら真っ赤なアグネス様の頬に手の甲で触れ、すっかり溶けた氷嚢の中身を生温くなったボウルの水と交換するため、開け放した窓からボウルの水を捨てた。
――が、途端むせかえるような緑の香りが室内に流れ込みカーテンを激しくはためかせたので、致し方なく窓の半分を閉める。
その足で部屋の外に控えてくれていたメイドに新しい氷嚢と冷たい飲み物、それからすりおろしたリンゴを頼み、再びアグネス様の横たわるベッド脇に戻った。
「ううぅ……でも、わたしが登城しませんと……ベルタ様にご迷惑が~」
「アグネス様、貴女はいま私にかけられた迷惑で大変な目に合っているんです。こちらの都合に貴女を巻き込んだから、この体調不良なのですよ。ですから、今後しばらくはが私が城に行きます。むしろご自身の身体を第一に考えて下さい。それに、熱のある人物を王子達に会わせてくれるはずがありませんよ?」
「ベルタ様の、せいだなんて……そんなはずは、ありませんわ~……。ああ、ですが……王子様達に近付けないのは、そうなのかも~?」
苦し気に荒い呼吸を漏らしながらもこちらを気遣う姿に胸が痛む。毎回のことだけれど、良い人すぎて色々と心配になる。
「んふふふ……そうですわ~……一緒に登城しましょうよ~、ね~?」
あ、これは駄目だ。高熱時特有のポヤポヤとした雰囲気のまま、無意識に幼児退行を起こしている。このままだとまた熱が上がるかもしれない。
実質いまのところは今朝スペンサー家から迎えの馬車を寄越された私しか、彼女の状態を知る人間はいなかった。教え子と妹はまだ寝ていたから伝言を残してきたけれど、父がすでに領地に帰ってしまっているのは手痛いところだ。
数日城に登城しなければならないとなると、アンナの結婚で項垂れていた父でもまだ王都にいて欲しかったかも……。
「そうなると二人して一網打尽になってしまう可能性もありますが……考えておきますね。でもひとまずいまは病気中なんですから心配をしないで。私は大丈夫ですし、むしろいままでアグネス様に頼りすぎていたのですから、多少は格好をつけさせて下さい」
ガシャガシャと細かく残った氷と水で布を濡らして絞り、汗の浮いた額に乗せれば「冷たくて、気持ちいいわ~」とへにゃっと笑うアグネス様。その様子に閃き、冷たくなった私の両手で頬を挟んであげると思った通り、彼女は幼子のように「もっと」とねだった。
すぐに温む布と手を交互に使ってアグネス様をあやしていると、ドアがノックされて。部屋の外に出るとそこにメイドの姿はなく、代わりにリンゴと氷嚢を乗せたワゴンが一台止まっていた。きっと弱ったアグネス様に対する配慮だろう。
私の親友はフワフワとして見えるのに、こんな風に寝込むまで人に弱味を見せようとはしないのだから。ワゴンを押してきた方向の廊下の角に向かってお辞儀をし、それを押して部屋に戻る。
すりおろしたリンゴを食べさせ、薬を飲ませて着替えを手伝う作業は、昔はよく熱を出したアンナにもしてあげたので馴れたものだ。
「は~……ベルタ様にこんなことをして頂いて、申し訳ありません~……。本当なら、アンナ様達と、今後の策を練るはずですのに」
「何を水臭いことを仰っているのですか。親友なのですから頼られて嬉しいことこそあれ、迷惑なはずがありません」
背中をさすってそう声をかけ、逆上せた顔でこちらを見つめるアグネス様を安心させるように微笑んだ。薬で眠った彼女を使用人に任せ、就業時間に間に合わせるために慌ただしくスペンサー家をあとにした。




